『エマニエル』のフェミニズム的転回だとは思うが、その前に映画的展開が…
「あのこと」、この邦題は勘弁してほしいのですが私がどうこうできるものでもないので仕方なく「あのこと」のオードレイ・ディヴァン監督が、あの「エマニエル夫人」をリメイクしたそうな。
ファーストシーンとラストシーンだけでいいかも…
多分、これ、リメイクではないです。多分というのは、そもそも1974年の「エマニエル夫人」を公開時に見ておらず、おそらくDVDで見たであろうというあやふやな記憶しかないからです。
そのあやふやな記憶の上での話ですが、現代に置き換えてということですので設定は異なるにしても、この映画のエマニュエルには夫もいませんし、超エリートのキャリアウーマン(他に言葉はないのかね…)です。
それに2、3あるセックスシーンを経てもエマニュエルが変化していきません。最初から最後までエマニュエルは変わりません。そう見えます。
エマニュエル(ノエミ・メルラン)は超高級ホテルチェーンの調査員です。経緯はほとんど描かれませんので(多分シナリオにもない…)よくわかりませんが、オーナーなのかCEOなのか経営者直属のスタッフとして香港のホテルの調査に来ています。オンラインでホテルのランキングが落ちているとか、GMのマーゴ(ナオミ・ワッツ)を解雇するネタを探せとか言われていましたが、そんな話はおっぽり出されたまま進みますので無視していいです(笑)。
映画冒頭には、エマニュエルが飛行機のトイレ(ファーストクラスなのでそれなりに広くきれいに演出されている…)の中で乗客の男とセックスをするシーンがあります。エマニュエルが男を誘うように入っていきますともう次のカットではエマニュエルが鏡の前に後ろ向きになってドレスを上げ、男が後ろから挿入するシーンです。
で、その次はエマニュエルがトイレから出てくるカットにそれを見つめる男のカットと進みます。その男が後に重要な役割となるケイ・シノハラ(ウィル・シャープ)であり、映画のラストシーンが、そのケイが見る(正確ではない…)前でエマニュエルがもうひとりの男とセックスをするということになります。
このファーストシーンとラストシーン、そして映画中頃にあるケイがエマニュエルに飛行機の中のセックスについて言葉で語らせるシーン、この3つのシーンだけの映画です。
他のシーンはあってもなくてもいい映画です。
セックスにおける男の攻撃性の無力化か…
書くことがありませんので引き伸ばしているようなレビューになっています(笑)。本当に書くことがないんです。
なぜオードレイ・ディヴァン監督は「エマニエル夫人」をリメイク、ではなくエマニエル・アルサンさんの『エマニエル』を映画化しようとしたんでしょう。
考えられるのは女性の性愛や快楽のフェミニズム的転回を狙ったんじゃないかということですが、どうでしょう、この題材では無理じゃないかと思いますけどね。
確かに、単純化すればファーストシーンのセックスは受動的、ラストシーンは能動的となっていますし、ラストの方では、エマニュエルが自らの快楽のために望む行為を言葉にし、それをケイが広東語に訳し、香港人の男がその行為をするというシーンになっています。
男性が自らの性的嗜好として、女性に指示して自慰をさせるという設定は一般映画でもありますが、このラストシーンはそうしたエマニュエルの自慰行為にも見えてきます。
ああ、それが意識されているのかもしれませんね。このラストシーンでは実際に行為を行う男に意志はありません。あまり詳しく言葉で書くことはできませんが、エマニュエルから離れて立つケイが舐めろとか入れろとか指示して男は動きます。しかし、その指示は単にエマニュエルの指示をケイが訳しているだけです。鏡みたいなものです。
そう考えてきますと、ケイを意味なくミステリアスな男にしてあるのもこのラストシーンのためかもしれません。さらにケイはもう欲望は消え失せたなんて意味不明なことを言っていますし、それに対してエマニュエルにはインポテンツ?などと直球でぶつけさせています。ケイは何も答えていません。
セックスにおける男性の攻撃性、能動性、快楽性が完全に無力化されています。
セックスシーンの撮り方に新しさを…
ただねえ、仮にこの映画がそうした方向性でつくられているとしても映画としてのまとまりを欠いています。あれこれ一度持ち出したものをおっぽり出して知らんぷりってのはダメでしょう(笑)。
そもそものマーゴの調査はどうなっちゃったの? 24時間(だったかな…)で結果を出せとか命令されていたのはどうなっちゃったの?
GMのマーゴが音を出さずに改修工事をしていることを自慢していたこととか、マーゴがホテル内で売買春行為を容認しているとか、台風が来てそれが原因で水浸しになったこととか、なんとかという秘密クラブでは富裕層が女性にダイヤモンドを飲ませて楽しんでいるとか、その秘密クラブに行ってみればなんのことはない地元の香港人が賭け麻雀をやっているだけとか、一体何が映画の本筋かもわからないまま終わるというのはさすがにダメでしょう。
オードレイ・ディヴァン監督は脚本家としてのキャリアが長い方ですがどうしちゃたんでしょう? この映画がシナリオのままならシナリオがひどいということです。
それにもっと残念なことはセックスシーンの撮り方にまったく新しさのないことです。撮影監督は Laurent Tangy ロラン・タニーさんとなっています。
次回作を期待するしかありません。