逆光

脚本家渡辺あやの青春は挫折の記憶か?そしてノスタルジー

ワンダーウォール 劇場版」に出演していた須藤蓮さんの初監督作品です。脚本は渡辺あやさん、「ワンダーウォール」の脚本も渡辺さんですのでその縁のようです。

逆光 / 監督:須藤蓮

渡辺あや、須藤蓮

渡辺あやさんも須藤蓮さんもどんな方かはっきりとは認識できていませんのでいくつかネットの記事を読んでみましたら、渡辺あやさんはその名前で注目度が上がる脚本家のようです。「ワンダーウォール劇場版」以外では「天然コケッコー」をDVDでみたくらいです。

この映画を見たのは「ワンダーウォール 劇場版」にいい印象を持ったからですが、その印象は渡辺あやさんの脚本からのものだったのかもしれません。そう感じたこの「逆光」でした。当然須藤監督の手腕もあるのでしょうが、シーン構成がとてもいいですし、少ない台詞なのにそれぞれの人物が実在感をともなって浮かび上がってきます。脚本にいろいろ書き込まれているのでしょう。

たとえば、晃(須藤蓮)が幼馴染の文江(富山えり子)とすれ違うも無視し、翌日文江が晃をやや責め気味に話す流れなんてとてもうまいです。晃がタバコを吸いながら二階の吉岡(中崎敏)の部屋を見つめるシーンも台詞がなくてもあれだけ伝えられるということは脚本がよくできているということですし、それを須藤監督が的確に表現したということだと思います。

須藤蓮さんは現在25歳、「ワンダーウォール」が俳優としてのデビューだったようで、それが2018年、それから2、3年で「blue rondo」という自主企画を立ち上げ始め、同時にこの「逆光」を撮っているということになります。すごいですね。

70年代ノスタルジー

思い返してみれば「ワンダーウォール 劇場版」もノスタルジックな雰囲気を持った映画でしたが、この「逆光」ははっきりと1970年代の青春群像劇とうたっています。

渡辺あやさんは1970年生まれのようですから、その青春期はほぼバブル期、ただ大学卒業は就職氷河期に入っています。70年代への郷愁というわけではなく、挫折感からくるノスタルジーなのかもしれません。「ワンダーウォール劇場版」のレビューには青春の挫折は蜜の味なんて書きましたが、この映画にもそういうところがあります。

大学4年で留年の危機にある晃(須藤蓮)は夏休みに先輩の吉岡(中崎敏)を連れて尾道の実家に帰ります。吉岡は自分は6年生(だったか?)とうそぶき、ニヒルさを漂わせている男です。

晃の実家はそれなりに裕福な家らしく、常時家政婦さんが切り盛りしているようで、晃は坊ちゃんと呼ばれています。晃が幼馴染の文江とすれ違うも無視し、その後たまたま家で顔を合わせることになった際には、吉岡の前で、子どもの頃にいじめられていた坊っちゃんをこの文江さんがかばっていたんですよと笑いながら話したりします。

無為に過ごす夏休みが描かれていきます。尾道というロケーションもいいのか、画もなかなか美しいです。カメラワークもいろいろなことをやっています。タイトル通り逆光を意識しているようですし、仰角で撮ったり、カメラを傾けたり、暗さを強調したりと、ちょっとやり過ぎでまとまりがなく感じるくらいではありました。それにフェードアウトが多く、また黒味が長いです。

で、しばらくはそうしたノスタルジックな空気が続き、この映画の軸は何なんだろう?と気になり始めた頃に、晃が庭先でタバコを吸いながら吉岡が眠る二階の部屋を見つめるシーンがあり、その部屋の電気が消えます。

ああ、そういうことかとわかります。

晃は誰か女の子を誘って遊びに行こう考え、文江に誰かいないのかと尋ねます。文江はみんな町へ(だったか?)出ていてしまい、私とみーこくらいしか残っていないと言い、晃がみーこでいいよと言いますと、文江はあのみーこだよ答えます。

あのみーことの意味がどういうニュアンスの台詞かははっきりしませんが、ある種の侮蔑的な意味合いはあるのだろうと思いますので、もしそれが70年代を意識しての台詞だとしますと今的にはよろしくないのですが映画的にはうまいということです。

みーこ(木越明)を加えた4人で海へ行きます。その夜、すでにあった庭先のシーンが繰り返され、この時は二階の窓が開き、吉岡が日焼けで背中が痛くて眠れないと晃に声をかけてきます。晃は氷枕を持ち吉岡のもとへ持っていきます。吉岡の日焼けした背中(そうは見えなかったけど)を見つめる晃、そっと氷枕を置きます。

俳優としての須藤蓮さんもなかなかよかったです。

4人でお祭りに出かけます。このシークエンスでは70年代っぽさを感じさせるシーンをいろいろ入れていました。若者たちの自由な空間、ロックでのディスコ、車座の政治談義、それぞれ皆ちょっと違うなあとは思いますが、何となくそれらしき空気はありました。

みーこがいなくなります。そして吉岡もいなくなります。晃と文江は浜辺に探しに行き、晃は文江を待たせて、予感がしたのでしょう、一人で岩場に探しに行き、みーこと吉岡を目撃します。その夜、家に戻ってきた吉岡は岩場で足を切ったと言っています。

翌日、吉岡に電話がかかってきます。誰かと待ち合わせをしています。晃は吉岡に広島に行かないかと誘います。吉岡がお腹の具合が悪いと言い出します。家政婦さんが正露丸を探しますが、昨日はあったのになくなっていると言い買いに出ていきます。晃が吉岡の部屋に戻りますと、吉岡がにやにやしています。吉岡を見つめる晃の横顔のアップになり、しばらくあって、晃がかがむようにフレームアウトしていきます。

シーン変わり、晃は吉岡が東京へ帰ったと知らされます。浜辺の晃、文江、みーこ、みーこはさみしげに歌を歌い、晃は正露丸を海に投げようとし、文江はあの人は(吉岡)はそういう人よと言っています(だったと思う)。

物足りなさと期待と

やや尻切れトンボの印象ですし、後半全体としてもやや失速気味です。尺も62分と短く物足りません。やたらタバコを吸ったり、三島を持ち出したりとあざとさも目立ちますが、全体としてはそれぞれの人物像がふわっと浮いてくるようなとてもいい映画です。

あえて言えば、脚本としては、「ワンダーウォール 劇場版」でも感じた挫折の心地よさにまどろんでいるところから抜け出せていないと感じますので、もう一歩進めるべきではないかと思います。それが映画が映画としての存在感を高めることにつながるのではないかと思います。

須藤監督については、監督としても、俳優としてもセンスの良さを感じます。行動に移すテンポが早そうですので、このまま映画の領域にとどまるのかどうかはわかりませんが、とても期待できる方に感じます。