ギャグ要素を捨てて正統派ミステリーで描けばさらに面白くなったような…
そこそこ面白かったんですが、これ、もっとおもしろくできた話じゃないですかね。ミステリー時代劇って多分珍しいと思いますので、コメディ要素など入れずに正統派ミステリーで描いたほうがよかったように思います。原作がありますのでそうもいかないのかな。

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ネタバレあらすじ
原作の『木挽町のあだ討ち』は2023年の山本周五郎賞と2023年上半期の直木賞受賞作なんですね。その時の芥川賞は市川沙央さんの『ハンチバック』ですぐに読んでいるんですが、直木賞にはあまり目がいかず永井紗耶子さんは名前しか知らないです。読んでみようかな。
江戸の木挽町で17歳の若侍が父のかたきを討つという仇討ちがあるんですが、それが実は単純な話ではなく、その裏には命を賭した武士の忠義とウソをホントに変えてしまう芝居小屋の面々の仕掛けがあったという映画です。
映画冒頭がその仇討ちのシーンで、それが妙に芝居じみたつくりになっており、これはなにかあるなと見ていましたら、意外にもわりと早くネタバラシがされてしまい、終盤はそのネタを実際にやってみせるというつくりになっています。
最後にドカーン!のほうがよかったんじゃないですかね。余計なことですね(笑)。原作はどうなっているんでしょう。
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菊之助、作兵衛を討つ
文化七年(1810)1月16日、雪が舞う中、江戸木挽町の芝居小屋森田座の前は小屋から出てくる客たちで溢れています。その中を遊び人風の男 作兵衛(北村一輝)が肩で風を切るように歩いてきます。と、その前を真っ赤な振袖の娘が横切ります。後をつける作兵衛、娘は森田座の裏手の火除地へ、そして作兵衛が娘の帯に手をかけようと、娘はくるくるくると(ご無体なとは言わずに(笑)…)身を翻し、真っ赤な振袖を歌舞伎の引き抜きの如くの早変わりで脱ぎ捨てます。
現れたのは白装束に身を固めた若武者、伊納菊之助(長尾謙杜)です。菊之助は堂々とこれは父の仇討ちであるとの口上を述べて刀を抜きます。そして、菊之助と作兵衛の大立ち回り、ワイヤーアクションまで使われ(いらないでしょう…)、作兵衛は菊之助を森田座の小屋(物置…)に向けて投げ飛ばします。追う作兵衛、そして小屋の中で何が起きたか、菊之助の雄叫びと作兵衛の絶叫が辺りに響き渡ります。
菊之助が作兵衛の生首を持って現れます。
という相当に芝居じみた仇討ちですし、作兵衛の首を取るところを見せていませんので、誰がどう見てもこのあだ討ちはウソだろうとわかります。ですので、この後はこの仇討ちの裏には何があるんだろとわくわくしながら見ていくことになります。
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仇討ち、ひとつ目の事情
一年半後、美濃遠山藩の元藩士加瀬総一郎(柄本佑)が江戸にやってきます。総一郎は仇討ちを目撃した森田座の面々にその時のことを聞いて回ります。目的は同僚であった作兵衛を弔うために生首の行方を知りたいからだと言っています。
総一郎は図々しくも人当たりのいい人物で森田座の面々、木戸芸者の一八(瀬戸康史)、殺陣師の与三郎(滝藤賢一)、女形のほたる(高橋和也)、小道具係の久蔵(正名僕蔵)と順繰りに親しくなり、当時菊之助が森田座で世話になり、父親のかたきを討つために江戸へやってきたことを皆に話していたことを知ります。
菊之助が話したことはこうです。
菊之助の父伊納清左衛門は、ある日乱心して菊之助に刀を向け、それを止めようとして間に入った奉公人の作兵衛に誤って殺されてしまったというのです。そのとき、菊之助は作兵衛に逃げろ! と叫んでいます。菊之助にとって作兵衛は幼い頃からかわいがってくれた人物であり、恨みなどあろうはずもありません。それでも作兵衛を討ち取って仇を取らなければ伊納家は断絶となってしまいます。それが武士の定めです。
ここで冒頭の仇討ちに関するまずひとつ目の事情が明らかにされます。
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仇討ち、ふたつ目の事情
続いてふたつ目の事情です。
森田座の立作者篠田金治(渡辺謙)が上方から戻ってきます。金治と総一郎、そして森田座の面々が集まっています。
さて、どうなるかですが、実はこの映画、この後、ラストシーンをのぞいてほぼ全てフラッシュバックシーンです。つまり、金治と総一郎それぞれが知っていることを話すそのことが映像として描かれていくということです。
これがこの映画をそこそこの面白さで終わらせている大きな理由です。説明的で緊迫感がないということです。
