あんなものは天の穴と言ってみたところで…
原作が吉行淳之介さんに、監督が荒井晴彦さん、どんな映画だろうと考えるまでもなく、キービジュアルの一枚でも見ればおおよそ想像がついてしまうという映画、なんでしょうか?

ネタバレあらすじ
意外とあっさりしていました。主人公の矢添克二(綾野剛)の台詞回しを感情を入れない棒読み系に演出しているところをみますと意図しているところなんでしょう。
大学生の瀬川紀子(咲耶)との関係による矢添の心の揺れが映画の軸なんですが、それを矢添の語りやスクリーンへタイプライター風に表示していくという、つまり矢添の心の揺れを映像の中の矢添と切り離して描いていますので必然的にあっさりしてしまいます。
ですので映画としては単調ですし、いわゆる中年男性と若い女性の恋の駆け引きみたいなベタな話以上のものにはなりようもなく、そうなりますと結局のところ、やたら多い女性の全裸シーンが際立つことになってしまいます。
矢添と千枝子
小説家の矢添(綾野剛)が新作を書いています。主人公 A が精神的な愛が足りない(だったか?…)とか言いながら、出会った B子 を性的眼差しで見ていくという内容のようです。
その小説と現実の矢添の行動がリンクするように進んでいきます。矢添と B子 とのシーンも映像で描かれますし、その人物が B子としてなのか現実の大学生としてなのかはっきりしない状態で同じ俳優が登場しますので、小説なのか現実なのかを見せようとしているわけではなさそうです。
矢添は40代、若い頃に一度結婚したが一年ほどで妻が男と出ていったと言っています。その女性という意味だったのか、シーンが映画冒頭でしたので誰であったかわかりませんが、黒の背景でブランコを揺らす女性のカットが入っています。その後もブランコを揺らす女性を象徴的に使っています。
現在の矢添は一人暮らしで、ときどき乗馬倶楽部という娼館へ出掛け千枝子(田中麗奈)と関係をもっています。ある日のこと、ことが済んだ後、千枝子が、先生は入れ歯でしょうと言います。それは矢添には隠すべき恥ずかしいことのようです。ただ、シーンとしては矢添にほとんど動揺なく描かれています。棒読み系演出のせいなのか、千枝子がすでに妻のような存在だと見せているのかはよくわかりません。
田中麗奈さん、いわゆる映画的な意味では娼婦には見えませんし、絡みなどもない濡れ場ですが、なんだかよかったです。矢添に愛情と言うべきかどうかはわかりませんが、いわゆる情がうつっているという感じがうまく出ていました。
千枝子とのシーンは後半にもうワンシーンあり、そこでは千枝子が若い男と結婚することにしたと言い、自分が娼婦であることを隠しているので不安だと矢添からの言葉を待っています。矢添は素っ気なく、いいじゃないかバレてもなどと言いつつも、気にはなるのでしょう、最後だから外に出ようと家の前の公園に連れていきます。ブランコに乗った千枝子がもうしばらくここにいると言い、家に上がった矢添が窓からブランコの千枝子を見るシーンで終えています。
そしてもうひとりの女性、大学生の瀬川紀子(咲耶)との関係が映画の中心テーマです。
矢添と瀬川
矢添はたまたま寄った画廊で瀬川をみてお茶に誘います。瀬川はお酒がいいと言います。喫茶店で飲んでいたのはビールだったのか、矢添が送ろうという車の中でトイレに寄ってほしいと言い出し、矢崎がどこか暗いところですればいい、俺もつきあうと言っているうちに瀬川が漏らしてしまいます。
そして旅館です。風呂場で下着を洗う瀬川、その姿を覗く矢添、そしてセックスです。いわゆる濡れ場といった情感はありません。セックスシーンに情感があるかどうかは置くとして、とにかくすぐに性交です。女性が全裸になり、体位を取り、女性が喘ぎ声を出すという描写です。この後も何シーンか同じようなシーンが繰り返されますがほぼすべてこのパターンです。
