作家役のリリー・ジェームスが好印象
映画らしい映画、というのも変ですが、構成がしっかりしていますし、謎解きあり、恋愛ありで、最後はちょっと収め過ぎくらいにきっちりオチがついています。
映画の原題「The Guernsey Literary and Potato Peel Pie Society」と同名の原作があります。
監督は、公式サイトには「『フォー・ウェディング』の名匠マイク・ニューウェル」とあり、即座にはわかりませんでしたが、(私には)「コレラの時代の愛」の監督さんでした。
予告編を見た感じでは、「秘密」とされているのが第二次世界大戦時のナチス絡みでしたので、何かよくないこと、島の人たちの中での裏切りとか密告なのかなあとちょっぴりドキドキしながら見ていたのですが、よくないことは起きるにしても、正義の面が強調されていますのでとても気持ちよく見終えられます。
物語は、戦後2年目の1946年と戦中の1941年を行き来するように進みます。舞台となるガーンジー島は、1940年7月から1945年5月9日まで、ナチス・ドイツの占領下にありました。
第二次世界大戦の経過はあまり関係してこないのですが、本土ではないにしても、イギリスの領土がドイツに占領されていたことを知りませんでしたので、ちょっと調べてみました。
ノルマンディー上陸作戦の図なんですが、赤丸がこの映画の舞台となるチャンネル諸島のガーンジー島です。
で、またまた話が映画からそれてしまいますが、ウィキペディアにこんな記述があります。
ガーンジー(英: Bailiwick of Guernsey)は、イギリス海峡のチャンネル諸島に位置するイギリス王室属領(英: Crown dependencies)である。首都はセント・ピーター・ポート。
イギリス王室属領であり、イギリス女王をその君主としているが、連合王国には含まれない。そのため、内政に関してイギリス議会の支配を受けず、独自の議会と政府を持ち、海外領土や植民地と異なり高度の自治権を有している。 欧州連合にも加盟していない。したがって、イギリスの法律や税制、欧州連合の共通政策は適用されない。 ただし、外交及び国防に関してはイギリス政府に委任している。したがって、主権国家ではない。 (ウィキペディア)
「連合王国」に含まれなく、「欧州連合」にも加盟していなく、「自治政府」があり、ゆえに「首都」もあり、だけど「主権国家」ではないですって? 映画よりもこっちに興味が移ってしまいそうです(笑)。
それにしても地理的にはフランスに近いですね。パリがナチス・ドイツに陥落したのが1940年6月10日ですので、これだけ近ければ、そりゃすぐに占領されますわね。ガーンジー島が占領されたのは、翌月の7月です。
映画に戻ります。
1946年、作家のジュリエット・アシュトン(リリー・ジェームス)は、ガーンジー島に暮らすドーシー・アダムス(ミキール・ハースマン)から、あなたの住所と名前が記された本が手元にあるとの手紙を受け取ります。その本は、ジュリエットが(語られていたかもしれないが記憶になく、おそらく)戦争の混乱で手放した本であり、それもあってか、ジュリエットは強い思いを抱き、ドーシーと手紙のやり取りを続けます。
ドーシーが島で「The Guernsey Literary and Potato Peel Pie Society」という読書会を開いていることを知ったジュリエットはガーンジー島へ渡ります。
ジュリエットにはアメリカの軍人マークという恋人がいます。マークは、ハイソサエティーに属する、やたら花を送りつける人物として描かれており、パーティーシーンでは、頑張ってみるもののどこか居場所のないジュリエットです。また、ジュリエットはアパートメント住まいであり、新しく住まいを見に行きますが、かなり高級な住まいに対し自分に不相応だと断るシーンもあります。
つまり、この映画、かなりわかりやすく作られているということで、ジュリエットが、たとえ流行作家として裕福になったとはいえ、身の丈の生活から得られる幸せを望んでいることを最初に示しています。
また、ガーンジー島に渡るその時、マークから求婚され、それを受けます。
これもわかりやすい伏線で、きっとこの婚約は破棄され、(この時点ではおそらくですが)ドーシーを選ぶのだろうと予想させています。
映画って、え!? って思う展開も楽しいのですが、こうした映画のように、きっとこうなるよと感じさせて、やっぱりそうなったかと安心させられるのも、また楽しいものです。
で、映画は本題に入ります。
1941年の出来事は、ジュリエットが島に向かう前に明らかにされています。
ドイツ軍の占領下の島では、食料や家畜が収奪され、島民たちはじゃがいもだけのスープといった粗末な食事しかできなくなっています。ある日、ドーシーを含む仲間内で、隠しておいた豚や自家製ジンでパーティーを開きます。その帰り道、ドイツ軍の検問にあいます。何の集まりだ? と尋問されますが、とっさに仲間のひとりエリザベスが読書会だと答え、会の名前は? と聞かれ、「The Guernsey Literary and Potato Peel Pie Society」と答えるのです。「Potato Peel Pie」というのは、そのパーティーで出された「じゃがいもとじゃがいもの皮だけのパイ」のことです。
