MOTHER マザー

再び、全員ミスキャストに見えてしまう、それは監督の責任

タイトルに書いた「再び、全員ミスキャストに見えてしまう、それは監督の責任」の「再び」は、大森立嗣監督の2017年の映画「光」との関連からの言葉です。

やろうとしていることが映画として見えてこず、キャスティングに問題があるようにみえるということです。

MOTHER マザー

MOTHER マザー / 監督:大森立嗣

この映画のテーマは「母と息子の依存関係」で間違いないはずです。

それがまったく見えてきません。

最後は息子が母の言葉に従って祖父母を殺害するところまでいきます。 あえて「従って」という言葉を使いましたが、映画ではその程度の重さ、軽さ? しか感じられません。

母と息子が一体となった異様さも見えてこず、そうしようとしたわけではないにしても恐怖に支配された重さも見えてきません。

映画で描かれる三隅秋子(長澤まさみ)の息子周平への対し方は「主従関係」です。それ以外のシーンはありません。

あれ買ってこい! 金借りてこい! 金盗んでこい! そして挙げ句の果に、ババア殺してこい! です。金切り声を上げて叫ぶシーンばかりです。

ただ、周平の方は幼少期と少年期ふたりの俳優が演じていますが一貫して無表情です。これはおそらく「主従関係」だけではないことの演出でしょう。どんなに怒鳴り散らされても恐れだけではない、愛情とは言わないまでも何らかの感情、つまりラストシーンで周平が言う「お母さんが好きだから」の表現なんだと思います。

一番の問題はシナリオかもしれません。

秋子の人間的奥行きが書き切れていないんでしょう。単細胞人間にしか見えません。息子であれ、つきあう男であれ、人間への執着心が感じられません。息子には怒鳴り、男には媚びるシーンしかありません。

さすがに長澤まさみさんにこの役は無理が感じられます。決定的なことだと思いますが、長澤さんには「やさぐれ感」がありません。その意味では本当にミスキャストだと思います。

ましてや、この映画の直前に「コンフィデンスマンJP」の予告編を流すような上映館の無神経さです(涙)。

余計なお世話をあえて言えば、シナリオ段階で断るべきです。「コンフィデンスマンJP」で売っているときに受ける役ではないでしょう。

秋子と暮らす(と言っていいかどうか?)ホストの川田遼(阿部サダヲ)もミスキャストに見えてしまいます。このふたりも、秋子に子どもできたことで遼が逃げてしまうにしても再び戻ってきて秋子も受け入れたりと切っても切れない依存関係があるわけですから、その間には言葉では説明できないなにかがあるはずです。

テレビドラマじゃないんですから、それを見せてよと言いたいですね。

児童相談所の職員高橋亜矢(夏帆)も描ききれていない中途半端な役です。児相の問題を単に個人的な同情にすり替えて描くことはやってはいけないことです。

秋子に気がある市役所職員、秋子らが身を寄せるラブホテルの従業員、周平が働くことになった建築会社の社長ら、男たちの描き方も見ていて恥ずかしくなるくらいの薄っぺらさです。

秋子の母親役の木野花さんも叫び散らす演技が多くて違和感が強いです。演出なんでしょうが、もう少し抑えた演技をしてほしかったですね。

ということで、これはどう考えてもシナリオがまずすぎます。

結局、周平が祖父母を殺害して逮捕され12年の刑、秋子も殺人教唆かな? で執行猶予付きの判決で映画は終わり、面会に訪れた児相の職員に周平は「社会に出たくない。ここはご飯も食べられるし、本も読める」と答えていましたが、それじゃあ映画が違っちゃいませんか。

お母さんを好きだったんじゃないの? 会いたいんじゃないの? 一緒じゃなきゃ生きていけない(と思いこんでいる)んじゃないの?

一方の秋子は、その2、3シーン前に同じく児相の職員に「あれはあたしが産んだ子なの。あたしの分身。舐めるようにしてずっと育ててきたの」と言っていました。

ええー、そうか?

という映画でした。それにしても大森立嗣監督の映画は、毎回見るたびに「この監督は出来の良し悪しの落差が大きい」と書いているような気がします。

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