ベタな大人恋愛ファンタジーがシンプルに描かれている…
二人とも50代でしょうか、大人の男女二人の恋愛ファンタジーです。あれこれ経験を重ねてきた二人が偶然出会って付き合うようになり、それが初恋の成就であったという話です。

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ネタバレあらすじ
40年後、初恋と出会う
フラッシュバックとはわかりにくい手法で時間軸が入れ替わるシーンが2、3あります。現在は2025年12月の設定です。
映画はその約1年半ほど前(だと思う…)から始まります。青砥(堺雅人)が薬師丸ひろこさんの「メイン・テーマ」(だと思う…)を口ずさみながら自転車を走らせています。橋の上で止まりますとアパートの窓から須藤(井川遥)が夜空を見上げています。その表情は物憂げです。
続いて現在のシーンです。2025年12月、青砥の住まい、カレンダーの12月20日に赤丸印がつけられています。この日付が物語のキーになります。青砥は離婚後、地元に戻り印刷会社で働いています。その会社にも同級生がいたりと映画全体が地元ゆえのフレンドリーさで貫かれています。
という始まり方をしていたと思います。そして映画はそもそもの物語の始まりとなるおよそ2、3年前の二人の出会いから描いていきます。
青砥が地元の総合病院で胃カメラ検診をうけます。ポリープがあり検査結果待ちになります。その帰り、病院の売店で中学時代の同級生須藤(井川遥)と出会います。青砥は時々会って話をしないかと誘い、LINEでやり取りすることになります。
どちらの言葉かは忘れましたが会って話をすることを「互助会」と称しています。50代、子どもがいれば成人する年齢ですし、人生を振り返ることも多くなる頃合いですので、この言葉が出るのも自然の成り行きでしょう。それに、ある種の照れくささから恋愛を前提としていないよという言い訳の意味合いもあるのだと思います。
ということで、二人の関係がどうなっていくかが描かれていきます。
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40年後、初恋はノスタルジー
二人はそれぞれ自分の過去を話します。
須藤は略奪結婚をしたが、その男はDV男だった、でも素敵な人だったと、そしてその後年下の美容師に入れ込んで貢ぎ、ほぼ全財産を失ったと話します。
映画はこの須藤という人物をしっかりしている、心が強いという意味で「ふとい」と表現して、こうした過去でもめげていない人物としているようです。実際、表立って弱音を吐くシーンはありません。
その背景として中学時代の家庭環境をフラッシュバックで入れています。須藤の母親は家庭や子どものことを顧みることなく、多分男関係だと思いますがたびたび家を出ては捨てられて戻ってくるという女性となっています。学校でもその母親を噂話にされて居づらくなるというシーンがあります。そのシーンでは青砥がかばおうとしますが、須藤は頼んでいない!と突き放します。
ということで、須藤は地元に戻り一人暮らしをしています。
青砥も一人暮らしです。母親が認知性を発症し施設で生活しています。週一で訪問していますが、母親は毎回どなた?と聞いてきます。青砥が息子だよと言いますと、母親は息子は亡くなったと言います。青砥は優しい眼差しで見ています。そういうキャラクターということです。また、理由は語られませんが離婚し、息子は妻と暮らしているようで、映画の最初の現在シーンで青砥のもとに息子がやってきて、母は再婚するつもりらしいと言っています。
こうやって何度かの互助会を経る間に、時々中学時代がフラッシュバックされます。青砥にとって須藤は初恋の相手です。告白しますが、須藤は付き合えませんときっぱり答えます。青砥だからではなく、誰ともできませんと言います。その時、青砥はおそらく我を忘れたような状態になったのでしょう、ゆっくりと須藤に近づき、頬に頬をつけるような行為に出ます。はっと我に返った青砥は頭を抱えて、羞恥心でしょう、うめき始めます。
別のフラッシュバックシーンだったと思いますが、須藤は自分は誰にも頼らずひとりで生きていくつもりだと言っています。
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40年後、初恋は成就する
青砥の検診結果は問題ないでした。しかし、同じ頃須藤も検診をうけており、その結果大腸がんであることがわかります。
二人の互助会デートは、須藤が金銭的な余裕がないと言い、いつしか須藤のアパートで飲むことになっています。そして、須藤の検診結果が出た日(だったと思う…)、中学時代の再現です。青砥は須藤をそっと抱きしめ頬と頬を重ねます。その日、二人は結ばれます。
須藤は切除手術を受け、人口肛門生活になります。また、つらい抗がん剤治療の始まりでもあります。手術が終わった日、青砥はプレゼントのネックレスを持ち病院を訪ねます。病院には須藤の妹がいます。妹は青砥が自ら須藤にネックレスをつける姿を優しい気持ちで見ています。
抗がん剤治療を乗り越えた須藤は仕事にも復帰し、青砥との関係もより親密になっていきます。
そして、その須藤の6ヶ月検診も済んだ2024年12月20日、須藤の誕生日です。これが映画冒頭のシーンであり、それが繰り返されます。青砥が橋の上から夜空の月を見つめていた須藤を見たシーンです。
須藤のアパートです。「結果はどうだった?」と尋ねる青砥に須藤は逆ピースサインで示し、その後指を折り曲げます。青砥は窓からの須藤のことが気になったのでしょう、「お前、あの時何を考えていた?」と尋ねます。須藤は「夢みたいなこと」と答えます。しばらく後、青砥は「一緒にならないか」と言います。須藤は「それ、言っちゃいけないこと」と答え、突然別れを告げます。幾度か押し問答があり、青砥は須藤の「ふとさ」を感じたのでしょう、「わかった、じゃあ1年後の誕生日まで会わずにおこう、一年後の誕生日に温泉旅行にいこう」と提案し、須藤も受け入れます。
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初恋は淡く消えてゆく
しばらく青砥の日常が描かれます。カレンダーの12月20日に赤丸をつけ、その日を心待ちにする毎日です。これも映画の最初に描かれていたシーンです。
そして、ある日のこと、職場の同僚から思わぬことを聞かされます。
「須藤が亡くなった」と言うのです。
慌てて須藤のアパートに駆けつける青砥です。アパートには後片付けのために妹がいます。妹は病院での須藤の最期の姿を撮ったスマホの写真を見せ、須藤が最後に青砥は初恋の人だったと言っていたと言います。
ラストシーンは、中学時代のフラッシュバックです。青砥の告白後、二人はそれなりに親しくなっていたというシーンで終えています。
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感想、考察:大人の恋愛ファンタジー
最初にも書きましたが、50代にもなりますと人生も一区切り、先を考えるよりも昔を懐かしむことも多くなります(人による…)。
このドラマの場合、二人をともに独身にしていますのでとてもきれいな恋愛ファンタジーになっていますが、これがどちらかであるか、両方であるか、妻や夫がいる立場であれば修羅場になるパターンではあります。
という意味では、この年代の同窓会というのはとても危険ということになります(笑)。
過剰に盛り上げたり、煽ったりすることもなく、シンプルに描かれていたのがせめてもの救いという大人の恋愛ファンタジー映画でした。