ズーラとヴィクトルを翻弄したのは冷戦か? 愛そのものか?下の予告映像にグッときてこの映画を見たとしたら、見終えた後、どう評価すべきか迷うかもしれません。
映画『COLD WAR あの歌、2つの心』6月28日(金)公開 特報予告
この映画、想像力をフルに発揮して見ていませんと、いや、それでも初見では難しいかもしれませんが、なかなか感動に浸るというところまではいきません。ただそれは、どうやらパヴェウ・パヴリコフスキ監督の狙い通りということのようです。
1949年からの15年間、ポーランド、ベルリン、パリ、ユーゴスラビア、そして再び、パリ、ポーランドと場所を移すたびに出会いと別れを繰り返していく男女を描いています。しかし、なぜふたりが求めあいつつも別れを繰り返すのかは描いてはいません。描こうとしていないということです。
公式サイトの監督コメントにはこうあります。
人生の物語を綴ることなんてできない。そこに因果関係の理屈を押しつけると、とても安っぽい場面やダイアローグの連続になってしまうし、演出もひどく貧相なものになりがちだ。どうしたものかと呻吟した結果、こうした省略的な描き方に行き着いた。(公式サイト)
なるほどそういうことかと思いつつも、基本的に物語を語る、あるいは生み出す表現媒体である映画が、この映画のように、ふたりにとって現にそこにある物語を省略することで映画をつくることにどんな意味があるのだろうという疑問が沸いてきます。
その手法を否定しているわけではありません。
ある事柄があるとして、そこから物語性を剥ぎ取ってしまって見えるものは何かという視点で映画を撮るのであれば、それは理解できます。しかし、この映画がやっていることは、物語のある部分を省略、まさに省略です、言い方を変えれば、編集でカットしたということに等しいわけです。
「因果関係の理屈を押しつけると、とても安っぽ」くなるという考え方も理解はできます。ただ、安っぽくなるのを避けるためにこの手法を取ったんだろうということを好意的に受け取るにしてもなお、それを安っぽくならないように描くことこそが、映画であることの意味ではないかと思います。
もっと単純に言えば、ふたりの物語は省略するにしても、なぜその状況になったか、何が起きたかなどふたりのまわりの一定程度の客観的状況を語らなければ、見るものへの負荷が高くなりすぎるということです。ダイジェスト版のような映画になっていないかということです。
で、見終えて後、多少調べながらこの映画が省略していることを想像してみますと、映画を見ている時には、え?何が起きたの? どう繋がっているの? に気が取られ、気づかなかったことがたくさんあるのではないかと思えてきます。
まず、映画の背景である1949年から1964年という時代をみてみますと、このふたりの物語は大きな時代の動きの中で起きていることがわかります。言うまでもなくヨーロッパでの第二次大戦終結が1945年の5月、ポーランドはその後のかなりの混乱期を経て1948年にソ連の傀儡政権ポーランド統一労働者党(以下、PZPR)の一党独裁体制になっています。世界的には、原題の「Zimna wojna(Cold War)」のとおり、東西「冷戦」の時代ということになります。
1949年、戦後4年です。曲がりなりにも世の中が落ち着きを取り戻し始め、芸術面においても動きが出始めたのだと思います。そして、おそらくですが、国家(的)プロジェクトとして、音楽監督兼ピアニストのヴィクトル(トマシュ・コット)とイレーナ(アガタ・クレシャ)を中心にして民族歌舞団の立ち上げが図られたのでしょう。政府側の責任者としてカチマレク(ボリス・シィツ)がいます。
団員のオーディションです。ワルシャワではなく地方都市と思われます。トラックの荷台から女性たちがぬかるんだ地面に降り立ち、オーディション会場に入っていきます。
順番を待つズーラ(ヨアンナ・クーリク)が隣の女性に何を歌うの? と尋ねます。その女性が歌い始めますと、ズーラはハミングで後に続き、それ知っている、デュエットしない? と持ちかけます。
このズーラの登場は、ヨアンナ・クーリクさんの顔立ちもあり、自由奔放さとまだ洗練されていない野暮ったさの魅力が存分に発揮されています。20歳前後の設定だと思いますが、クーリクさん、現在37歳くらいです。違和感はありません。ジャンヌ・モローを彷彿とさせます。
ヴィクトルも(って、私も(笑))、その魅力にやられたのでしょう、イレーナはあまり乗り気ではありませんが、ヴィクトルが強く押します。この時、イレーナは彼女は前科者よ、父親を殺したらしいと言っています。後に、ズーラ自身がヴィクトルに、私を母親と間違えたからよ、でも死んでいないわと言っています。
この映画、監督が「3番目の登場人物」と話すくらい音楽が重要な役割を担っています。基本となるのはマズルカ、ポーランドの民族舞踊や舞曲を指す言葉です。ショパンがたくさん書いていることくらいしか知らないのですが、この映画の民族歌舞団はそのマズルカを演奏し踊る歌舞団ということです。
思い返してみますと、このマズルカが映画の進むに連れて変化して描かれていることに気づきます。
まず、映画の冒頭に、何シーンか実際のポーランドの(と見える)農民が歌い演奏するシーンがあります。トラッドな印象ですので、あれがマズルカの原型となる農村マズルカと呼ばれるものなのかと思います(間違っているかも知れません)。
ズーラがもう一人の女性と二人で歌うシーン、これも素朴な印象の美しい曲です。
そして歌舞団では、オーケストラ伴奏の合唱が主体となり、どんどんショーアップされていきます。
こんな映像がありました。テーマ曲でもある「Dwa Serduszka(ふたつの心)」が変化していく様が映像化されています。洗練されていくにつれ、良くも悪くも何かが失われていきます。そして、資本主義の象徴とも見えるジャズ化された曲にいたっては、何とも言えないこのやるせなさとけだるさ、ため息が出そう…(笑)。
Cold War. Love Story CLIP. Zimna Wojna. Холодная война.