とにかく総一郎が語る事情はこうです。
伊納清左衛門は遠山藩の要職(奉行かな?…)にあり、また総一郎は与力の職についていたとのことです。森田藩の財政は和紙の製造で潤っているのですが、家老の滝川主馬(石橋蓮司)一味が私的に蓄財していることが判明し、その確固たる証拠が清左衛門の手に入ります。しかし運悪くそのとき藩主は参勤交代で江戸に出仕しているため国元の実権は家老が握っており、逆に清左衛門が濡れ衣を着せられて危うい立場になります。
清左衛門は家名を守り、かつ家老の不正を暴くために命をかけた捨て身の一計を案じます。まず、自ら乱心したとして息子の菊之助に斬りつけます。そして止めに入った作兵衛によって殺されます。作兵衛は家老の不正を記した証拠を持って江戸へ逃げます。そうしますと作兵衛は菊之助にとって父の仇となり、その仇討ちを果たせば伊納家は再興されることになります。作兵衛の手にある証拠は後に江戸に向かう総一郎によって藩主に届ける手はずです。
総一郎によって語られる事情を我々はフラッシュバックとして見ることになります。そのシーンでは清左衛門は作兵衛に対して額を畳に擦り付けて、すまない、伊納家のために死んでくれと懇願します。また、乱心のシーンでは作兵衛ともみ合う中、菊之助には見えないところで自ら命を断っています。
これがふたつ目の事情です。ですので総一郎の目的は、もちろん作兵衛を弔うこともあるのですが、一義的には証拠の品を手に入れることとなります。
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仇討ち、最後の事情
そしてみっつ目、最後の事情です。
金治が話し始めます。実は金治は遠山藩の元藩士であり、菊之助の母たえ(沢口靖子)とは許嫁だったと言います。清左衛門乱心の騒動の後にそのたえから金治に手紙が来ており、金治はたえを訪ねています。菊之助を頼むということだったと思います。
菊之助が金治を訪ねて江戸にやってきます。森田座の立作者が一世一代の大芝居を考えます。
もうわかりますね。菊之助は作兵衛を恨んでいるわけではありませんし、でも伊納家の再興のためにはどうしても作兵衛を討ち取らなくてはいけません。ここはウソをホントにしてしまう芝居小屋です。ウソをホントに見せる手立てはすべて揃っています。
まずは作兵衛を見つけ出します。そして討たれて当然と見せるために実直な作兵衛に悪所通いをさせ一端の遊び人に仕立て上げます。菊之助には殺陣師の与三郎のもとで剣術を習わせます。討ち取った後の作兵衛の生首は小道具係の久蔵がつくります。
そして仇討ちのその日、菊之助は仇討ちのための白装束の上に女形のほたるが大切にしている真っ赤な振袖を着付けてもらい、雪が舞い、森田座の客があふれる中、作兵衛の前に姿を現します。
この後はもう実はこうでしたの解説映像みたいなものです。木戸芸者の一八が芝居の口上よろしく人々を煽る中、仇討ちが始まります。しかし、問題発生です。小屋の中に生首がありません。焦る二人、作兵衛は菊之助に思い切ってやってくだせえと自分の首に刀を当てています。
多分、このネタは原作にはないでしょう。解説映像では持たないと考えたんだと思います(間違っていたらゴメン…)。
とにかく、生首は間に合い、菊之助は生首を持ち近くの番所に届けて晴れて仇討ちを成し遂げたということになります。後は作兵衛の行方と大切な証拠の品です。森田座のその小屋には地下に穴蔵があり、芝居小屋の奈落と繋がっているということです。総一郎が穴蔵に入っていきますとそこには作兵衛がいて、無事証拠の品は総一郎の手に渡りました。
ラストシーンは、参勤交代の江戸出仕を終えて国元に帰る藩主の大名行列です。藩主は総一郎に木挽町に寄ってくれと言い、その前で籠を下り、金治以下森田座一同に深く頭を下げて礼をのべています。
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感想、考察:仇討ちが徒ならず
「仇討ち」が「あだ討ち」とひらがなになっているのは「徒討ち」と掛けてあるということです。武士がその名誉を守るための義務である「仇討ち」など庶民にとってみれば「徒」であるということです。
ただ、映画にはそのあたりの対比があまりうまく出ていません。原作にそれがあるかどうかはわかりませんが、むしろ映画は冒頭の仇討ちを様式美で見せようとしていますし、清左衛門の究極の犠牲的死にしても美しく描こうとしています。それに庶民の側である森田座の面々のあれこれにギャグ的コメディ要素を入れていることも、もしこの対比が主題であるとすればマイナス要素になっています。
正統派ミステリーとして緊迫感をもって描かれ、このテーマが強く浮かび上がってきていればもっともっと面白くなっていた映画だと思います。
ところで美濃遠山藩というのは現在の中津川市にある苗木城をその居城とした遠山氏が藩主の苗木藩のことです。