内容はシンプルなのに撮影手法にこだわり過ぎであざとくないか…
昨年2023年のカンヌ国際映画祭で唯一上映されたロシア映画とのことです。ウクライナ侵攻以降、欧米や日本にはロシアの映画は入ってこないってことですね。まあ戦時統制下に近い状態だと思いますので国内ではいい映画は生まれないでしょう。
この映画はウクライナ侵攻前の2021年に撮られているそうです。でもこの映画なら今でもロシア国内で撮れると思います。
カバルダ・バルカル共和国から白海へ…
車上生活をする父と娘がロシアのコーカサス地方から北に向かって移動する話です。父娘は移動する先々の空き地で映画を上映し、その入場料や飲み物の販売、また違法コピーしたアダルトDVDを売ったりして稼いでいます。
どこからどこへ移動しているんだろうと海外の記事を探してみましたら、カバルダ・バルカル共和国から白海沿岸と書いている記事がありました。プレスリリースからの記事じゃないかと思います(未確認…)。
なぜそんな極寒の地に向かうかは娘が海へ行きたいと言ったからです。
一般的に映画で海へ行きたいという話ですと南の海を考えますが、ロシアで海といいますと北極海になっちゃうんでしょうか。黒海があるじゃんと思いますが、それですとほぼスタート地点ですからロードムービーにならないですね(笑)。
あるいは、娘には海に行きたい目的(ラストシーンでわかる…)があるわけですから映画では語られない北の海じゃないといけない設定があるのかもしれません。
父娘が行う移動映画館のシーンは2シーンあり、上のレビューにその映画のタイトルも書かれています。アレクセイ・バラバノフ監督の1997年の映画「ロシアン・ブラザー/Brother」とニギナ・サイフラエワ監督の2019年の映画「Fidelty」だそうです。
多分、ひとつ目のシーンの映画が「Fidelty」です。そのシーンでは大型のスクリーンを備えたトラックをチャーターしていました。あのシーン、投影している感じではありませんでしたのでLEDビジョンなんでしょうか。もしそうなら進んでますね。
超スローなパン、超スローなズームアップなど、超々…
で、映画ですが、特徴的なのは超スローなパンや超スローなズームアップや超引きのフィックスなどのカメラワークと台詞の少なさと引きの画やフレーム外に入っている誰のものかわからない台詞といった映画手法で全編が貫かれているという点です。
問題はそれが成功しているかどうかということになりますがかなり難しいのではと思います。どの手法も下手をしますと散漫になり、見るものの集中力を途切れさせる恐れのあるものばかりなのに、それに耐えうるだけの物語を生み出せていないのです。俳優、とくに娘を演じているマリア・ルキャノヴァさんの雰囲気はとてもよく、ラスト近くまでの8割くらいをただ鬱屈感だけしか感じさせられない物語というのはもったいないです。結局、2時間持たずに飽きてしまうということになります。
娘(マリア・ルキャノヴァ)が山間の小川で体を洗っています。何をしているのかわからなかったのですが、その後車に戻りますと中から女性がでてきます。娘はその女性に血が出たと言い、その女性が生理用品を渡し、使い方はわかるのと言います。初潮だったということなんでしょうか。
見た目の年齢に違和感はありますが15歳くらいの設定ということなんでしょう。また、その後車から父親(ゲラ・チタヴァ)が出てくることやその女性の去り方から父は女性とその場限りのセックスをしていたということです。娘の憂鬱もわかります。
車は生活空間ですので何でも揃っています。ベッドもありますし多少の収納も出来ますし、パソコンもプリンターもテレビもあります。車の外には自転車が固定されていますし(下の画像の反対側…)、仮設のシャワーも設置できるようになっています。車が古びていることや便利さを度外視すれば今どきのキャンピングカー並みです。いいなあなんて思っちゃいました(笑)。
で、娘が体を洗った後、車に戻るまでのカットでこの映画の手法がよくわかります。娘が米粒に見えるくらいの引きの画でそこが緑もなく石がごろごろとした荒涼な土地であることを示し、フィックスのまま娘がちょっとした谷のようなところから高台に上がりそして遠くにある車まで歩いていくところをじっと撮り続けるのです。
また、その後には父娘の車がくねくねとして道をただ走っていくところを俯瞰の引きの画で撮っているだけのシーンもあります。別のシーンでは、これまた荒涼とした風景のカットから入り、そこから超スローで360度くらいパンして建物がフレームに入ってきたと思いましたらそこに女性が座っていたりします。
