小ネタは笑えるが映画としてはそれだけでは持たなく物足りない
たまにはこういう映画もいいですし、くすくすと笑えはしますが、やっぱりこういう映画の場合は軸となる俳優がいないと持たないなあとも感じます。
それに俳優たち自身が楽しむための映画でもあります。皆楽しそうにやっていました。
この映画はこのコメントにつきますね。
今回のストーリーは、丸山昇一さんの「伝説の殺し屋。実は一度も人を撃ったことがない」という一言から生まれたそうですね?
阪本 : 雑談で「石橋蓮司さんの主演作というのは、どうですかね」と僕が言ったときに、丸山さんが「こんな企画がある」と即答したんです。すぐに面白いと思いました。それで企画が動くと丸山さんは、まず短いプロットと各登場人物のバックグラウンドを書いてこられました。
丸山昇一さんと聞いてもなにも浮かびませんが、松田優作さんのテレビドラマ「探偵物語」の脚本を書いていた方のようです。ただ27話のうちの4話だけです。
物語に特に意味はありません(笑)。
ハードボイルドを気取った老年の小説家市川進(石橋蓮司)は裏では殺しを請け負うヒットマンの顔を持っています。しかし、実行するのは自分ではなく今西(妻夫木聡)です。市川は「一度も撃ってません」。
市川はその殺しの状況や今西の心情などを聞き取り、それを小説にしています。
小説そのものは事実描写のみで物語性に乏しくデビュー時の2冊以降まったく世に出ていません。しかし、現実に起きた殺人事件を思わせるそのあまりのリアルさに裏社会では「伝説の殺し屋・サイレントキラー」として都市伝説になっている人物です。
その市川がチャイニーズマフィアに狙われ、ラストに殺し屋同士一対一で対峙するという物語(と言うほどでもないけど)です。
オチはそのどちらも「一度も撃ってません」殺し屋ということです。
でもこの映画の見所はそこではなく、脇役としてまごうことなき存在感を示してきた俳優たちが主役の振る舞いをして楽しむところを見て楽しむということです。
石橋蓮司さん、夜の顔はハンフリー・ボガートを気取ってトレンチコートにボルサリーノ、サングラスの出で立ちですが、昼の顔は妻の弥生(大楠道代)と仲睦まじき夫婦であり、洗濯物を干し、ゴミ出しをする夫です。
こういう言い方をすると怒られるかもしれませんが、その落差があまり生きておらず、それはやはり映画の主役というのは特別な存在感が必要なものなんだなあという感じがします。
市川の夜の顔がもうひとつなんですよね。これは批判でも何でもなく、主役のよさと脇役のよさは次元の違うもので、そのどちらもよくなければいい映画にならないということです。
ああ映画の批判になっちゃっていますね。主役不在の映画ということになります。ただ、石橋蓮司さん中心ではありますが、大楠道代さん、桃井かおりさん、岸部一徳さんがそれぞれに存在感を見せており、特に大楠さんと桃井さんは楽しそうにやっていました。
そうした俳優同士の掛け合いや小ネタを楽しむ映画です。
映像やセットデザインはかなり力が入っていました。色彩感やカメラワーク、それにスチルで言えば露光を長くして人物が動くとするとながれるような動きになる手法を使ったりといろいろ凝っていました。
阪本順治監督の映画は「闇の子供たち」と「半世界」くらいしか見ていませんが、こういう志向も持っている監督なんですね。
もう少し物語性を重要視したほうがよかったのではないかと思います。そういう意味ではシナリオが物足りないということになるのでしょうか。