エッフェル塔と結婚した実在の女性がモデルの映画
監督のゾーイ・ウィットックさんが、エッフェル塔と恋に落ちて結婚したアメリカ人女性がいるとの新聞記事を読んだことがこの映画製作の始まりだそうです。
エッフェル塔と結婚したエリカ・エッフェル
エッフェル塔と結婚したというその女性はエリカ・エッフェルさんという方です。1972年生まれですので35歳の時、2007年のことです。
ウィキペディアによれば、エリカさんは1993年にアメリカ空軍士官学校に入り、そこで士官候補生から性的暴行をうけたものの剣(?)で撃退したらしく、本人は「剣のような何かを握っていないと眠れなくなり、その症状はどんどんひどくなっていった」と語っています。
その後、1999年に日本で(?)アーチェリーを始めたとあります。アーチェリーにも種類があるようでよくわかりませんが、2003年にFITA(世界アーチェリー連盟)の大会やオリンピックで1位だったそうです。
「Objectùm-Sexuality Internationale」の創設者です。日本語のサイトもあります。
対物性愛
ウィキペディアには「幼児期などに虐待を受けたり、人間関係で挫折したり」したことが原因になるとあります。ただ、現時点では米国精神医学会では認知されていないそうです。
この説で言えば、エリカさんの場合は士官学校での性的暴行事件ということになりますし、この映画のジャンヌ(ノエミ・メルラン)は父親との間になにかありそうです。母親と父親の関係かもしれません。いずれにしても映画はそこまで突っ込んで描いていません。
ファンタジーでもなくコメディでもなくホラーでもない
「対物性愛」などという価値観があることも知りませんでしたので、このテーマならファンタジーかコメディーか、さもなくばホラーしかないのになんだか中途半端な映画だなあと思って見ていました。
エリカ・エッフェルさんのことを知った今は、マジで作られた映画だからあれだったんだとわかります。
つまり、映画としては何をやろうとしているのか中途半端で面白くないということです。
ネタバレレビュー・あらすじ
ジャンヌはコミュ障的な人物として描かれています。自室で何やら作っています。後にワイヤーで作った遊園地の遊具であることが示されます。部屋中その工作物でいっぱいです。
母親が起こしにきます。おそらくジャンヌは徹夜で工作をしていたということでしょう。母親はかなりハイテンションな人物です。
母親が車で遊園地へ送っていきます。これもはっきりしませんが、おそらく遊園地の係員として雇われ、その日が初出勤であり、その遊園地へは頻繁に客として通っており皆顔見知りという設定と思われます。
係員のチーフのような人物マークと出会います。ジャンヌの対し方はぎこちないです。
閉園後、ジャンヌが遊具のジャンボ、正式名称ムーブイットの清掃をしています。布にぺっとつばを吐き左の赤いもの(下の画像)を磨いたりします。ジャンボがそれに反応するように効果音が入ります。
こうしたシーンが何シーンかあり、次第に(というか、結構最初からいきなりという感じに)ジャンヌがジャンボに恋をしていきます。
その描写はかなりエロチックなものになっていきます。愛撫をイメージさせる触り方や頬ずり、ジャンボが発情したイメージかと思いますがオイルを垂らしたり、そのオイルにジャンヌがまみれたり舌で味わったりします。最後にはジャンヌがパンツ一丁でジャンボにしがみつくシーンもあります。
ジャンヌ自身、母親にジャンボとの関係にオーガズムを感じると語っています。
というジャンヌとジャンボの恋愛、性愛関係が映画のひとつの軸で、もうひとつがジャンヌのその恋を邪魔するように動く母親とマークの存在があります。
母親はバーを経営(多分)しています。夫とは別れています。男との関係はかなり奔放との設定です。マークが訪ねてきた時に、ジャンヌが母親にマークは私の上司だから寝ないでねと言っていました。
後半になり、ジャンヌが母親にジャンボとの恋愛関係を告白し結婚したいと言いますと猛反対します。
ジャンヌとジャンボの関係の描き方はそのエロチックさも含めて割と誰もが思いつく感じで違和感はないのですが、それに対する母親の反応が映画の方向性を決めることになります。その反応の描き方でファンタジーにも出来ますし、コメディーにも出来るということです。
