世界が引き裂かれる時

穴から見える世界は馬鹿な男たちの争いごとであり、破壊され、人が死んでいくだけの何も残さない世界

2014年7月頃のウクライナ東部ドンバス地方の物語です。2023年の今から見ますと、どうしても現在進行中のロシア・ウクライナ戦争という視点で見てしまいますが、そこに力点が置かれた映画ではありません。映画の制作も、2022年2月24日のロシアによるウクライナ侵攻以前であり、そのひと月前の1月21日にサンダンス映画祭でプレミア上映された映画です。

世界が引き裂かれる時 / 監督:マリナ・エル・ゴルバチ

壁の穴から見えるもの、こと…

2014年7月のある日、イルカとトリク夫婦の家に親ロシア派武装勢力の迫撃砲が誤って(かどうかはわからない…)着弾し、壁が粉々になり穴があいてしまいます。

あたりは徐々に親ロシア派により制圧されていく過程にあるのではないかと思います。後半になりますと、この穴から見える草原を親ロシア派の武装勢力が進んでいくシーンが増えてきます。

この穴から外を撮ったシーンがたくさんあります。おもしろいという言葉では語弊がありますが、おもしろいカットです。壁があれば見えないものが見えちゃうんですね。でもなんだか現実じゃない違う世界のようにも見えます。

一方、逆にこんなカットもあります。壁があれば単に家としか見えませんが、穴があいていますと、あの穴から見ていた自分が見えてきます。世界なんてこんなもんだなあと思います。

ただ、映画の視点はそんな悟ったようなところにあるのではなくもっと現実的で、穴から見える世界は馬鹿な男たちの争いごとであり、破壊され、人が死んでいくだけの何も残さない世界です。

イルカの見ている世界

親ロシア派の武装勢力に制圧されれば、当然住民たちもウクライナ側か親ロシア派かを迫られることになります。夫トリクの意思はあまりはっきりせず、親ロシア派の友人からしきりに妻イルカを説得しろと言われています。悪く言えば優柔不断ですが、どちらのもとであれ、平穏に暮らせればいいと考えているようにもみえます。

実際、トリクがイルカを説得しようとするシーンはありませんし、二人の間では、どちらにつくかなどという話はもとより、脱出するか残るかの話さえされることはありません。イルカが話自体を拒否しているか、もうすんだ話なのかも知れません。

いずれにしても、イルカには出ていかなくちゃいけない理由がないのでしょう。

イルカには弟ヤリクがいます。ヤリクはキーウで暮らしているらしくウクライナ派であり、イルカに早く脱出しろと説得しにやってきます。同じようにイルカがヤリクの説得になにか答えることもありません。

イルカは妊娠しており臨月になろうかという状態です。妊娠自体はラストシーンで大きな意味をもつのですが、設定としてはイライラ感や緊迫感に違和感がなく、ほぼ全編怒り続けているようなイルカが自然にみえます。壊された家を慌ただしく片付けようとしたり、いつもどおり牛の乳を絞ろうとしたり、水を汲みに出かけたり、頑なに日常を続けることにでてこでも動かないぞという意思を示しているようです。

しかし、日々外界の緊迫感は増していきます。そして、親ロシア派武装勢力の部隊が件の穴から家に侵入してきます。リーダーの男がトリクに合言葉はと問います。トリクは新ロシア派の友人から聞いていた合言葉で難を逃れますが、かくまっていた(ということだと思うがよくわからない…)ヤリクが見つかってしまいます。トリクは知らない男だと答えるも、拳銃を渡され殺せと命じられます。しかし、トリクはうなだれてしまいます。今度はその拳銃がヤリクに渡されます。ヤリクはトリクに狙いを定める振りをして銃口をリーダーに向け引き金を引きます。武装勢力の部下たちの一斉射撃でトリクとヤリクは射殺されます。

その頃、イルカの陣痛が始まり、イルカは一人苦しみながら穴の下に置かれたソファーの上で出産します。赤ん坊の泣き声が聞こえます。ただ、一瞬でしたのでその後どうなったのかはわかりません。

「すべての女性たちに捧げる…」のスーパーが入り映画は終わります。

マレーシア航空17便撃墜事件

という、叙情性を排したかなり冷めたつくりの映画です。それだけに胸にしみるものがあります。

さらに、後半には現実に起きたマレーシア航空17便の撃墜事件という事実が重ね合わされています。

2014年7月17日、マレーシア航空17便がアムステルダムからクアラルンプールへ向かう途中、ウクライナ東部ドンバス地方の上空で地対空ミサイルにより撃墜されています。こうした事件は必ず政治化しますので撃墜が誰によるものかが明確になることはありませんが、客観的な状況を考えれば親ロシア派によるものなのは間違いないでしょう。

映画もそのように描いています。ただ、そのことを直接的にどうこうということはなく、描き方としては娘(だったか…)の死を悼もうとやってきたオランダ人夫婦をイルカとトリクが墜落現場に送るシーンとして描いています。会話もありません。オランダ人夫婦の台詞もありません。悲しみに沈み、主翼に座る二人のシーンがあるのみです。

こういうところはとてもうまいです。マリナ・エル・ゴルバチ監督のインタビューによれば、忘れ去られているこの事件とともにドンバスの状況にもう一度世界の目を向けたいということがあったようです。

結局、直接映画による効果ではなく、また望むことではないにもかかわらず、ロシアのウクライナ侵攻によって再びこの地域に世界の注目が集まってしまったというのは悲しいことではあります。

KLONDIKEはどういう意味なんだろう

映画が示していることは、その後の現実も含めて言えば、未来への希望などどこにもないのだけれでもそれでも人は生きていくということかと思います。

ところで原題の「KLONDIKE」にはどういう意味が込められているんでしょう。調べては見ましたがよくわかりませんでした。

もうひとつ、カメラワークがかなり特徴的です。フレーム外の音声も多いですし、フィックスのカットに人物がフレームインしてきたり、ゆったりしたパンに人物が入ってきて慌ただしく動いたりと、見るものにちょっとしたイライラ感を感じさせる手法が多用されています。

ぎこちないところも多く感じますが、センスのいいマリナ・エル・ゴルバチ監督でした。