ハムネット

クロエ・ジャオ監督の持ち味は感傷的で単調な映画づくりなんでしょう

シェイクスピアの『ハムレット』誕生の裏話をフィクションで描いた映画です。主演のジェシー・バックリーさんが今年2026年のアカデミー賞主演女優賞を受賞しています。

ハムネット / 監督:クロエ・ジャオ

ネタバレあらすじ

原作があります。2020年に出版された同名タイトルの『ハムネット』、著者のマギー・オファーレルさんはこの映画の脚本にも参加しています。北アイルランドの方で、ウィキペディアには「女性を主人公にした小説や歴史小説で高い評価を得ている」とあります。

ウィリアム・シェイクスピアの妻アグネス・ハサウェイ(アン・ハサウェイ)を主人公にした映画で、夫婦の愛と息子ハムネットを失った悲しみ、そしてその悲しみの中から『ハムレット』が生まれたと描いています。

なにせ16世紀後半のことですので事実として知られていることはほとんどなく、特にアグネスについてはシェイクスピアと結婚したこととか、子どもが3人いたとか、夫や子どもとの関係でしか語られません。

それをクロエ・ジャオ監督やマギー・オファーレルさんはひとりの女性として描き出そうとしたということです。

ただ、これがかなり感傷的なんですね。その時代を生きたひとりの人間としてはなかなか見えてこない映画です。

アグネス

アグネス(ジェシー・バックリー)が巨木の根っこに抱かれるように横になっています。それを真上から撮ったカットから始まります。この映画は俯瞰の画がとても多いです。

アグネスは森の魔女から生まれたと言われており、森と交感できる人物という設定のようです。ただこれもあまりそうした感じはしません。というよりも森のシーンがうまく生かされていないといったほうが正解かも知れません。

アグネスはウィリアム(ポール・メスカル)と出会い、いわゆるできちゃった結婚をし、その子の出産をひとりで森の中でするわけですが、その画もかなり引いた俯瞰のフックスで撮り続けています。

すごいダイナミックなシーンですが画がむちゃくちゃ静的なんです。まあ、意図されたものなんでしょうけど、なんだかつまらない感じがします。

ジェシー・バックリーさんのイメージ(私のです…)はもっと現実感のある力強い人物ですのでこういうシーンでも撮り方によってもっと生きてくると思うんですけどね。

ところで、このふたりの結婚はアグネス26歳、ウィリアム18歳のときなんです。その史実を知っていますので前半の出会いのシーンなどにはとても違和感を感じたわけです。

映画は淡々と進みます。観てきたばかりなのに何があったか思い出そうとしてもあまりシーンが浮かんできません。ひとり目のスザンナが生まれ、続いて妊娠、そしてハムネットとジュディスの男女双子が生まれます。

双子の出産ではふたり目のジュディスは死産かと思ったもののしばらくしてむにょむにょし始めて、ああ生きてるって感じで描かれていました。泣かない!などと言って叩くとかの切迫感もなく、あ、死んでるだけで進んでいましたし、よくある、突然泣き始めてああよかったという感動もありませんし、こういうシーンも淡々と描かれていました。

ウィリアム

ウィリアムの人物像ははっきりしていません。アグネスの弟たち(かな…)にラテン語を教えたり、父親の革手袋づくりの仕事を手伝わさせられたりするも身が入らず怒られたりしていました。

アグネスとの出会いのシーンではオルフェウスがエウリュディケを冥界から連れ出す話をして喜ばせていましたし、なにか書き物をするシーンがありましたのでそれで身を立てたいと思っていると見せていたんでしょう。ただこれも18歳としてみれば違和感はありませんが、どう見ても18歳には見えません。

ポール・メスカルさん30歳、ジェシー・バックリーさん36歳です。年齢差はおおよそ合わせてあるんですね。ハムネットが亡くなるのがウィリアム32歳のときですので映画の後半あたりで相応の雰囲気ということです。

ウィリアムはロンドンへ出ます。アグネスと子どもたちはストラトフォードに残ります。これ以降ラストの「ハムレット」の上演シーンまでのウィリアムは2度ほど戻ってくるだけになります。

アグネスが妊娠し、双子のハムネットとジュディスを出産します。陣痛のきたアグネスが必死で森へ行こうとするのをウィリアムの母親に遮られていました。ここまで森にこだわるわけですからもう少し森との交感や洞窟(これも生きていません…)との関わりを描いたほうがよかったと思います。

ハムネット

11年後、ジュディスがペストに感染します。ハムネットはジュディスの傍らに横たわり、死神にジュディスのかわりに自分を連れて行ってくれと願いをかけて身代わりになろうとします。

ハムネットが亡くなります。

映画の前に流れる予告編で何回見たかわからないこのシーンです。思ったほどすごくなかったです。

ウィリアムがロンドンから戻ります。アグネスはハムネットの死に際にウィリアムがいなかったことを責めます。ふたりの間に亀裂が生じます。

ロンドンへ戻ったウィリアムはハムネットを失った悲しみや自責の念を心に「ハムレット」を書き上げます。それでも癒やされることはなくテムズ川のほとりで「To be or not to be, that is the question」と絞り出すようにもらしています。

ここでこのセリフを使いますか(涙…)。一気に嘘くさくなりますね。

ストラトフォードにもウィリアムの「ハムレット」上演が聞こえてきます。アグネスはロンドンの劇場に向かいます。最初はハムネットの名前が使われて冒涜されていると感じて声を上げて抗議しようとしますが、やがてそれはウィリアムの悔恨の思いとハムネットへのレクイエムだと気づき、舞台前へと進み出て舞台上のハムレットの手を握るように差し伸べます。観客も倣うように手を差し出しています。その姿をウィリアムは舞台の袖から見ています。

アグネスは舞台の上にハムネットの幻を見ます。ハムネットはアグネスを振り返り、微笑みながら舞台奥の暗闇へと消えていきます。

森の洞窟はこれだったんですね。

感想、考察:感傷的かつ単調で物足りない

「ノマドランド」も感傷的な映画でしたが、この「ハムネット」も同じように感傷的な映画です。

それに淡々とした展開も同じです。これがクロエ・ジャオ監督の持ち味ということになるのでしょう。

ただ、私にとても物足りないです。

男性の影のようにしか語られてこなかった女性をその時代を実際に生きた女性として歴史を読み直すといった意図があるのかないのかはわかりませんが、もしそれがあるとするならば、単に女性を主役に描いてもそれは達せられません。

その視点でみればこの映画のアグネスは曖昧すぎてどう生きようとしたのかは見えてきません。ウィリアムとの関係、ハムネットとの関係でしかアグネスを捉えられていないということです。

狙っていないところにそんなことを言われてもということかも知れません。

ところで、ケネス・ブラナー監督の映画に「シェイクスピアの庭」という映画があるんですが、これは面白かったです。アグネス(アン)が主役の映画ではありませんが視点に結構面白いところのある映画です。

シェイクスピア晩年の3年間を描いているですが、この映画でもハムネットの死が重要な要素となっています。その死はペストではなく自殺だったと双子の妹ジュディスが語る映画です。いろいろな見方のできる映画ですので見てみてください。

この「シェイクスピアの庭」ではシェイクスピアのソネットが重要な要素となっているのですが、クロエ・ジャオ監督も「ノマドランド」でシェイクスピアのソネット18番を使っていました。多分シェイクスピアになにか思い入れがあるんですね。