手漕ぎ船と一本の銛で鯨に挑む
数日前に劇場で見た予告編、銛一本で巨大なクジラに向かって海に飛び込んでいく人の姿に驚き、早速見に行った映画です。
手漕ぎ船と銛一本
そのトレーラーは多分下のものだったと思います。15秒くらいのところです。
インドネシアのラマレラ村、手漕ぎの船と銛一本で10メートル(もっとかも)もあろうかというマッコウクジラの捕鯨を行う村があるそうです。私は知りませんでしたが割と知られていることのようでもあります。
飛び込んだ人は大丈夫なのかと思いますが、実際、映画の中ではベンジャミンという男がそのまま海に引きずり込まれて行方不明になったと語られています。
映画にはその漁の映像はありませんが、ベンジャミンの遺体が上がらず、村人が捜索したり、また、事故が起きたのは前日に夫婦喧嘩をしたからだとの迷信から妻が涙を流して悲しむ映像が入っていました。
ただ、妻の涙の映像が夫を失った直後のものだとしたら、なぜ漁の映像はないのだろうと若干疑問には思います。一年に10頭も獲れれば村人1,500人全員が生きていけると語られていますので、そう頻繁に鯨漁がおこなわれるわけではなさそうで、その時撮影に入っていれば当然漁にも同行しているものと思われます。
映画自体の時系列ははっきりしておらず、長年撮影してきた映像を構成した映画のようです。
で、その構成の考え方は、公式サイトにある「眩しいほどの生命力に満ちた人々の生き方、そして激しくも厳かな命のやりとりは美しさすらたたえ、人間と大自然の本来あるべき関係を思い起こさせてくれる」という視点なんだろうと思います。
3つの視点と美しい映像
どうやって撮ったんだろうと思う画があります。
ひとつは船上の画です。さほど大きくはない船に数人から10人くらいの村人が乗っています。当然漁の状況によって人は動き回ります。その船の中央くらいの位置で漁の臨場感のある画が前方、あるいは後方と、カメラマンがそこにいなければ撮れない映像になっています。邪魔ですよね(笑)、信頼感ということなんでしょう。鯨が抵抗し激しく船にぶつかり水をかぶりあわや転覆かという画もあります。
水中映像もあります。鯨が血を流していましたので漁で捕獲したときのものでしょう。
これについて、石川梵監督が石川直樹氏との対談で3つの視点といったことを語っています。
つまり、鯨が捕獲されワーと鳴く声を聞いた時、それまで人間の物語だけ撮っていたことに気づき、鯨の物語も撮らなくてはいけないと思い、水中撮影や鯨の目を撮ることを考えたということです。
人間の視点、鯨の視点、そして空からの視点の3つです。
ドローンによる空撮がとても美しいです。自然の目から見た場合、鯨と人の操る船が同じようにもみえるとの意図なんだろうと思います。
血に染まる海
が、しかし、鯨が捕獲されたその時、海は鯨が流す血で真っ赤に染まります。
残酷ではあります。
ラマレラの人々の本当の姿か
正直なところ、予告編で感じたインパクト以上のものを感じることはありませんでした。
銛一本で鯨に向かうことのインパクトと美しい映像、これだけです。
鯨が捌かれる時、その様子をスマートフォンで撮影する人がいます。当然ラマレラ村の人々も鯨漁だけで生きているわけではないでしょう。映画は人々がいまだ原始的な生活をしている(とは言っていないが)ようにも見せています。
ラマレラをググっていましたら『ラマレラ 最後のクジラの民』という本の書評がヒットしました。
書評を読む限りですが、この本からはラマレラの人たちの生きている姿が感じられそうです。早速読んでみようと思いますが、この映画からはそうした生々しい人間の存在感のようなものは感じられません。
どこかベールに包まれたような、たとえて言えば、NHKのドキュメンタリーを見ているような、ここには知られざる世界があるよと言っているだけの映画にもみえます。