この映像の最初にヴィクトルが録音しているカットがあります。それに俯瞰のカットで立っている男はカチマレクです。歌舞団設立のために農村マズルカを収集しているということだったんですね。
もう一度見ないといけないかも(笑)。
1951年、マズルカをステージショー化することで評価を上げてきた歌舞団はワルシャワ公演を行います。公演自体が政府の要請だったのかもしれませんが、その成功に目をつけたPZPRとソ連は、歌舞団をプロパガンダに利用しようとします。おそらくスラブ民族の民族意識高揚を図りつつ共産主義賛美が目的なのでしょう。
当然カチマレクは承諾しますが、それまでヴィクトルとともに歌舞団に力を注いできたイレーナは去っていきます。
ヴィクトルがどう考えたのかは描かれていません。それよりもズーラだったんでしょう。このワルシャワでズーラとヴィクトルは激しく求めあい結ばれます。
あるふたりがいるとして、惹かれ合うことを描く(見せる)のは簡単です。目と目を見つめ合う、それだけで十分です。結ばれるのを描くのも簡単です。キスをして抱き合えばいいだけです。この映画もそれは見せています。
このシーンだったと思いますが、ズーラがヴィクトルに、カチマレクに頼まれてあなたをスパイしているのよと言います。ズーラが川に飛び込み、水に浮かびながら Dwa Serduszka を歌うのはここだったと思います。
このあたりからズーラの人物像がはっきりしてきます、何を考えているかわからないという(笑)。それにカチマレクとも関係を持っていたのかもしれませんね。
1952年、ベルリン公演です。ステージの背景にはスターリンの肖像スクリーンまで現れ、演奏曲の中には「カチューシャ」まで加わっています。ステージから客席を撮ったカット、(おそらく)PZPRとソ連の政府関係者でしょう、整然と居並ぶ様子が象徴的に挿入されています。
ベルリンの壁が一夜にして築かれたのは1961年のことですので、まだ壁はありません。しばらく前に見た東ベルリンの高校生たちが集団で亡命する「僕たちは希望という名の列車に乗った」という映画が1956年の話で、まだ多くの人々が日常的に東西を行き来していた時代です。
ヴィクトルはズーラにパリへ行こうと誘い、公演終了後にソ連占領地区で待ち合わせしようと約束します。
夜、じっと待ち続けるヴィクトル、しかしいくら待ってもズーラは来ません。
ズーラが物憂げに椅子に座っているカットがありましたが、何を迷って行かなかったのかはわかりません。パヴリコフスキ監督が言いたいことは、それを説明的に描きたくなかったということでしょう。
ヴィクトルはひとり西側に向かいます。このヴィクトルの心情は比較的想像しやすく、ズーラが来なくてもひとりパリへ向かうわけですから、第一にはパリ(西側)への憧れ、その裏にはおそらく歌舞団が主義主張のプロパガンダ集団になっていくことが嫌だったんだと思います。当然パリでの生活はズーラとともにということがイメージされているのでしょうが、ズーラが来ないのはきっとこうなんだろうと理解できてしまう何かがヴィクトルの中にあったんだと思います。
こんな感じで、この映画のズーラとヴィクトルの関係はすべてズーラが主導権を持っています。男性監督の映画には多いパターンなんですね、これ(笑)。
1954年、パリ、ヴィクトルはクラブのピアノ弾きで生活しています。ズーラがパリ公演のためにパリにやってきます。経緯は記憶できていませんが、深夜のカフェでふたりは再会します。なぜ一緒に来なかった?と尋ねるヴィクトルに、ズーラは言葉がわからない、パリでやっていける自信がなかったような口実で答えます。互いに恋人はいるのか?と尋ね、互いにいると答えていたのもこのシーンだったと思います。
1955年、ユーゴスラビア、歌舞団が公演のために来ています。
ユーゴスラビアは国としてはすでにありませんが、その名前のとおり南スラブ人の国なんですね。この時代、ユーゴスラビアはチトー大統領のもとで、社会主義国でありながらソ連とは喧嘩状態でむしろアメリカ寄りの立場にいたようです。
