ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2020グランプリ作品
女性がプールで上向きに浮かんでいる画やその女性がプールの底でしゃがんでいるトレーラー内のカットに目が止まり見てみました。監督は佐藤智也さんという方で、この映画は「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2020」のグランプリ作品です。
日本、韓国、中国合作
日本、韓国、中国の合作となっており、実際、3カ国の俳優が出演し、3ヶ国語で会話が進みます。ただ、製作レベルでの合作という意味合いではないかもしれません。製作となっているマレヒト・プロは、多分佐藤智也監督の制作プロダクションでしょう。
公式サイトには、ロケも「韓国、中国、日本にまたがる」とありますが、主要なドラマは室内で進行しますのであまりそうした印象はありません。
公式サイトのトップにある霧に霞む湖など韓国の安東の風景が何カットかあり美しかったです。安東は物語の発端でもありますのでとても重要なんですが、現在軸のシーンはラストのみでそれ以外はフラッシュバックです。
上海は現在軸の舞台となっていますので中国の俳優さんがたくさん登場します。ただ、物語に決定的な役割を果たす人物たちではありません。
日本は、場所不明の1、2シーンがフラッシュバックとして入るだけです。
俳優は、韓国のイ・テギョンさんと日本の阿部力さん、他にみょんふぁさん、武田裕光さん、アグネス・チャンさんが出演してます。
シナリオも佐藤智也監督のオリジナルです。日本、韓国、中国という近くて遠い国が、いい意味でグローバル感なくうまく使われています。日本語、韓国語、中国語が極めて自然に使われる設定になっています。
イ・テギョンさんは3ヶ国語を話していましたし、阿部力さんは中国黒竜江省で生まれ育っている方ですので中国語と日本語を自由に使っていました。
という日中韓合作がうたわれている映画ではありますが、物語自体に国の影のようなものは一切なく、また異文化を感じさせることもなく進みます。決して悪いことではないとは思いますが、裏を返せばそれぞれのバックボーンが描ききれていないということでもあり、それが約2時間という特別長い映画ではないにも関わらず冗長に感じる原因なんだろうと思います。
ネタバレあらすじとちょいツッコミ
冗長に感じる理由はそれだけではなく、映画が説明的ということもあります。映画として深めるところがいっぱいあるのにもったいないという感じがします。
過去を説明的に語っても人物は深まらない(望月)
基本的に映画は、空(イ・テギョン)と望月(阿部力)のラブストーリーであり、ふたりはともに過去に心の傷を負っています。その心の傷が何かということが物語の軸になっているわけですが、それを現在のふたりの苦悩で描くというよりもフラッシュバックやファンタジーで説明する手法を取っています。
たとえば、望月には自分が母親に捨てられたという意識があるわけで、それを映画は、母親が幼い望月をじっと見つめるシーンやその望月が養親に連れられていくシーンのフラッシュバックの2、3シーンで説明しています。映像もセピアっぽい色調に落としています。現在軸のどこで挿入されたかは記憶していませんのでモンタージュとしても効果的ではなかったということでしょう。
監督の持ち味や手法に関わることにどうこういっても始まりませんし余計なことではありますが、せっかく上海ロケをしているのなら、むしろ、あえて上海という大都会で生きることを選んだ望月の現在の孤独を動的に描いたほうが効果的かと思います。
物語の表層を語っても実在感は生まれない(空)
空の場合はもっと複雑で映画の8割方は空の過去に費やされます。現在と過去が同時進行で心の傷が明らかになっていくつくりになっています。ただ、その描き方はやはり説明的です。
まず大枠をネタバレで書いてしまいますと、空には一卵性双生児の弟、海がいます。海はインターセックスであり、幼い頃は男性として育てられていましたが、その後身体的に女性となって現在の空のもとに姿を現します。しかし、それは空の見る幻です。
実際には、海は昏睡状態のまま安東の病院に入院しています。その訳は、幼い頃に空が海を車のトランクに入れて父親を驚かせようとしたのですが、その時父親は妻に強く詰られ、空が驚かせる間もなく父親は興奮状態で車を急発進させ、そのまま湖に突っ込んでしまったのです。父親は死亡、海は救出されるも意識は戻らず今にいたるということです。
つまり、空はその罪悪感に苦しんでいるがゆえに海の幻を見、映画としてはイ・テギョンさんの二役として海を登場させているということです。
公式サイトではこの空の状態を「サバイバーズ・ギルト」と説明しています。この空のケースにその言葉が当てはまるとは思いませんが、とにかく空のこの罪悪感をどう描くかがこの映画のポイントいうことです。
映画はそれを望月の場合と同じようにセピア調の過去映像でその表層のみ説明しています。インターセックスである海に女の子になりたいと言わせ、子どもたちに虐められるシーンや母親が医師に相談するシーンを入れています。他にも、父親が空と海の名前の由来を話すこととか、父親が写真家で母親が家計を支えていることとかはありますがそれらが現在の空の苦悩を描くことに結びついていません。
空はその苦悩がゆえに海の幻から逃れられないということなんだろうと思いますが、空と海のファンタジーシーンの意図がはっきりしておらず、なんとなくさらりと流れてしまっています。
これも手法なんでしょうからどうこういっても仕方ありませんがもっとダークであってもいいように思います。
俳優の力を信じるべき
イ・テギョンさんと阿部力さん、ふたりとも初めて見ましたが、この物語の過去を抱えた現在の空と望月を演じきる力は十分にあると感じます。
残念ながら、そのシーンが与えられていない映画です。
あらすじ
空は上海でイラストレーターとしてやっていこうとしています。出版社に売り込みにいきますが、絵が表紙には向かないと言われ採用されません。ただ、望月を紹介され、絵本の挿絵を描くことを提案されます。
ふたりは互いになぜ上海にいるのかと尋ね合い、互いに生まれ故郷にはいられないからと答えます。空の故郷は韓国の安東であり、父親は日本人、母親は韓国人です。望月は日本人です。
望月は空に好意を持ち、空もそれを感じています。その空の心の揺れが海の幻との会話で描かれていきます。また、同時進行でふたりのフラッシュバックが入り過去の傷が明らかになっていきます。
空の母親(みょんふぁ)は安東で土産物屋をやっています。父親(武田裕光)は写真家ですがなかなか収入には結びつかないようです。そしてすでに書いたように、母がなぜお金になる写真を撮らないのと父を詰り、興奮した父が湖に突っ込み死亡します。
望月の過去はすでに書いたとおりです。
空の書いた挿絵は絵本作家(アグネス・チャン)に評価されます。そのお祝いにと望月は空を食事に誘います。
その日、空は唐突に、自分は空ではなく双子の弟の海であり、もとはインターセックスであったが今は男性器を取り女性であると、望月を遠ざけようとしているのかのように告白します。望月はすぐには整理できないといった体で戸惑った表情を浮かべています。
安東の母から海が危篤であると連絡が入ります。空は安東に帰ります。海は亡くなります。
望月が安東にやってきます。もう上海には戻らないという空に、望月は自分も安東に越してこようかなと言います。空は仕事はどうするのと言いながらも内心うれしそうです。
物語と手法のミスマッチ
という結構爽やかな終わり方をしています。
そうですね、全体としても爽やか、と言いますか、特別感動させようとか、盛り上げようとか、奇をてらったところもなく印象として悪くありません。
ただ、物語を考えてみれば、え、そんな簡単でいいの? との思いも湧いてきます。
結局のところ、そうした物語の重さと画や構成の爽やかさのミスマッチが映画を冗長に感じさせ物足りないものにしているのではないかと思います。