火口のふたり

R18+の大人のアニメかも?と思う男の妄想ファンタジー

後半に入り、そろそろ結末やなあ、どうするんだろう? と思っていましたら、

ん? 何だって? ジョーク? え!? マジ!

みたいな思わぬ展開に、そういう話だったのねと、そもそもの男女ファンタジーに、60年代(70年代?)的四畳半ファンタジーが加わり、妙に納得できる映画でした。

火口のふたり

火口のふたり / 監督:荒井晴彦

荒井晴彦さん、監督作品としては「この国の空」に続いて三本目です。

公式サイトをとググっていましたら、「荒井晴彦監督、的外れな批判におかんむり」なんてのがヒットしましたので何だろう?と見てみましたら、

絶賛の声が相次ぐなか、「Twitterを見ていると『説明セリフが多い』とか(笑)。うるせーな、こっちは(脚本を)50年書いてんだよ。わかって、やってるんだよ」と的外れな批判におかんむり。(映画.com

と、舞台挨拶時のコメントが記事になっていました。

「的外れな批判」とか「おかんむり」というのはこの記事を書いたライターの媚びからくる言葉遣いで、おそらく荒井監督としては痛いところをつかれて、内心クソ!ということかと思います。

実際、始まって10分くらいの賢治(柄本佑)と直子(瀧内公美)の会話は見事に説明ゼリフの連続でした(笑)。

賢治の母親が亡くなっていること、父親はその一周忌も待たず(だったかな?)再婚していること、ふたりが幼い頃から親しいいとこ同士であることなどの家族関係や、ここじゃなかったかもしれませんが、賢治と直子が過去つきあっており、賢治を追って直子も東京へ行き、その後別れて直子は地元へ戻っていることなどを、久しぶりに会った会話として、ああだったね、こうだったねと一気に説明していました。

多分「わかってやってるんだよ」というのは低予算、つまりこの映画の出演者はこのふたりだけで、父親も(電話の声はあり)直子の家族も、直子の結婚相手さえ登場させられないという気持ちが言い訳のようになってしまったんでしょう。

あるいは、こんな台詞いらなかったなあとの後悔かもしれません。別にふたりが従兄弟であることがわかれば家族構成も必要ありませんし、父親からの電話だってなくても進められるでしょう。

とにかく、結果なのか、狙いなのかは置いておいて、このふたりだけというのは、男女ファンタジーとしても、四畳半ファンタジーとしても、その濃密さや異常さにおいて良い方へ出ていると思います。

ふたりのシーンだけで作られている映画といいますと、すぐにリチャード・リンクレイター監督の「ビフォア・サンライズ」が浮かびますが、この「火口のふたり」は、「ビフォア・サンライズ」が二人の会話だけで作られていたのとは違い、極端な言い方をしますとセックスだけで作られています。

冒頭、川べりで釣りをする賢治に父親から直子の結婚式に帰ってこいと電話が入ります。後に、これも説明ゼリフとして入るのですが、賢治は妻と離婚し、仕事もやめ、プウタロウしています。

実家に帰った賢治を直子が訪ねてきます。ここで例のふたりの説明ゼリフがあり、直子はテレビを買うので新居に運ぶのを手伝って欲しいと言います。

ふたりの会話は、過去男女の関係があったということだけではなく、肉親的馴れ馴れしさを感じさせます。これ、結構重要で、後に、直子は、ケンちゃんの体が忘れられないのなどと言い、上っ面だけ捉えてしまえばまるでAVにでも使われそうな台詞ですが、当然ながら、ケンちゃんと私は一心同体よと言っているに等しいわけです。

そのことが、これから延々と繰り返されるセックスシーンで明らかにされていくという映画です。もちろんそれは、直子の勘違いであり、また男の妄想であることも、そう感じる人がどれくらいいるかは別にして(笑)、それをも明らかになっていくことになります。

新居です。夫となる人は自衛隊の幹部で一週間(くらいだった)帰ってきません。直子はつきあっていた頃に撮った写真のアルバムを見せ、今日だけあの頃に戻らないと賢治を誘います。

あの写真集、野村佐紀子さんという写真家の作品らしく、映画の流れとしてはとても不自然なんですが、あれがもし自撮り写真であったとすれば、相当下品になっていたのではないかと思われ、まああれはあれでよかったのかもとは思います。

