ひとよ

映画は俳優がつくる。田中裕子、佐藤健、佐藤亮平、松岡茉優

俳優でもっている映画でした。

田中裕子さん、佐藤健さん、鈴木亮平さん、松岡茉優さん、特に兄弟妹三人、それぞれの人物設定はステレオタイプであっても、映画のシーンとしてはとてもよいバランスでした。

ひとよ

ひとよ / 白石和彌

白石和彌監督の映画は、デビュー作(かな?)の「ロストパラダイス・イン・トーキョー」から「凶悪」と見たんですが、 「凶悪」に対する業界の評価の高さと自分の評価のあまりの開きに驚いたまましばらく過ぎて、「麻雀放浪記2020」では、リメイクものかと期待していきましたら単なるギャグものだったというかなり残念なまま今に至っています。

この映画も、兄弟妹三人がいなければかなりつまらないものになっていたと思います。ああ、そもそもこの三人がいなければ映画になっていないですね(笑)。

父親の子どもに対する暴力、そしてその父親を母親が殺したことによる母と子、そして兄弟妹間に生まれたわだかまり? 隙間? 壁? そうした蓄積された心の淀みのようなものが、15年後、母親の帰還によって顕在化し、やがて解消していく数日間(多分)が描かれています。

冒頭は15年前のシーン、タクシー会社を経営する(夫婦でやっている個人タクシーかも)家族、土砂降りの夜の自宅前、稲村こはる(田中裕子)は自分の運転するタクシーで夫を轢き殺します。

こはるが家に入ると三人の子どもたちはそれぞれ特徴的なことをしています。長男の大樹(鈴木亮平の子役)はパソコンのハードいじり(後に電器屋)、次男の雄二(佐藤健の子役)はICレコーダーにルポを録音(小説家志望、後に週刊誌記者)、そして長女の園子(松岡茉優の子役)は人形の髪を切って(美容師志望、後に接客業)います。

子どもたちはそれぞれ腕に包帯をしたり、顔や腕に絆創膏(もっと大きい)を貼ったりと父親から暴力を受けていることを示しています。

相当に安易なシーンです。言っちゃなんですが、一歩間違えばギャグにもなり兼ねない描写です。かろうじて田中裕子さんでもっているといった感じです。

こはるは、子どもたちに「これであなた達は殴られなくてすむ。私は自分を誇りに思う。15年後に戻ってくる」と言い残し、警察に出頭していきます。三人は雄二が運転するタクシーで後を追います。

このシーン、本来なら雄二は小学生か中学生くらいですので法的には運転はできませんので、雄二に、タクシードライバーにするために父親に叩き込まれたと映画的言い訳を言わせていました(笑)。

15年前のシーンはそれだけです。後に2,3箇所、フラッシュバックのような感じで挿入されはしますが、この15年前の父親の暴力や母親の行為の描写が浅さ過ぎます。

こはるによる夫の殺害は熟慮した上での行為にみえます。決して夫が暴力を振るった後の激情にまかせてというようにはみえません。つまり、夫の殺害を考えるくらい子どもたちは毎日のように暴力にさらされていたと考えられます。

そうした15年前の事件の重みが感じられないのが、この映画を単なる家族劇のように終わらせているそもそもの原因かと思います。仮に母親が単に家出していただけでも、この後に起きることに違和感はありません。

同様の意味合いで、こはるの人物像がいまいちはっきりしません。こはるはかなり意志の強い人物にみえます。決意した後の殺害だとしても、行為後にまったくうろたえることもなくキリッとしたものです。であるなら、夫が子どもたちに恒常的に暴力を振るっていた時にどうしていたのだろうという疑問がわいてきます。(描写として)本人も暴力にさらされていたような気配はありません。

殺害を考えるほどの夫の暴力は一体どういったものだったのだろう? この疑問が最後まで消えない映画です。

とにかく15年後です。

タクシー会社はこはるの弟が跡を継ぎ、従業員も3人おり、もうひとり雇おうとしています。そのもうひとりが堂下という男で佐々木蔵之介さんが演じていますので、この人物が何か絡んでくることが予測できます。

大樹は、電器店の娘と結婚し専務と呼ばれています。徐々にわかってくるところでは妻と幼い娘とも別居中です。とても素直な人物で優柔不断のところがあります。何かと雄二に判断を委ねたりします。母親への精神的依存度は高そうですが、長男だからと思っているのか抑制的に振る舞っているようです。わりとよくある長男イメージでしょう。

園子は町のスナック(今は何ていうんだろう?)で働いており、酔っ払っては会社のタクシーに送迎させています。隠し事もなく本音で人に対する人物です。母親依存も隠そうともしません。帰ってきた母親に一緒に寝ていいかと布団に潜り込んだりします。

雄二は東京の出版社でゴシップ雑誌の記事を書いています。世の中を斜めに見てすねたところがあります。人と距離を置こうとするタイプで、母親に対しても素直になれません。一般的に、長男は家を継ぐもの、次男は出ていくものと子どもの頃から刷り込まれますので、よく言えば自由、悪くいえば勝手な次男タイプです。

