傲慢と善良

「傲慢」も「善良」も、え?と言うほどの今どきのラブストーリーでした…

『高慢と偏見』が意識されているんだろうと思い興味を持ったのですが、見てみれば、「傲慢さ」もほどほど、「善良さ」にいたっては何のこと? という程度の今どきのラブストーリーでした。

傲慢と善良 / 監督:萩原健太郎

今どきのラブストーリー…

あらすじとしては、婚活アプリで知り合った西澤架(藤ケ谷大輔)と坂庭真実(奈緒)が紆余曲折を経て互いに愛し合っていることを確認し合うという話です。

これじゃあ簡単過ぎますね(笑)。でも、結果としてはわりと単純なラブストーリーで、「傲慢」と「善良」が入り乱れるような深い映画ではありませんでした。

まあとにかく、その紆余曲折を簡単に書きますと、まず設定ですが、架はブルワリーの経営者で、付き合っていた女性と別れた後に婚活を始めたもののなかなかぴったりくる人と巡り会えずにいます。一方の真実は、最近群馬から東京に出てきたばかりです。年齢は二人とも30代前半という設定だと思います。

で、架のほうが積極的になり、付き合い始めます。そして、1年後くらいだったと思いますが、真実が実はストーカーにつきまとわれていると言い出します。ある時、真実から助けて! 家にストーカーがいる!と架に電話が入ります。駆けつけた架が警察に電話しようと言いますが、真実は頑なに拒みます。そして、この騒ぎを機に二人は一緒に暮らすことになります。

しかし、ある日、真実が失踪してしまいます。架にはまったく心当たりがありません。

架は真実の姉(東京へ出てきていて子どももいる…)や群馬の両親に会い、真実の過去を知ります。と言っても、何か隠された過去があるわけではなく、真実は母親の言う通りに生きてきた女性で母親の望みで2度見合いをしたものの真実の方から断り、思い切って東京に出てきたことを架が知るだけのことです。

失踪した真実は佐賀にいます。経緯は何も描かれませんが、災害ボランティアとして佐賀に来て、そのまま留まったようです。訳ありの真実を見て受け入れてくれる人もいて、1年後くらいでしょうか、すっかり町に馴染んでいます。

その地ではみかん栽培が行われており、傷がついたりして売り物にならないみかんを使ってなにか町おこしができないかとの話になり、真実が架のブルワリーを紹介します。その紹介のシーンはありませんが、いくらなんでも偶然ということはないでしょうから、真実がこういうところがあるよと遠回し(計算ずく?…)に紹介したんでしょう。

で、架が佐賀にやってきて2人が再会することになります。架はもう一度やり直そうと言いますが、真実は遠回しに断ります。架が駅で列車を待っています。真実はその地で親しくなった人(女性…)に追っかけな(ちょっと違うけどそういう意味…)と言われて追っかけて、二人は熱く熱く抱擁し合います。

傲慢なのは誰なのか…

ということで、真実が失踪したわけは、その日、架の知り合いの女性二人に偶然会い、ストーカー話は嘘でしょと見抜かれていることを知ったからです。ただ、これはきっかけに過ぎず、普通に考えればこんな嘘にいつまでも耐えられるはずはなく、あえて映画のタイトルに沿って言えば、架の前で「善良」さを装っている自分にあらためて気付かされて惨めになったからでしょう。

まあ、真実の生き方や行為が「善良」という言葉で表現できるかどうかは疑問ですが、母親からいい子でいなさいと言われ続け、母親の望みどおりに生きてきた真実ですから、社会一般的にはいい子ねえと言われる人物だとは思います。

原作の辻村深月著『傲慢と善良』にはもう少し深い意味があるのかも知れませんが、さすがにこの映画に「善良」というキーワードを見出すことは難しいでしょう。

という意味では、むしろ真実の行為は「傲慢さ」にもとづいているとも言えるわけで、映画の中で群馬の仲人さんのような人が『高慢と偏見』を持ち出して能書きを言っていましたが、そもそも見合いも婚活も人を選ぶことですので、自分と釣り合っていないと思えば相手を見下すことになります。

このケースで言えば、真実はこの人こそは自分に見合う人だと思ったからこそ、嘘をついてでも自分のものにしたいと思ったということですので、これを「傲慢」と言わずして何と言おうかということになります。

一方の架について見てみますと、映画の意図がどこにあるのかはっきりしないにしても、この映画の架から「傲慢」さを見出すことはかなり難しいです。せいぜいが、婚活アプリで20人からの女性と会うもののピンとこないと言っていること以外にはその気配は見当たりません。

この架、あまり傲慢には見えないです。

ただ映画的には、従業員ひと桁のブルワリーとはいえ経営者ですし、映画の中ではしきりにイケメンと言われていましたので今どきの新富裕層(傲慢な?…)の設定なのかも知れません。でも、藤ケ谷大輔さんの架は誠実ないい人です。むしろ、架よりも友人たちが傲慢な人たちでした(笑)。ひとつ可能性があるとしますと、婚活アプリを介して付き合いながら1年してもプロポーズしないのは傲慢と言えるかも知れません。

俳優のバランスの悪さ…

という、わかったようなわからないような映画だったということで、物語から離れて映画の問題点をちょっと書いておこうと思います。俳優の話です。

奈緒さんと藤ケ谷大輔さんのバランスがあまりよくないです。

多分ですが、前半では架の「傲慢」さと真実の「善良(誠実)」を見せておき、後半になって、真実は自分の中の「傲慢」に気づき、架は真実を失ったことで「善良(誠実)」さを見出すという映画じゃないかと思います。

これが映画の意図かどうかはわかりませんが、いずれにしても藤ケ谷大輔さんの架はこうはなっていません。すでに書きましたが、藤ケ谷大輔さんの架は常に善良(誠実)な人物に見えます。奈緒さん演じる真実の、何を考えているかわからないような内面性には太刀打ちできていないということです。

結局のところ、よくも悪くも奈緒さん演じる真実に太刀打ちできる俳優を当てられなかったということですし、逆の言い方をすれば、「傲慢と善良」などという能書きを捨てて、そのものずばりのラブストーリーにすべき映画だということです。

原作がありますのでそういうわけにもいかないとは思いますが…。

それに映画としては全体的に冗長です。スクリーンで見るには退屈です。およそ2時間の映画にするよりも、むしろTVドラマ向きの題材ではないかと思います。うまくまとめらているドラマだとは思いますが、あくまでも深くこだわらない点においてということです。