見始めは(DVDです)、謎解き学園ものみたいな物語かなあと思った映画です。そんなジャンルはないとは思いますが…。
階段島という島に閉じ込められた高校生たちの話です。ただ、島の人口は2,000人とか言っていましたので、マジな物語であれば大人たちも物語に参加してこなくてはいけないのですが、登場人物は高校生だけです。
それに見始めて、なんじゃこりゃ? と思い、公式サイトを見てみましたら「怪談島」ではなく「階段島」でした(笑)。
内容も台詞も理屈っぽい
いきなり「プロローグ」とタイトルが入り、映画の主題と思しきものが提示されるのですが、編集が乱雑で、すーとは入ってこないです。
女性の声で「約束しよう、七草。私たちはまたどこかで会うの」とナレーションが入り、続いて七草(横浜流星)と思われる男性のアップの映像になり、その後ろに女性がいるのですが、その女性はナレーションの人物ではありません。そして、その女性が「階段島。ここは捨てられた人たちの島です。この島を出るには失くしたものを見つけなくてはいけません」と映画の主題(と思ったが実は違う)を教えてくれます。
といった感じで、ナレーションと映像がしっくりこなかったり、シーンの前後の脈略がわかりにくかったりします。この導入がはてな? でしたのでいったんDVDを止めて公式サイトを一通り読んでから再度見始めたということです。
で、なんとなくわかって再度見始めたのですが、これがまた理屈っぽい映画で、映像ややっている行為そのものは一般的な学園ものと変わりないのですが、理屈っぽい言葉が意味ありげに散りばめられており、ちょっと気持ちを逸しますともう集中できなくなり、どうでもよくなってしまいます(ペコリ)。
観念的な言葉を使ってそれを世界観と表現するアニメやゲームに近い感じの映画です。そうしたものに興味を持てればいいのですが、持てなければもう最後までダメでしょう。
ネタバレあらすじ
物語の設定はこんな感じです。
- 僕たち(と七草が言う)はある日突然この島にやってきた
- 島での生活に不自由はなく、自然に受け入れられる
- 島にひとつだけある郵便局が人々をつないでいる
- 島にやってきた理由を知るものはいない
その時の3ヶ月分の記憶を失っている - 島は「魔女」に管理されている
そして、その後の展開はこんな感じです。
- 七草の幼なじみ真辺(飯豊まりえ)が島にやってくる
- 真辺は島を出ようと「魔女」探しを始める
- 何者かが挑戦的な落書きをする
- ヴァイオリンを演奏予定の女子生徒がもうこれ以上頑張るのがつらいと言う
また、この島に来られてほっとしているとも言う
ああ、これはガンバレ、ガンバレという今の社会から逃れてきた人たちの物語で、逃れてきたという罪悪感を消すために記憶が失われているのかな、なんて考えながら見ていたんですが、どうも何もかもがはっきりせず進み、なんとはなしに、ひょっとして七草と真辺の恋愛もの? との予感もし始めたわけです。
そして、
- ヴァイオリンの女子生徒がプレッシャーを乗り越えて演奏を終え、島から消える
- 落書きをしていたのは七草である
- この島の人たちは自分自身に捨てられた人たちであり、大人になる段階で捨てさった人格が階段島の人格であると明かされる
なに?! いきなり映画的脈略もなく結論かよ? となります。
こういうことのようです。人は大人になる時に青春というものを捨て去って先へ進むということであり、青春とはとても心地よく、いつまでもまどろんでいたいものであり、「階段島」とはいつまでも青春でいられる島ということです。階段を登ることは大人になるということです。
結局、映画は青春恋愛ものへ
それはそれでベタではありますが人間の永遠のテーマのような気もしますので、それを深めていけばいいとは思いますが、なぜか映画は突然(でもなく)予感がした七草と真辺の恋愛ものになってしまいます。
七草と真辺は幼い頃(小学生くらい?)から親しくしており、しかし七草は悲観的現実主義者で、真辺は楽観的理想主義者という正反対の性格であり、悲観的な七草はそれを気にしており真辺と離れたいと思っていたわけです。
この状態を七草はピストルスターと表現しています。つまり、真辺は七草にとって「群青」の空に輝く「それまで観測された銀河系の恒星のうち、最も明るい超巨星(ウィキペディア)」であり、七草はそれでいいと思っているわけです。それゆえ七草は「階段島」に逃げてきたということです。
論理的にはつじつまの合わないにしても、真辺はその七草を追って「階段島」に来たということだと思います。ですので、真辺はしきりと七草と一緒にここを出ようと言っています。
で、あれこれありますが、最後に七草は二人で「階段を登ろう」といいます。そして、そこで七草は「僕たちは一緒にいちゃいけないんだ」と決別の言葉を告げます。「君はひとりでこの島を出るんだ」七草は島に残り、真辺は去っていきます。
「いなくなれ、群青」
が、しかし、真辺は再び七草の前に現れ「私は七草がいないとだめなの」と告白します。七草「また会えてうれしいよ」
オイ、オイ…。
ロスジェネ世代の妄想?希望?
と、終わってみればいろいろ散りばめられていた階段島だの、魔女だの、ぼんやりした自由だの、つなぐのは手紙だけだの、ネットは使えないだの、落書きだのという仕掛けに意味はなく、結局、ベタな青春純愛(的)物語でした。
この映画が原作からどう変わっているかはわかりませんし、また余計なこととは思いますが、あえて言えば、原作者河野裕さんの希望的妄想物語じゃないかと思います。人を型にはめて判断するのもなんですが、著名人ということで許してもらえば、河野裕さん、1984年生まれですのでロスジェネ世代とゆとり世代の間の世代の方です。ご本人がどうこうではなく、物語としてですが、男である七草を悲観的と位置づけるところなどはその世代っぽいですし、そこにまどろむことを是とする感覚も、希望的なことを手の届かないピストルスターと例えるところもなるほどと思わせます。そして女性に希望であるとか行動力を託して、きっと自分はいつか報われるであろうという妄想物語にも見えてきます。
という妄想をした映画でした。