女性指揮者アントニア・ブリコの半生を描く
原題の「De dirigen」はオランダ語で「指揮者」とのこと、英語タイトルもそのまま「The Conductor」、なのに邦題は「レディ・マエストロ」、逆説的に言えば、この邦題が最もこの映画のテーマを表現しているということになります。
エンドロールに、2017年の何かのデータでトップ50人の指揮者の中にひとりも女性がいないとスーパーが出ていました。また、この映画の主人公アントニア・ブリコさんも指揮者として認められたものの首席指揮者になったことはないとも出ていました。
実は、アート界が女性差別は一番ひどいということかもしれません。
「表現の不自由展・その後」の展示中止が続いている「あいちトリエンナーレ」では、今年の春におこなれた記者発表で出品者を男女同数にしたということがかなり話題になり、美術界の女性差別がいろいろ言われていました。
一方、こんなニュースもあります。
東京新聞:仏の若手指揮者コンクール 沖澤のどかさん優勝:社会(TOKYO Web)
映画は、「1930年にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者としてデビューしたアントニア・ブリコ」の半生を描いています。
映画のつくりとしては、とにかくドラマドラマしていますので、(私は)かなり引きました。ウィキペディアやこの経歴を読む限りではかなり創作が入っているようです。実際、映画はニューヨークのシーンから始まりますが、養父母とともに暮らしていたのはカリフォルニアで、ブリコはカリフォルニア大学バークレー校を卒業し、サンフランシスコオペラのアシスタントディレクターとして働いていたとあります。その後、ニューヨークへ行き、ピアノをジグムント・ストヨフスキに師事したようです。
とにかく映画では最初から最後までブリコはかなり押しの強い人物として描かれています。そうでもしなくては世に出られない時代の話ということではあるのですが、映画的にはメリハリがなくちょっとつらいです。
1926年、ブリコはコンサートホールの案内係をしています。密かに指揮者になりたいと思っているブリコは、案内する席を間違えたりと気もそぞろ、演奏が始まっても落ち着かず、(ホワイエで)食べていたランチボックスの箸で演奏に合わせて指揮のマネをしたり、挙句の果てに、(休憩後だったかな?)演奏が始まろうとするや、椅子を最前列の通路に持ち出し、そこで演奏を聴こうとします。
このファーストシーン、ブリコの思いの強さの表現ではあるのですが、さすがにあのハイテンションぶりは、音楽への情熱というよりも、その非常識さが際立ってしまっています。
ところで、ブリコがファーストフードのランチを食べるシーンがここだけではなく他にも1,2シーンあったのですが、あの時代、あんなチャイニーズランチボックスってあったんでしょうか?
と思って調べましたら、ボックス自体は1890年からあるようです。Oyster pail と言うそうです。もともとは牡蠣バケツということです。ただどうでしょう、中華料理のランチボックスとして利用され始めたのは第二次大戦後とあります。
それはともかく、映画の軸となっているのは、このブリコの指揮者になろうとする思いの強さなんですが、他にもサブストーリーがふたつあり、そのひとつがこのファーストシーンで出会うフランク・トムセンとの恋愛、そしてもうひとつがブリコの出生の秘密です。
この恋愛は創作だと思いますが、トムセンはファーストシーンのコンサートの主催者、時代的には音楽家のパトロンということになるのでしょうか、つまりは案内係のブリコの雇い主ということになります。
結局、最初の騒ぎでブリコは解雇されますが、その後も偶然出会ったりし、お互いに愛し合うようになり、映画の中頃でトムセンが結婚を申し込みますが、ブリコが指揮者の夢を捨てきれず断るというドラマになっています。
この恋愛物語は最後まで続き、ブリコがニューヨークで女性だけの管弦楽団を結成したときには、トムセンがエレノア・ルーズベルト(大統領夫人)を紹介するなどのサポートしていました。エレノア・ルーズベルトが支援したというのは事実のようです。
ラスト近く、求婚を断られたトムセンは母親の勧める女性と結婚し、すでに子どももいます。ブリコが上の支援のお礼のために訪ねてきます。トムセンは未だブリコへの未練を断ち切れてはいないのですが、
「君の才能をなきものにしなくてよかった」(記憶で適当に作った)
と、(潤んだ目をして)言います。言うまでもなく、男性が望む結婚というものは女性の社会から断絶を意味するということです。結婚か仕事か、女性にとっては二者択一の時代…、今でもありえますね。それに、映画へのツッコミではありませんが、才能の問題ではないです。
ラストシーン、ブリコが指揮する女性だけのコンサート、ファーストシーンとは逆に、今度はトムセンが急ぎ駆けつけて、自ら最前列に椅子を持ち出して演奏を聴くというオチをつけたシーンでドラマをまとめていました。
さすがにドラマパターンが古い感じはします。
もうひとつのサブストーリーである出生の秘密は割と事実に近いようです。監督のマリア・ペーテルスさんはオランダの方ですのでそのあたりは創作しにくい部分もあるのかも知れません。
ブリコは1902年にオランダのロッテルダムで未婚の母のもとに生まれています。父親がピアニストだったというのは映画でも語られていました。イタリア人と書いているサイトもあります。母親がカトリックだったということもあるのか、里親に引き取られ、5,6歳の頃に米国に渡っています。養父母から実母がオランダにいると明かされたのは高校を卒業する頃だったらしく、それを機に養父母の元を去っています。
で、肝心の指揮者への道ですが、たしかにいろいろな障害が描かれてはいますが、思い返してみれば、ブリコの押しの強さが全面に出ていたせいか、女性が指揮者になるうえでの困難さというのはあまりうまく浮かび上がっていなかったような気がします。
描かれるのは、よくドラマに使われる型通りの偏見や師事した音楽家のセクハラで、たしかにそれらは女性差別の根っこなんだろうとは思いますが、ブリコがそれらをものともせず突き進みますので、アントニア・ブリコさんはすごいなあで終わってしまいます。もっとアカデミズムの権威主義的なものとか、そういうものの壁があるような気がします。
伝記映画ですから、まあいいですかね(笑)。
ベルリン(ハンブルク?)で師事していた指揮者のカール・ムック、この方は実在の人物で、実際でもそうだったようですが、映画でもブリコにかなり力を注いで育てようとしていました。唯一の弟子だったようです。
ブリコが女性として初めてベルリンフィルを指揮するシーンでも、その前に別の女性が緊張のあまりなのかステージ上で失神するシーンを入れたりしており、ちょっとやりすぎのドラマドラマした映画でした。
もう少しシンプルに描いたほうがよく伝わるように思います。
アントニア・ブリコさんの実写映像があります。