これらの手法をどう感じるかは人それぞれだとは思いますが、何も意味を生み出さない(もちろんすべてがというわけではない…)台詞の数々などと考え合わせますと、やはりやり過ぎ感は強いですし、そう思い始めますとさらにあざとさを感じることになってしまいます。
チェキ、チェキでいこう…
なかなか映画に入れません(笑)。
娘はチェキを持っています。あるとき、洗面所で隣の女性をじっと見つめます。ん?なに?と思っていますと次のカット(間違っているかも…)では娘は車に乗っており、そこに父親がどこからかやってきてドアに手をかけますと、娘が離れたところに立っている女性3人(娼婦という設定だと思う…)を指差します。父親が女性たちのところに向かいます。そして次のカットは娘がその女性(横顔だったと思う…)をチェキで撮影しているのです。
おもしろいシーンだと思いますし、この後もチェキであれこれ撮るシーンが何シーンかありますのでこれをもっと生かせないですかね。余計なことですね(笑)。
旅は続きます。闇のガソリンを買ったり(上の画像のシーン…)、路上で本を売る男から本を買ったり、娘がショッピングセンターで生理用品(だと思う…)を買ったり、下着を試着したりするシーンが断片的に続きます。
そして、映画は後半、ふたつ目の移動映画館のシーンです。ここでは自前のスクリーンを貼り、車の上から投影しています。上映中にひとりの少年が映画がつまらないと言い娘に近づいてきます。その後はふたりで話す引きの画があるだけですのでなにが話されたのかわかりませんが、父娘がこの場を去るとき、その少年はバイクで追っかけてきます。
映画のポイントはこの少年なんですが、その前にこのシークエンスのよくわからない点を書いておきますと、翌日なのか昼間に父親とひとりの女性が車につけたタープの下で並んで座っています。娘は父親とその女性の関係を察しているのでしょう、どこかつっけんどんな印象です。また、アダルトDVDを売った10人ほどの子どもたちがDVDを見ているシーンがあります。その屋根裏部屋に上がり少年たちを凝視する女のカットがあります。そして、また陽が出ている昼間、突然10人ほどの少年たちが父娘をめがけて走ってきます。父子はヤバイ!といってタープを放ったまま車を走らせて逃げます。
この一連のシークエンスは一体何だったんでしょう。父娘の車は林の中を猛スピードで逃げます。なぜ? 私が落ちていたということでもないとは思いますが、とにかくよくわかりません。こうしたところをちゃんと描けばいいのにと思うばかりです。
これ以降、かなり集中力をなくしていますので記憶が曖昧ですが、追ってきた少年は父親に自分も連れて行ってくれと言います。父親は強くはねつけます(突き飛ばしていたかな…)。
少年がなぜいっしょに行きたいと思ったのか、あらゆることにそうですが映画はなにも語りませんので想像で言えば、娘に執着している、あるいは現実からの脱出願望といったところでしょう。
そして、娘は帰る…
できるだけ簡潔にレビューしようと思っているんですが、またも長くなっています。
かなり目的地に近づいています。しかし、魚の伝染病(ってなに?…)のせいで道路が封鎖されていたり、あまり脈絡なくいくつかのシーンがあり、最初に書いたぐるっと超スローのパンで女性のカットになります。父親は泊まるところを探していると言います。え? なぜ? ずっと車上生活しているんじゃないのとは思いますが、とにかくその気象観測所に泊まることになります。
父親がボイラーを直したりするシーンがあり、父親がその女性と関係する(した?…)らしき気配から娘がキレて荷物をまとめて少年とともに去ってしまいます。このとき少年は懲りずに後を追ってきているわけですが、その見せ方も例によってフィックスだったか超スローパンだったかで少年のバイクがフレームインしてくる手法をとっています。
娘と少年のシーン、少年が痛かったかと尋ねますと娘はよかったと言い、もう追ってこないで言い残して去っていきます。そのとき父親は娘がいなくなったと探し回っています。探しあぐねて座り込んでいる父親、これまたかなり引きの画です。娘が戻ってきます。無言で車に乗ります。
そしてラストシーン、白海です。娘が黒い壺(2、3シーンで見せている…)を持って海に入っていきます。母親の遺灰を海に散骨し、これまたラストカットはその娘が車に戻っていくところを超引きの画のまま捉えて終わります。
という映画ですが、そのラストシーン、そこで散骨したら遺灰は自分の方に戻ってくるよと心配しながら見ていましたら、くるっと振り向いて岸に向かって撒いていました。
てなことを考えていたわけですから、相当飽きていたんだと思います(ゴメン…)。