Dear Stranger/ディア・ストレンジャー

真利子哲也監督「NINIFUNI」で感じた映画の強さはどこへ…

ディストラクション・ベイビーズ」「宮本から君へ」の真利子哲也監督が全編ニューヨークロケで撮ったという映画、主演は西島俊秀さんと「薄氷の殺人」「鵞鳥湖の夜」のグイ・ルンメイさんです。

Dear Stranger/ディア・ストレンジャー / 監督:真利子哲也

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ネタバレあらすじ

ほぼ全編英語ですし、日本、台湾、アメリカ合作となっていますし、どういう経緯でつくられた映画なんでしょう。

公式サイトには、真利子哲也監督が「2019年3月から1年間、ハーバード大学ライシャワー研究所客員研究員としてボストンに滞在。シカゴ国際映画祭の審査員として招かれた際に、本作の構想をはじめる」とちょっとだけ関係のありそうな記述があります。

製作に東映が入っていますのでその流れでググっていましたら、東映の海外戦略の一環との記事がありました。東映は昨年2024年4月に国際営業部内に企画戦略室を新設して、その第一弾として真利子哲也監督所属の株式会社ロジとの共同製作となったようです。アニメーションだけではなく実写物でもということなんでしょうか。

以前からそうした流れは始まっているんだろうとは思いますが、アイドル映画を除けば実写映画は国内だけでは採算が取れなくなっているのかも知れません。

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賢治、ジェーン夫婦のすき間風

ニューヨークで暮らす賢治(西島秀俊)と台湾系アメリカ人ジェーン(グイ・ルンメイ)の夫婦の関係を軸にサスペンスタッチで進みます。

賢治はニューヨークの大学で建造物と廃墟の関係を研究する助教授です。教授からも期待されており、学生の評判もよさそうです。ジェーンは人形劇団の中心人物であり、公演を控えています。また、ジェーンは父親が倒れたために両親の食料品店の店番もしなくてはいけないようです。

そんな二人の間には4歳のカイがいます。ジェーンは家事に育児に両親の面倒と時間に追われる日々です。賢治はカイの面倒はみますが他に何か家事をやるシーンはありません。夫婦間のすき間風に家庭内男女格差も意識されているのかも知れません。

ある日、ジェーンがカイとともに両親の食料品店の店番をしていますと数人の黒ずくめの強盗に押し入られます。知らせを聞いて駆けつけた賢治はジェーンから拳銃を渡され、車に隠します。

また後日、二人が共用している車に落書きをされます。賢治は知り合いの修理工場へ持っていき、そこで車体全体に落書き(これはペインティングかも…)がされた車を見ます。オーナーは娘が付き合っている男(以下、男…)の車だと言います。男はオーナーにも反抗的です。

ジェーンが公演のために人形を使って練習をしています。このシーンは美しいです。

また、ある夜、賢治が預かった拳銃を持ち、劇場の廃墟と思しき場所に行き、天井に向けて1発発射します。

また、ある夜、ジェーンが人形が壊れたとの知らせを受けて劇団の稽古場へ行き、人形を使って動きを試したりします(ということじゃないかと思うがよくわからない…)

すでに二人の間にはすき間風が吹いているようです。ジェーンはセックスもないと言っています。

という、率直に言えば、映画が向かっている先が見えないままかなり間遠い感じのシーンが続きます。

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誘拐事件、そして思わぬ解決編へ

ある日、賢治はカイを連れて大学に行きます。教授や大学の理事長と話している間にカイが見当たらなくなります。大学やあたりを探し回りますが見つかりません。

誘拐事件となり、刑事がやってきます。刑事が誘拐は身内の中で起こることが多いと言うその前で二人は互いに非難しあっています。刑事が二人別々に職務質問し始め、ジェーンがショックと疲労で倒れ、賢治は犯人扱いされていることに苛立ち刑事を追い出します。

シーン変わって、誘拐犯がカイを連れて廃墟に入っていきます。修理工場にとめられていた車の持ち主の男と修理工場のオーナーの娘です。娘がここは私のハイスクールだったと言っています。カイが怖がる様子はありません。カイと娘が戯れているとき、カイが拳銃を手にし発砲してしまいます。拳銃は賢治が車に隠しておいたものを男が盗んできています。

このあたりだったと思いますが、賢治のはっきりしない行動のシーンが挿入されています。賢治が食料品店の防犯カメラ映像を調べて、店の前に駐められた車は修理工場で会った男のものであり、男たちの一人もあの男であることを知るシーンもあります。