島に渡ったジュリエットですが、ドーシーにも知らせずに訪ねたこともあるのか、その歓迎ぶりにはどことなくよそよそしさを感じさせる描き方がされています。
こういうところがなんとなく嫌な予感を感じさせるのですが、それに反して、このジュリエットが実に行動的な人物で、その嫌味ないポジティブさで物語にテンポを与えてとてもバランスが良くなっています。
読書会のメンバーは、ドーシーほか、高齢男性エベン、高齢女性アメリア、中年女性アイソラ、そして10歳くらいの男の子と3歳くらいの女の子キットです。エリザベスがいません。キットはエリザベスとドーシーの子として育てられています。
そのエリザベスがいないことの理由が「秘密」ということです。
初めの方にも書きましたが、この映画がとても見やすい映画になっているのは、何かよくないことなのかなあという漠然として空気をつくりつつ、次第に明らかにされていく事実が、人の持つ善良さや美しい面で打ち消されていくことであり、それがガーンジー島の美しい風景と実によくマッチしているのだと思います。
ですので、この映画は結末にいたるその過程を楽しむべき映画で、そのオチだけ知ってもあまり意味はありません。それに、結末はかなりベタなものです。その意味ではテレビの連続ドラマ的とも言えます。
エリザベスはドイツの青年と愛し合うようになり妊娠します。ほとんど描かれませんが、島の住民からは白い目で見られていたことでしょう。
その恋愛のせいであったかどうか忘れてしまいましたが、その青年は本国に送還されることになり、その途中の船が攻撃を受けて沈没し亡くなります(だったと思う)。
女の子が生まれます。それがキットです。
そして、ある時、エリザベスはドイツ兵に追われている少年(誰だっけ?)を助けるため医者のもとに向かう途中に捕まってしまい、そのまま行方知れずということです。
今思い返してみますと、見ている時には気になりませんでしたが、これらの出来事は、ほとんど触りだけで突っ込んだ描き方はされていません。エリザベスとドイツの青年の話もすでに愛し合っているというシーンだけですし、青年が善き人であることも、ドーシーの豚が出産で苦しんでいるところを自分は医者だからと手助けするところだけです。
そうしたあまり深く入らないところがかえってよかったのかもしれません。何にしても、最後はジュリエットとドーシーのラブストーリーとして終わるわけですから。
ジュリエットとドーシーは互いに惹かれ合い始めています。そんな時、突然、ジュリエットの婚約者マークが軍用機で島にやってきます。
このマーク、好青年なんですが、エリート臭プンプンに描かれており、これもうまいですね。見ていて、ジュリエットよ、マークじゃなくドーシーにしなさいという気になってきます(笑)。
マークにしてみれば、わざわざやってきたことは何か予感がしたんでしょう。でもそこはエリートですのでプライドがあります。ジュリエットの気持ちが離れていきそうと感じてもそんな不安はおくびにも出しません。
それに、エリザベスの消息を調べてほしいと頼まれていたこともあります。単にジュリエットの心変わりを心配しただけじゃないところがシナリオのうまさでしょう。
ジュリエットから読書会の皆に、エリザベスが収容所で亡くなっていることが知らされます。映画的には、すでに誰もが予想していることですし、もうこの時点では、映画の軸はジュリエットとドーシーに移っています。
ジュリエットはマークとともに軍用機でロンドンへ戻っていきます。
気の抜けたようなジュリエットがしばらくあり、何がきっかけであったかこれまた記憶がありませんが、ある時、突如ガーンジー島でのことを一気に書き始めます。そして、マークとの婚約は破棄します。もちろん丁寧にごめんなさいします。
ドーシーのもとに、手紙とともにその作品が届きます。ドーシーは読書会の皆に背中を押されロンドンへ向かいます。ジュリエットもガーンジー島へ向かおうとします。そして港(ポーツマスだったかな?)、まさにすれ違いが起きようとしたその時、船上のジュリエットは港に降り立ったドーシーを見つけ、船から駆け下ります。
見つめ合うふたり、そして、ジュリエットの口からは、「結婚してください」と発せられるのです。もちろん、ドーシーは、「Yes」と答えます。
原作もこうなんでしょうか? 2008年に出版された小説ですのでありえなくもありませんが、映画が時代の流れを反映させたのかもしれません。
映画の冒頭は、ジュリエットのサイン会のようなイベントから始まっていましたが、そこでも男の名前(Izzy Bickerstaff)で書いていることについての質問があり、ジュリエットはジョークを交えて答えていました。
そうそう、ラストにもうワンシーンありました。
美しい風景にのどかな空気が感じられるガーンジー島です。ジュリエットとドーシー、そしてキットがピクニックに来ています。
オイ、オイ、まとめ過ぎだろうなどとツッコミを入れてはいけない映画です(笑)。
エンドロールには、いろいろな(のかもわからない)小説からの一行引用の読書会の会話が流れていましたが、何からの引用だったのかわかりませんでした。
ドーシーがジュリエットに手紙を書くきっかけとなった『チャールズ・ラム随筆集』、そしてジュリエットが送った同じくチャールズ・ラムの『シェイクスピア物語』、あるいはジュリエットの名前も『ロミオとジュリエット』からのものかもしれません。
原作を読めば、映画では曖昧になっていることがわかるのかもしれません。