いや、逆かも。本当はもっと下品にしなくっちゃいけなかったのかもしれません。

賢治は帰ると言います。が、直子にキスをされ、胸をはだけられ愛撫されますと、今度は賢治が積極的になっていきます。

この映画、ふたりの映画ではあるのですが、どちらかといいますと直子の映画であり、賢治はごく一般的(と思われている)な「男」の概念の象徴的な人物で、ほとんど何も考えていません。ここでも、相手が結婚する女という歯止めで抵抗していたものが一旦それが外れますと後はもう本能がおもむくままみたいなことになっていきます。

実際、翌日、自宅でひとり目覚めてみれば、自分の朝勃ちを見て我慢できなくなり、直子の新居に駆けつけ、直子の体を求めています。直子は、こんな事はやめてよと言いますが、これを機に、夫が戻るまでの五日間、二人は新居で暮らすことにします。

ということで、映画の2/3くらいあたりまで、ふたりはセックスと食べることと思い出に浸ることを続けます。

セックスについていえば、賢治は、従兄弟であることに罪悪感を持っていたがゆえに乱暴になったり、あえて人に見られるかもしれないといった公共の場所で行為に及んだと語ったり、賢治の性器が腫れ上がった時には、直子がこすりすぎよと言い、私のも見てと(言ったかな?)股を広げたり、また、直子が、夫にも言っていない自分が子宮筋腫であることも賢治にはさらりと話し、賢治の料理(かもしれない)で直子がお腹を壊した際の振る舞いにしてもそうですが、ふたりの間には羞恥心や隠すことなど何もなく、ある種人間の根源的(動物的?)な関係であるかのように描かれています。

そして五日後、実家に戻り眠っているところへ父親から直子の結婚式が延期になったと電話が入ります。そして、直子に電話をした賢治の第一声、

「バレたのか?」

何も考えていない「男」の象徴である賢治に吹き出しそうになりました(笑)。

こういう映画なんですよ。

女が結婚する前に、あなたの体が忘れられないからもう一度だけ抱いてと言ってくる、そんなことはできないと男はちょっとだけ気取ってみたもののあっけなくそれに応えてしまい、言うに事欠いて、体の言い分には逆らえないと言い放ってしまえるという、これはもう男の妄想以外にはあり得ません。

男女逆にしてみればよくわかります。男が結婚する前に、お前の体が忘れられないからもう一度やらせてくれ(あえて、らしい言葉にした)と言ってきたとします。それに女が応える映画が作れますか。

男の新居で五日間、セックスと食べることと思い出に浸り、その後あっさり別れて、結婚が延期になったと聞き、バレたの?となんの衒いもなく女が言う映画を作れますか。

さらに言えば、そもそも女があなたの体が忘れられないって思うはずだという発想が男の妄想であり、願望ってことじゃないんでしょうかね。現実に起きていることをみてみれば、体云々ということでないにしても、別れを切り出されてストーカーしたり、殺したりするのは男ばかりです。

まあとにかく(笑)、直子は、駆けつけてきた賢治に、富士山の火口を上空から撮影したポスターを見せます。それはつきあっている頃、その火口に飛び込めば死ねると刹那的なセックスをその上でしていたポスターです。

で、なぜ延期になったのだと尋ねる賢治に直子が答えます。

「富士山が噴火するんだって」

直子はそれを簡単に知ったわけではなく、特殊任務で結婚式ができなくなったと言う夫に、特殊任務って何? 結婚式まで延期しなくちゃいけない任務って何? と詰め寄るも全く答えようとしないので、夫が眠っているすきにパソコンを開いて見たということです。

で、それを知った夫が、二度とするな、したら何とかだとかそんなようなことを言ったので、直子は自分から縁を切ったというようなことを言っていました。

噴火はテレビのニュース音声だけで示されます。東京は壊滅的ということです。

そして、二人は、そんなことなど遠い国の出来事のように

「明日からこの国、戦争だよ」と言いながら

ふたりだけの四畳半の世界に入っていくのです。

東日本大震災後の日本を覆っている、人と人との絆が大切だとか、内へ内へと向かう気持ちであるとか、狭い世界にまどろむことの心地よさみたいな精神構造の究極の形の映画でした。見ていませんが「天気の子」やそれに類するアニメも同じような流れの中にある映画だと思います。

瀧内公美さん、出演にはかなり勇気がいったのではないかと思います。こういう映画は女性のセックスシーンが話題にされてしまいますが、賢治との日常的なシーンや微妙なニュアンスの台詞などとてもいい感じでした。

この映画により瀧内公美さんにいろいろな役柄のオファーが来る日本映画界であればと思います。

火口のふたり (河出文庫)

火口のふたり (河出文庫)

  • 作者:白石 一文
  • 発売日: 2015/06/08
  • メディア: 文庫