ジェーンにカイが発見されたと連絡が入ります。カイはガソリンスタンドに置き去りにされていたとのことで、その後、修理工場の娘が拘束されます。娘は男がカイは自分の子だと言っていたと語ります。

映画の中から男のことが消えてしまっていますが、男は死んで発見されたということのようで、刑事はカイの誤射によるものかもしれないとカイに事情を聞こうとします。賢治はやめてくれと興奮状態です。

そして、一見すべてが日常に戻ったように過ぎていきます。

賢治は大学で講演をし、建造物と廃墟について語り、批判的な質問に対して興奮して言い返し、日本語で「諸行無常」とつぶやいています。ジェーンの人形劇も公演の日となり、賢治もカイも客席で見ています。

ひとり抜け出した賢治がバーにいます。その居場所を察したジェーンがやってきます。賢治は興奮状態であの男と会っていたのかと責めます。ジェーンはあの男は私が妊娠したことを知り去っていったと言います。賢治は二人で育てるつもりだったと言いながらも、もう続けられないと言い出ていきます。

車を走らせながら、ジェーンに電話をする賢治、帰ってくる?と尋ねるジェーンに、帰ると答えたその時、賢治の車は修理工場の娘が運転する男のペインティング車に追突されます。娘があの男は大切な人だったと叫んでいます。

車から這いずりだした賢治のもとに刑事がやってきます。自分がやったと刑事の前に両手を差し出す賢治、刑事は賢治に手錠をかけます。

川辺(だったか…)に佇むジェーンとカイ、刑事がやってきます。振り返るジェーン。

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感想:「NINIFUNI」にあった強さはどこへ…

という映画ですが、物語自体に疑問も多いですし、全体としても流れがよくありません。シーンが変わるごとに、ん? としっくりこない展開が続きます。

食料品店が襲われた後にジェーンが拳銃を賢治に渡すことも後にその拳銃を使うための段取りにしか見えませんし、拳銃を車のラゲッジスペースに置くというのも考えられません。

賢治が修理工場に弁当を持っていくシーンも頼まれたかのような展開ですが、その前後がイメージできませんし、そこで男に会うことはともかくとして、あれだけ執拗に子どもに執着する男はこの4年間何をしていたんでしょう。刑務所にでも入っていたんでしょうか。

ジェーンは後に、男は子どもができたことを知って去っていったと言います。あれだけ男が執拗ということであればジェーンは嘘を言っていることになります。嘘なら嘘でジェーンをそうした人物像にしなければいけませんし、いずれにしも台詞が場当たり的過ぎます。

賢治が夜中に廃墟に行き拳銃をぶっ放すシーンも唐突で人物像として説明不足です。

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映画の軸が見えない

といった腑に落ちない点は後半にもたくさんあります。それはそれで大きな問題ですが、決定的なことは映画の軸がまったく見えないということです。

映画の基本プロットは夫婦の信頼関係が子どもの誘拐事件によってその過去が明らかになり崩壊していくということかと思いますが、そもそもこの夫婦は映画の最初から行き違いばかりで信頼関係は感じられません。映画を見る限り二人の関係は最初から最後まで変わっていません。変わって見えるのは殺人事件が起きているからです。

その殺人事件にしてもサスペンスになっていません。製作費の問題なのか登場人物が少なく仕方ないのかも知れませんが、誘拐犯人はすぐにわかりますし、その殺人事件にしても犯人は賢治しか考えられません。

そうした映画の軸が見えないこととともにもう一つ大きな問題があります。

賢治の廃墟研究とジェーンの人形劇が映画のテーマに絡んでいるようには見えません。言葉でいくら「崩壊」を語ったところで映画自体が「人間関係の崩壊」を描けていません。

人形劇にいたっては、そのシーン自体は面白く見ましたが、映画の中でどういう位置づけにしているのかは不明のままです。

ひとつもいいことを書けていませんが、問題はシナリオです。もっと夫婦の会話を増やしてその中から、あまりよくわかりませんでしたが「廃墟」ひいては「崩壊」の価値観の違いを表現すべきだったんだと思います。

英語にこだわることはないと思います。一部興奮状態になりますと日本語や中国語になるシーンがありましたが、ああしたシーンを増やして二人の関係に重点を置けばよかったように思います。

NINIFUNI」で真利子哲也監督に感じた映画の持つ力をもう一度取り戻して欲しいものです。