この映画は母親にマジな反応をさせています。ジャンボは機械だからダメと断固反対する反応をさせています。相手が人間の場合に反対する場合と変わらない態度で対応をさせています。「対物性愛」を理解できない人間であれば???の反応になるところをいきなり反対させています。
そういう映画です。上司のマークの反応も同様です。マークはジャンヌに言い寄ります。中頃で好きだとか言っていますが、最初からジャンヌに言い寄る設定の人物として登場させています。後半になり、母親に反対されたジャンヌに迷いが起きたのか自分からすすんで裸になりマークに抱かれるシーンがあります。その後のマークの台詞に、愛している相手に機械と浮気されてどうすればいいんだ?!というのがあります。母親と同様にマジです。
どういうことかと言いますと、母親にしてもマークにしてもジャンボを機械と認識しながらジャンヌの相手が人間の場合と同様の反応をしているわけです。つまり、この映画の母親は娘が自分がダメと思う男と結婚したいと言ってきた母親であり、この映画の恋人は単に浮気されたと怒っているわけで、それを普通に映画にされても何も面白くないということです。
この映画、登場人物はかなりシンプルで、主要人物としてはジャンヌ、母親、マーク、そしてもうひとり母親が付き合うことになる男が登場するだけです。この男、母親のバーに飲みに来ていきなりお前が欲しいみたいな台詞を吐きます。
これ、普通ならコメディーだと思いますがマジでやっていますのでそうはなりません。
で、この男、同居するようになります。おそらく父親の不在を描こうとしたのだと思います。ジャンヌの対物性愛の原因をそこに置いているのかもしれません。同居し始めてしばらくは男の位置づけがよくわかりませんでしたが、次第に父親的な立ち位置で振る舞い始めます。はっきりした台詞はありませんが、ジャンヌとジャンボの恋愛を認めているようでもあります。ラスト近くになり、母親がジャンヌを理解せず追い出そうとしている時に、母親に向かって、夫が出ていった理由がよくわかったと言って自分も出ていってしまいます。ただ、後に戻ってきています。
で、結末は、母親もふたり(ジャンヌとジャンボ)の結婚を認め、男も戻り、ジャンボの下で結婚式をあげようとします。そこにジャンヌをからかう少年たち(書いていませんが最初からジャンヌをいじめる少年たちという設定で登場していた)の邪魔者がやってきます。男があいつらは俺に任せろと言って止めに行きます。その間にジャンヌが誓いの言葉を述べ、ジャンボの言葉を待ちます。クライマックスですからなかなか反応がありません。
そして、ジャンボに反応(何だっけ?忘れました(笑))があり、皆で走って逃げます。
は? なぜ逃げる? ジャンボを置いて逃げたらダメでしょ!
意味わからんわ。
という映画です(笑)。
映画の技法も未熟
ゾーイ・ウィットック監督、年齢はわかりませんが、2007年くらいからアシスタントディレクターや短編の監督脚本のクレジットがありますので30代後半から40代前半くらじゃないかと思います。
この方です。
Meet the Artist: Zoé Wittock — 2020 Sundance Film Festival
この映画が初の長編のようで脚本も本人です。率直に言って脚本もよくありませんし、どの程度関わっているかわかりませんが編集もよくありません。
人間と機会の恋愛を描くのであれば、もっと突っ込んだ描写が必要です。上にも書いたように、単に対機械との恋愛を対人間の恋愛と同じように描いても何も見えてきません。擬人化されていない対機械の恋愛はちょっと変だなと思うことが変だという視点などありえません。変だなと思う視点で描かなければ変だと思うことが変だということは描けません。
何いってんだ?(笑)自分でもよくわかりませんが、要はもっと疑似化するなり、そのことを理解することができない人物を置くなり、なにか映画的な仕掛けをしなければ映画にならないということです。
ノエミ・メルラン
いろいろ見ているようですがはっきり記憶したのは「燃ゆる女の肖像」です。
ファンタジーかと思って見ていましたので見た目の年齢感にかなり違和感がありましたが、エリカ・エッフェルさんの年齢を意識したキャスティングなのかもしれません。
大人の女性ですからとにかく映画の内容と違和感があります。
この映画の内容であればもっと主張した演技をすべきです。