ホラーではなく、17,8世紀ヨーロッパの歴史もの…
今週公開の映画の中から「デビルズ・バス」を選択しました(笑)。ホラーに興味もないのになぜ? ですが、あいにく他にないからということです。
でもホラーじゃなかったです。17,8世紀ヨーロッパの歴史ものでした。

近世ドイツにおける代理自殺:罪、そして救済…
もちろん映画は創作ですが、ベースにしている研究書があるとのことです。17世紀から18世紀にかけて中央ヨーロッパやスカンジナビアにあった「suicide by proxy」という風習(犯罪?…)について書かれたものです。suicide by proxy はグーグル翻訳では「代理自殺」と訳されます。
著者はカリフォルニア大学デービス校の准教授キャシー・スチュアートさんです。
17世紀から18世紀にかけて自殺は罪であり救われないという信仰のもと、自殺願望を持つ者が自ら罪を犯して告解の後に処刑されることで罪を逃れようとした「代理自殺」という事例がたくさんあったということです。
特に幼い子どもを殺害する女性が多かったらしく、そのわけは子どもは罪がなく天国へ行けるということからその子どもを殺して自分も罪人ではあるが信仰の上で救われようとしたということです。
キャシー・スチュアートさんはジェンダー史の研究者でもありますのでその視点からの研究でもあるようです。
映画の脚本は監督でもあるお二人、ヴェロニカ・フランツさんとゼヴリン・フィアラさんで、執筆にはこの研究書だけではなく当時の裁判記録も参考にしているとあります。
The film is based on the book Suicide by Proxy in Early Modern Germany: Crime, Sin and Salvation by Kathy Stuart, as well as the criminal trial records for Agnes Catherina Schickin (Württemberg, Germany, 1704) and Eva Lizlfellnerin (Puchheim, Austria, 1761-62).
キリスト教と土着信仰がくっついた?…
18世紀の中頃のオーストリアの山間の村の設定です。設定自体が現在とはかけ離れている上にほとんど説明的なシーンがなく、何を見せようとしているのかわかりにくい映画です。
率直に言いますと面白くはありません。
基本プロットは、アグネス(アーニャ・プラシュク)が隣村(の感じ…)のヴォルフ(ダーヴィド・シャイト)と結婚します。しかし、結婚生活もうまくいかず、村の住人とも馴染めず、次第に心を病んでいきます。一旦実家に戻るものの再び連れ戻され、さらに状況は悪化します。
アグネスは自殺を図りあれこれありもうまくいかず、「代理自殺」を実行します。村の子どものひとりを殺し、その後告解し、爆発的に笑いそして泣きます。
アグネスは処刑により首をはねられ、その首から吹き出す血はバケツに集められます。村人たちはわれ先にとその血に群がりお金を支払って器にもらっています。
という映画です。
キリスト教と土着信仰がくっついたみたいなことにもみえますし、これがキリスト教の本質、特にディープなヨーロッパの価値観として流れているようなものにも感じますし、いずれにしても怖いですね。
ウィキペディアのプロットによれば…
とにかくわかりにくい映画です。どういうことなのかウィキペディアで確認しましょう。
映画冒頭は、女性が自分の子どもを滝から投げ落とし、その後告解し、そして首をはねられ、指が切断されるシーンで始まり、タイトルとなります。
その後はアグネスとヴォルフの結婚式のシーンがわりと賑やかに進みます。
アグネスはとても信心深い人物として描かれています。アグネスは子どもを持つことが願いです。結婚式の夜、そうなるだろうと待ち受けるアグネスですが、なんとヴォルフはアグネスに後ろを向けと言い、自分はそのまま自慰をして眠ってしまいます。
よくわからないシーンなんですが、ウィキペディアのプロットには結婚式のシーンの中でヴォルフがレンツ(後に自殺する男…)にハンサムだねと言い、レンツも好きだよと返したとありますので、ヴォルフは同性愛者だったいうことなのかも知れません。レンツの自殺も唐突でしたのでそうした含みがあるのかも知れません。
翌朝、寝過ごした(ようだった…)アグネスはヴォルフを探し回り、森の中で首を落とされて椅子に座った女とその横にその首が置かれている場所(祭壇のよう…)を見つけます。冒頭のシーンの女だと思います。それにアグネスが兄か弟からもらい、ベッドの下に隠していた棒状のものは切り落とされた女の指だということです。
レンツの自殺も映画の流れ的には唐突で意味不明ですのでやはりヴォルツと同性愛の関係だったのかも知れません。それに自殺は救われないことを示すためのシーンでもあるのでしょう。レンツの母親は自分が埋葬すると喚き散らしますがそれは許されず森の中に捨て置かれます。神父は自殺は罪だから埋葬できないと説教していました。
といったことは事前に知ってみないとわかりにくい映画です。
それにしても、この映画を日本で公開しようと買い付けてきた配給の担当者の考えを聞いてみたいものです。
ホラーでもありませんし、もちろんエンターテインメントでもありませんし、面白くありませんし、仮に女性が置かれていた立場を感じてもらおうと考えたとしてもこの映画から現代的意味を引き出すのは無理があります。
まあ、どうこういっても日本で公開される映画を見ようとすれば、そうしたフィルターを通した映画しか見られないわけですから嘆いても始まりません(涙)。