ウクライナ、ポーランド、ユダヤの三家族、三人の子どもたちが歴史の波に翻弄される
クリスマスキャロルの定番とも言える「キャロル・オブ・ザ・ベル」は「シェドリック(Shchedryk)」というウクライナ民謡をもとにした曲に英語の歌詞がつけられたものだそうです。その「キャロル・オブ・ザ・ベル」が1939年からの戦火の下でしあわせを呼ぶ(はずの…)曲として象徴的に使われています。
町の名前が侵略者により変えられる…
時代は1939年1月、場所は現在のウクライナ、イヴァーノ=フランキーウシク、当時はポーランド領でスタニラーヴィウと呼ばれていたところです。
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町の呼び名はその後も変わります。そのこと自体が大国の狭間で翻弄されてきたこのあたりの地域の苦難を示しているということです。映画が始まりしばらくした1939年9月ごろ、ソ連に占領されてスタニスラーウと呼ばれるようになります。そして1941年に独ソ戦が始まりドイツに占領され、このときはそのままの呼び名だったようですが、1944年にソ連に再占領されて、1962年にウクライナ作家イヴァン・フランコにちなんでイヴァーノ=フランキーウシクと呼ばれるようになったそうです。
ユダヤ、ウクライナ、ポーランド三家族
その町で暮らす三家族の物語です。ユダヤ人一家の家にウクライナ人とポーランド人の家族が住むことになります。各階に一家族ということだと思います。映画はほとんどこの家の室内で進行します。
それぞれの家族の夫は、ユダヤは弁護士、ウクライナは町のクラブで演奏するミュージシャン、ポーランドは軍人です。それぞれ同じ年頃の娘がいます。
この三家族の1939年1月から1945年あたりまでの苦難がウクライナ人の妻ソフィアを軸に描かれていきます。ソフィアは音楽教師であり、娘のヤロスラワは歌がうまく、キャロル・オブ・ザ・ベルを歌えばしあわせがやってくると信じています。
二家族が引っ越してきた矢先はウクライナとポーランドの家族の間がギスギスしています。その地域がポーランドの支配下にあることと、ましてやポーランド人が軍人であることからなんだろうと思います。ウクライナが食事会を催します。ヤロスラワがポーランドの家族の家に招待に行き、キャロル・オブ・ザ・ベルを歌います。それを機に親しく話すようになり、またポーランドの娘テレサもソフィアに歌を教わることになります。
1939年9月、ソ連の支配下となり、三家族の家にもソ連兵がやってきます。ポーランドの夫は軍人ですので、どう語られていたかは記憶がありませんがすでにいなくなっています。妻ワンダが、ソフィアに娘のテレサを頼むと言い残して連行されていきます。シベリアの収容所送りになります。
1941年、ナチスドイツの占領下となり、ユダヤ人への迫害が始まります。ユダヤ人夫婦には出頭命令が下されそのまま戻らなくなります。映画は語っていませんがその後登場しませんので、強制収容所へ送られホロコーストの犠牲となったということを示しているのでしょう。
ドイツ占領下、ドイツ軍人が同居する…
ユダヤ人の娘二人はソフィアが匿うことになります。この時一緒に暮らすのは、ソフィア夫婦と子どもたち、ヤロスラワ、テレサ、ユダヤ人の娘ディナと妹(3歳くらい…)になっています。
ナチスドイツ占領下のこの期間が一番長く描かれています。ユダヤ人の家ですので当然ドイツ兵がやってきます。ソフィアは娘二人を大時計の中に隠します。それなりに緊張感があるシーンです。こうした危機的なシーンはその後2シーンほどあります。
子どもたちは遊び盛りですので外にも出たがります。それを歌を歌うことで気晴らしにしたりしています。ある時、ユダヤ人の下の子どもがいなくなり大騒ぎなります。結局、地下室に入っていたのですが、そのときネズミに噛まれ、それが原因で亡くなります。
重苦しく息苦しい日々が続きますが、さらに悪いことに上階にドイツの軍人家族が移ってきます。ヤロスラワは屈託なくドイツ人家族にもキャロル・オブ・ザ・ベルを贈ります。ドイツ人家族には同じような年頃の男の子がいます。ソフィアが音楽教師であることを知り、息子に歌を習わせたいと言います。ソフィアは受け入れざるを得ません。
ところで、ソフィアの夫のミハイロですが、わりと早い段階からところどころでなにか政治的な活動をしているような動きがあり、レジスタンスなんだろうと思っていたのですが、映画はそのことを具体的に示すことなく、ある時ドイツ兵に拘束されそのまま処刑されてしまいます。
ソフィアは子どもたち3人を抱えて生活にも困窮することになります。ただ、さほどそうしたシーンはありません。この映画は全体として、よく言えば上品、悪く言えば説明的で淡々とものごとが進んでいきます。
1944年から45年にかけてドイツ軍が敗退し始めます。ある時ドイツ人の子どもがひとりでソフィアの家の前に立っています。これまた映画は何も語りませんが、ドイツ人夫婦は拘束されたのか殺されたのでしょう。ソフィアはそのドイツ人の子どもも匿うことにします。ユダヤ人のディナは許せないと言いますが、ソフィアは子どもに罪はないと諭します。
そして再び、ソ連の占領下に…
ドイツ軍が去り、再びソ連軍がやってきます。ソフィアの家にもソ連兵がやってきます。ソフィアを拘束し、子どもたちは施設に送られることになります。ドイツ人の子どもが逃げ出します。ソ連兵によって射殺されます。その後ソフィアがどうなったかは語られません。
ただ、この後にシベリアの収容所のシーンがワンシーンあり、そこにいたのがソフィアだったかも知れませんし、1939年にロシア兵に拘束されたポーランド人のワンダだったかも知れません。
そして戦後のいつか、どこか、ソ連の行政官(よくわからない…)の前に座るワンダ、ふたりの子どもはいいが、ひとりはダメだと言われています。ことの流れからいきますと、ワンダはテレサとディナを引き取ることが出来たのだと思います。
という三家族の苦難の歴史ドラマですが、この映画にはその数十年後(1990年代だったか、年数が出ていたが…)ヤロスラワ、テレサ、ディナの3人がニューヨークで再会するシーンが最後にあります。
ポーランド人のテレサは有名な歌手になっています。ニューヨーク居住なのか、公演のためなのかわかりませんが、空港でディナと会い、そしてヤロスラワを待ち受け、3人が再会し抱擁しあいます。そのシーンに子どもの頃の3人のカットがかぶさって終わります。
実はこの映画、このニューヨークのシーンから始まり、途中に2、3シーンが挿入されていますので、あるいはテレサの回想という意味合いなのかも知れません。
現実が重ね合わされることに…
この映画、ウクライナでは今年2023年の1月から劇場公開されたそうです。ウクライナでのプレミア上映はこの映画の舞台となっているイヴァーノ=フランキーウシクで行われ、その後のリヴィウの上映では計画停電の間、観客がウクライナ民謡を歌って上映を待ったそうです。
記事にはキーウでの上映の写真があり、ウクライナの著名な映画人が応援のために駆けつけたとあります。
この映画自体は2022年2月24日以前に撮られたものですので政治的プロパガンダを意図したものではないようですが、かなり押さえられているとはいえ、描かれるロシア兵の無慈悲さや残虐性は現在進行中の現実が重ね合わされてしまうことになると思います。
映画は終始説明的で映画的に特に見るべきものがあるわけではありませんので、おそらく今でなければ日本で劇場公開されることはなかったと思います。