リーガル・サスペンスを期待してはいけない。フランスの特殊な裁判の映画。
結局、最後の最後まで(意図が)よくわからない映画でした。
法廷劇を期待して見に行きますと面食らいますよ。
死体もないのに殺人罪?
そもそも争われる事件が、死体もないのに殺人罪(だったと思うけど、よくわからん)で二審まで持ち込まれた事件ということです。それも一審で無罪判決が出ていても検察が控訴したということです。
ヴィギエ事件という2002年に実際にあった事件で、妻が行方不明になり夫が殺人罪で起訴されたとのことです。妻には愛人がいてその男が夫を犯人に仕立てようとしたとかしないとか、その愛人があやしいとか、今で言えばネット上のやり取りのような言った者が勝ちみたいな裁判の話です。
結局最後は、被告の弁護人が、こんな裁判デタラメだ、すべてが仮説、すべてが憶測、そんな起訴理由でこの被告は10年も世間の目に怯え苦しんできたんだ!と唾をとばす勢いで最終弁論をし無罪判決が出ます。
で、その後スーパーで、フランスには年間何万人かの失踪者がいると入り、またこの事件以後〇〇〇〇(4ケタ数字)号案件(言葉が違うけどこういう意味)の起訴はなされていないと入ります。
要はこの映画が扱っている事件はフランスの、それもある特殊なケースということかと思います。
映画は二審から始まりますので、もともとの映画にはない事件の説明が日本語のスーパーで入ります。そりゃそうでしょう、あれがなかったら一体何をやっているのか最後までちんぷんかんぷんです。
ネタバレあらすじ
ノラ(マリナ・フォイス)はレストランシェフです。仕事を終え息子を迎えに行きアパートメントに戻りますとドアの前に女性が待っています。家庭教師です。
どういうふうに説明されたか記憶していませんが、家庭教師の父親が被告のジャック・ヴィギエです。
ノラは二審の弁護をデュポン=モレッティ(オリヴィエ・グルメ)に依頼しようとします。担当ではないとか、あの裁判長はくせ者だからやりたくないとか軽くあしらわれ断られます。
なぜ家庭教師の父親という関係でノラが弁護士を依頼するしないに関わるのかと当然の疑問がわいてきますが、そんなことは忘れてしまえるように(笑)、なぜかモレッティの方から弁護を引き受けたと言ってきます。これははっきりはしませんが、公判中にモレッティが妻の愛人の弁護をしようと営業(仕事にしようと)したとかしないとか、これまた意味不明なことが明かされます。
それに映画の中盤でノラが一審の陪審員だったと明かされます。つまり、ノラはその時にヴィギエは冤罪だと確信したからの行動という意味かも知れません。
陪審員には審査もあるでしょうから、このケースのように関係者は陪審員にはなれないと思いますが、あるいは一審と二審の間に10年という歳月が流れていますので一審では無関係であったがその後接触し家庭教師を依頼したということかも知れません。
とにかく、弁護はモレッティが担当することになり、これまたよくわからないままにモレッティが裁判所から240時間だったかの通話記録を手に入れたのでノラにそのテープ起こしをするように依頼し(命じ)ます。
今さらテープ起こしって、裁判所にあるということは証拠として提出されたということなのに、その証拠が検討されずに一審の判決が言い渡されたということなんでしょうか。
映画のほとんどはノラがこのテープ(DVD)を聞くシーンにあてられています。実際は時間にすれば2、3割程度じゃないかと思いますがそう見えるということです。つまり、その通話記録に事件の真実を明かす何かがあると、それを使って見るものの興味を引きつけようとしているのですが、結果として実は決定的なものは何もないということです。
で、その通話記録からの情報をモレッティに日々提供しつつ裁判は進み、当然ながらノラは仕事をおろそかにし、かつ息子のことにもそっちのけで探偵のごとく裁判にのめり込んでいきます。
つまり、ある意味、映画はノラ自身が自らの思い込み、ヴィギエは殺人犯ではなく、妻の愛人こそが妻を殺害したのだとの思い込みで突き進む異様さをみせているとも言えるのです。
ただ、そうしたすべてが中途半端で、結果その異様さから何も導き出されない映画になっています。
ノラはレストランをクビになったり、裁判にのめり込むあまり息子からも信頼を失い、また留守の間に息子が火事騒ぎをおこしたりとあれこれコトは描かれますが、とにかくすべてが中途半端です。
というよくよく考えれば意味不明な映画なんですが、あるところまでは割と興味深く見られます。
理由は編集でしょう。けっしていいとは思いませんが、目先を変えるとてもテクニカルな編集がされています。その意味ではその編集の技術を生かせるいい題材を見つけるべきだと思います。
もっとやるべき映画があるでしょう
なぜ、この映画を買い付けてきたのか、配給さんにそのわけを聞きたいですね。
もっと日本でやるべき映画があるでしょう。多分。
フランスでは意味のある映画ですが、日本でやる意味はない映画です。