ですので、女性の全裸姿だけが際立った映画だと書いているわけですが、これも映画を単調にしている一つの原因です。想像ですが、あれこれ身体的接触を描写するよりも、たとえば女性の胸を舐めるというシーンがワンシーンありましたが、そうした描写よりも実際の身体的接触がない性交シーンのほうがハードルが低いのかも知れません。
まあいずれにしても全裸姿や性交シーンに頼らずに情愛シーンを描く方法を考えるべきですね。
この後は瀬川との関係が変化することで物語が進みます。いや、ちょっと違いますね、関係の変化がみえてくるのではなく、瀬川が積極的に矢添に近づいてくることに対する矢添の戸惑いが言葉として語られていくということです。綾野剛さん演じる矢添は常に中年男が取るべきと矢添が考える立ち振舞を最後まで取り続けています。
星と月は天の穴
やや飽きて見ていましたので(ゴメン…)以下間違っているかも知れません。
瀬川が電話をしてきて会いたいと言います。なぜ番号がわかったという矢添に瀬川は電話帳に出ていると言います。瀬川はプレゼントだと言い犬のチャームを渡します。そして友だちと旅行に行くと言います。矢添が彼氏かと尋ねますと女友だちだと知らばっくれています。そして性交です。
瀬川が矢添のアパートのチャイムを何度も鳴らし、入れて欲しいと言います。矢添は家には誰も入れない、公園で待っていてくれと言っています。その後ホテルで瀬川がこれおみやげと言い、いきなり矢添の口の中に岩石飴を入れます。矢添は入れ歯を直しながら取り繕い、その後、いじめてという瀬川をやや乱暴に扱い、俺たちは犬だと言いながら後ろからの体位で性交します。
車で送る帰り道、ハンドル操作を誤りガードレールに激突します。病院で頭部のレントゲンを撮ることになり、医師が二人の前で入れ歯なんですねと言います。
瀬川が次第に変わってきています。先生(と呼んでいたか…)にとって私は何? と聞いたり、自分の部屋がほしいと言い出します。そして矢添は裸になった瀬川の乳房に歯形あとを見つけます。噛んでという瀬川、戸惑いつつも瀬川の乳房を噛む矢添です。そして、体位を変え矢添の上になる瀬川です。
あれ? 順序が変です、なにか間違っています。ラストシーンは病院のテレビで見る月面着陸でした。
「星と月は天の穴」に引っ掛けて、何だ穴じゃないじゃないということでしょう。どこかの夜のシーンで瀬川が空を見上げて星がきれいと言うことに、矢添はあんなものは天の穴だというシーンがあります。
エンドロールはブランコを大きく揺らす瀬川、というよりも、おそらく荒井晴彦監督の意識としては俳優である咲耶さんを撮っているんじゃないかと思います。それも意図的にパンツを見せるようなカメラ位置のカットでです。
感想、考察:男のロマンティシズム、ってか…
なんとも煮えきらない映画です。文学的に撮ろうとしたけれでも結局女性の全裸姿が目立つことになってしまったということでしょう。
おそらく原作は私小説的なものじゃないかと思います。映画監督もそれぞれ手法が違いますのでどうこう言っても始まりませんが、もっとねちっこく(いやらしくという意味ではない…)矢添目線のカメラで思索的に女性を撮っていくべきじゃないかと思います。
そうすれば「星と月は天の穴」の意味もちょっとはみえてきたかも知れません。おそらく、そんなものにロマンはないと言っているんでしょう。言っている矢添こそがロマンチストなんですけどね。
結局のところ、結果として、もうすでに男が女に求めるロマンティシズム、あるいは男が女を通してロマンティシズムを語るという視点は現在では通用しなくなっているということが明らかになった映画です。
そもそも男が一方的に語る愛などというものは、それが精神的であれ、セックスのつながりであれ、男の弱さと甘えでしかないことはもう見抜かれています。