この三人のシーンは結構見られます。大人になればそれぞれ価値観も変わり表面上はぶつかることもありますが、父親の暴力、そして母親の不在が、ベースのところでのつながりを強くしている感じがよく出ています。映画的には、台詞の間合いがとても良くこなれています。

母親の帰還に対して戸惑う大貴、素直に受け入れる園子、園子はすぐに雄二に知らせなくっちゃと思いつくくらい家族を意識している感じがよく出ています。

その二人に対して雄二は素っ気なさを演じています。東京から戻った再会のシーンでも、15年ぶりに帰った母親に元気? 程度です。ところがその雄二こそがもっとも母親に対していろんな意味での執着を持っている人物であり、それがこの映画の肝になっています。

母親が殺人犯であることから周りからの嫌がらせ、誹謗、中傷、いじめを受けたと言います。その映画的表現として、タクシー会社兼住まいの建物や車じゅうに人殺し!などと落書きされ、それを三人で消すシーンがありましたが、手っ取り早く説明しようとしたにしてもかなり薄っぺらいです。社会の目はもっと陰湿でしょうから、そうしたところをもっと丁寧に描かないとそれを受けていた三人の存在自体が軽くなってしまいます。冒頭の殺害シーンが薄っぺらいのと同じことです。

こはるが戻ってきたことでふたたび嫌がらせが始まります。週刊誌の記事「聖母は殺人鬼だった」のコピーがタクシー会社じゅうに貼られます。

余談ですが、あんなにいっぱい貼るやつはいないですね(笑)。何を狙っているのよくわかりませんが、多分、監督が意図的にやっていることなんでしょう。

で、その週刊誌の記事を書いていたのが雄二ということです。その記事の内容は語られませんが、15年前に出た「殺人鬼は聖母だった」をひっくり返して、世間の関心を煽るものなのでしょう。

園子に責められた雄二は、「母親のやったことで苦しめられてきた自分がそれをネタにして何が悪い!」と居直っていました。

ただ、こうした雄二の行為が母子や兄弟妹の関係を変えるきっかけになるわけではありません。きっかけとなるのは佐々木蔵之介演じる堂下です。

映画の中ほどで唐突に堂下のシーンが2シーンあります。ひとつは離れて暮らしている息子が会いたいと言ってきたらしく、いそいそと10万円前借りし、ご飯を食べさせ、お金を渡し、その後、こはるにその喜びを隠すことなく話します。もうひとつは、堂下が昔の仲間に何か頼まれるシーン、つまり、堂下は過去ヤバイ人物だった、最後までよくわかりませんでしたがヤクザだったようです。

そして事件はおきます。

堂下が依頼されたのは覚醒剤の運び屋を運ぶ仕事です。なんと車に乗せてみればその運び屋は息子だったのです。息子は、お前のような親の息子には「こんなことしかできない!(適当につくった)」と喚き散らします。

堂下は一気に壊れます。ウィスキーのボトルを手にし飲みながら会社に戻ります。このあたりかなり省略されていますので経緯ははっきりしませんが、その後、堂下はこはるを乗せて暴走していきます。シーンがありませんので想像ですが、事情を知ったこはるが自暴自棄になっている堂下を落ち着かせようとそのタクシーに乗ったのではないかと思います。それを知った三兄弟妹は雄二の運転で追っかけます。つまり、三人にとっては15年前の再現ということです。

自暴自棄になった堂下は、こはるに子どもに冷たくされる親同士、このまま海に突っ込もうと言い、フェリー乗り場に向かっていきます。追いついた雄二は堂下の車に自らぶつけて停めます。

あの衝突でよく皆怪我もなくすみましたね、というのは置いておいて、この結末はダメでしょう。こはるが堂下を説得すべきでしょう。映画的なクライマックスにならないとしても、こはるは拉致されたわけでもなく、何のために隣りに乗っているの?

「今、過去のことを間違っていたと言ったら子どもたちが迷子になってしまう」と気丈なことを語るその人物が、園子から無線で呼ばれて、「園子…、園子…」ではまずいでしょう。ここは子どもたちのために夫まで殺したこはるの心意気(ちょっと違う)を見せるべきシーンであり、それによって一本の映画としてまとめるべきではなかったのかと思います。

佐藤健さんが主演の映画ということですね。

ですので、雄二で締めていました。これといってはっきりしたことは言っていなかったと思いますが、この混乱で一気に爆発し、自分の中のこだわりと決別できたということです。

後日(翌日?)、パソコンから母親の過去に関するデータを削除し、ICレコーダーに録音された15年前の母親の言葉を消去していました。

田中裕子さんの俳優としての存在感はいいのですが、この映画のこはるは人物像としては一貫していません。シナリオのせいでしょう。

一貫性がないにしても田中裕子さんの存在感と、佐藤健さん、鈴木亮平さん、松岡茉優さんの三人の俳優さんのこなれた演技が映画をつくっているということかと思います。

あれこれ見ている佐藤健さんはますます俳優として力をつけている感じがしますし、鈴木亮平さんはこれといった記憶はありませんがこの映画で結構印象づきましたし、松岡茉優さんは、実はこの俳優さんがこの映画を作っているのではないかと思えるほどの隠れた存在感を示していました。

俳優が映画をつくることを示した映画でした。

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