公演会場、ヴィクトルが列に並んでいますとカチマレクがやってきます。このあたりのシーンの意味はよくわかりません。とにかく、かなり極端に省略されているわけですから、残されているシーンには何らかの意味があると考えざるを得ず、その意味でも、とにかく見ていて疲れます。
公演中、ステージ上のズーラが客席のヴィクトルを見つけるカットがありますが、会うことはありません。カチマレクの指示なんでしょう、ヴィクトルはパリに強制的に送還されてしまいます。ポーランドとの関係は良好だったということでしょうか。
1957年、パリ。正直なところ、ここは見ていてもかなり混乱します。ですので記憶も曖昧です。
ズーラがヴィクトルに会いにパリへ来たんだったと思います。ズーラは、イタリア人と結婚し合法的にポーランドを出たと言います。ヴィクトルには詩人(作詞家?)の恋人がいます。クラブのピアノ弾きであるとともに作曲家(?)としてもある程度の成功を得ているようです。
このパリのパートは、ふたりの関係が最も濃厚に(?)描かれているシーンです。と同時に資本主義的退廃感に満ちています。ズーラがクラブでジャズバージョンの Dwa Serduszka を歌うのもここです。ズーラのレコーディングのシーンもあります。そのレコーディングの曲の歌詞を書いているのがヴィクトルの(元?)恋人です。ズーラの嫉妬の表現でしょう、その歌詞にいちゃもんをつけて混乱させます。クラブで酔っ払ったズーラが Rock Around The Clock で踊り狂うシーンもあります。何がきっかけだったか、ふたりは口論となり、ヴィクトルはかっとなってズーラを殴ってしまいます。
ズーラは突然ポーランドへ去ってしまいます。イタリア人の夫はどうなったのかも、何も語られません。ヴィクトルも後を追います。
1959年、ポーランド、ヴィクトルは刑務所に収監されています。祖国を裏切った罪だったように思いますが、15年の刑を言い渡され、また、スパイ容疑の拷問なのか、ピアノは弾けない手になっています。
ズーラが刑務所を訪ねてきて、私が必ずここから出すと言います。
1964年、ヴィクトルは釈放されています。カチマレクはズーラの力で釈放されたんだと話します。この間何があったのかわかりませんが、ズーラにはカチマレクとの間に子供がいます。
そしてラスト、ズーラとヴィクトルは、バスに乗りポーランドの田舎(原風景?)に向かいます。
話はそれますが、あのバスが走る十字路、「イーダ」にあったシーンの場所にそっくりです。同じ場所かもしれません。
ふたりは、廃墟のような教会で神の前に跪き結婚を誓います。しかし、祭壇には睡眠薬数十個が一列に並べられています。ズーラは身体の大きさに合わせて飲むのと言い、6割方をヴィクトルに渡し、残りを自ら口に入れ噛み砕き飲み干します。二人は手を携えてフレームアウトしていきます。
心中なんですが、カメラ固定のままふたりにフレームアウトさせていることにどんな意味があるのでしょう。わかりません。
長くなりましたが、こうやって見てきますと、ふたりの愛憎(ちょっと違うかも)部分は省略するにしても、結局、ふたりの物語自体は語っているわけですから、状況説明的なことをも省略する必要はないように思います。説明的に描かない方法だってあるように思います。
それに愛憎部分にしても、ひとが惹かれ合うことについては、ふたりの間に何らかの外的障害がなければ、多くの場合そこにドラマが求められることはありません。単純化すれば、見つめ合えばいいだけのことです。
結局、描く描かないの問題は別れです。
そもそもひとの「別れ」って、このズーラとヴィクトルもそうですが、どんなにベタに描いたとしても、別れに「因果関係の理屈」なんてないと思いますけどねえ…。
ズーラとヴィクトルの間の何を省略したのか無茶苦茶興味のある映画です。