木の上の軍隊

人は最後は優しくなれるのだろうか…

1945年6月からの2年間、沖縄の伊江島で日本の敗戦を知らぬままガジュマルの木の上を生活の拠点として生き延びた2人の日本兵の話です。実話ベースの映画です。監督は「ミラクルシティコザ」の平一紘監督、その映画はとてもうまく出来た映画でしたので、この「木の上の軍隊」も期待大です。

木の上の軍隊 / 監督:平一紘

原案:井上ひさし、原作:こまつ座?…

やはりうまく出来ていました。衒いなく正攻法でシンプルにうまくまとめ上げる監督だと思います。映画の内容はあらすじや概要を読むだけでおおよそ想像がつきますし、主要な出演者は2人だけという結構難しい映画ですが最後まで集中して見られます。

ところでクレジットに「原案:井上ひさし」とありますし、確か井上ひさしさんの舞台劇があったはずとググってみましたら、上演が予定されていたものの未完のまま2010年4月9日に亡くなられたということでした。

それに残されていたのは「題名と設定と2行のメモ書き」だけだったらしく、娘であり「こまつ座」の社長である井上麻矢さんが上演を熱望して演出家の栗山民也さんに相談し、劇団モダンスイマーズの蓬莱竜太さんに依頼して書き上げられた脚本とのことです。2013年4月が初演で、その後改変されて「こまつ座オリジナル版」として上演されているようです。クレジットに「原作:こまつ座」とあるのはそうした意味合いだと思います。

映画の脚本は監督の平一紘さんです。

上官を堤真一さん、沖縄出身の兵士を山田裕貴さんが演じています。そうしたキャスティングからということもあると思いますが、シリアスさもほどほどで、コメディとまではいっていませんがほのぼの系を感じさせるところもある映画になっています。

その点では映画全体のトーンは山田裕貴さんが引っ張っている映画です。山田さんの持ち味であるまったり感を堤新一さんが必死に引き戻そうとしている感じがして、ある種究極の生存環境において軍人がその威厳を守らなくてはと必死になるところが滑稽にも見えてなかなかいい組み合わせだと思います。

おそらく舞台版は沖縄と本土という関係がもっと色濃く出ているのではないかと思います。その点では映画は反戦という点ではやや物足りないところはあります。

戦争で傷ついたものは元には戻れない…

米軍の沖縄本島上陸間近の1945年、本島から数kmの伊江島では住民を駆り立てて飛行場建設が行われています。指揮するのは山下少尉(堤真一)です。沖縄出身の新兵安慶名(山田裕貴)、与那嶺(津波竜斗)もいます。

飛行場は完成したもつかの間、米軍の支配下になることを恐れた軍部は破壊を命じます。そして米軍の上陸、日本軍は敗走を繰り返し、住民たちも犠牲になっていきます。

米軍の爆撃をガマでしのぐ日本軍です。そこに与那嶺の母親と妹が入れて欲しいとやってきます。軍人はここは軍専用だから駄目だと言いますが、安慶名が自分が出るから子どもを入れて欲しいと入れたその時、ガマに米軍の爆撃がありその子どもは死にます。

その後も敗走を続ける日本軍、ついに山下と安慶名はふたりで逃げ惑うことになり、ガジュマルの木の上に逃げ込みます。

運よく米軍に見つかることなく逃げおおせたふたりはその後2年間、その木の上を拠点にして援軍を待ち続けることになります。

そして、飢えや怪我といった物質的なことだけではなく、絶望、悔恨、プライド、意地、あきらめといった心の内面の葛藤に苦しむことになります。特に安慶名は与那嶺(戦死している…)の妄想をみたり、自分のせいで死んだ与那嶺の妹の幻影に苦しめられたりします。

ということなんですが、実は意外にも映画はあまり精神的な苦悩のようなものは描かれておらず、ほとんどが飢えの苦しみの描写に終始している映画で、山下と安慶名の対立もほとんどなく、完全に山田裕貴さんペースの映画になっています。

平一紘監督は沖縄の方ですので、逆の意味でセーブしたのかもしれません。太平洋戦争時の沖縄戦における日本軍の住民対応に関わることを抑えて描いたということです。

その点の物足りなさは感じますが、今ではこれくらいが受け入れやすいということかもしれませんし、実際35歳の平一紘監督にはむしろ重要なのは戦争による物質的破壊ではなく、もう沖縄は元に戻れないという精神的な意味での沖縄破壊の意識が強いのかもしれません。

平一紘監督らしい優しさの映画…

とにかく、ふたりは2年間生き抜き、そして日本の敗戦を知り、安慶名は家に帰りたいと、そして最後に海を見たいと、木の上から下りて海に向かい、山下はその後を追い、沖縄の海の中でお互いに笑顔を向けあって終わります。

平一紘監督の映画は2本めではありますが平監督らしいとても優しい映画になっていると思います。

率直なところでは、私も想像ではありますが、現実の日本軍人と沖縄の住民で徴兵されて新兵となったに過ぎない男の間はこの映画ほどやさしい関係ではなかったと思います。

実際、この映画から戦争というものを感じることはあまりなく、閉鎖的な空間での人間関係が描かれている映画だと言えます。