この映画が描く一面だけではなくリー・ミラーの全人生を知りたくなる…
リー・ミラーというアメリカ人の写真家の半生を描いた映画です。「シビル・ウォー アメリカ最後の日」でキルステン・ダンストさんが演じた従軍カメラマンのモデルとなった人らしいです。たしかに役名はリー・スミスとなっています。
この映画のキービジュアルになっている上の画像の浴室はヒトラーの浴室だそうで、え、どういうこと? という映画です。

従軍カメラマンはミラーの一面でしかない…
リー・ミラー(Elizabeth “Lee” Miller)1907年4月23日 – 1977年7月21日。
映画は30歳くらいの1937年から1945年まで、主に従軍カメラマンとしての姿を描いていますが、それ以前の経歴がすごいですし、その後は戦争体験からのPTSDに苦しみながらも写真だけではなく料理の分野でも独自性を発揮していたそうです。
1977年に70歳で亡くなっており、どの時代をとっても映画にできそうな人物です。映画が描いているのはその一面ですので、どういう人物かを知るにはいろいろなものに目を通したほうがよさそうです。
映画でも描かれているように思いついたら即行動に移すタイプの人らしく、18歳でパリに渡り舞台芸術学校で学び、翌年ニューヨークに戻って実験演劇に参加したかと思いますと、次は美術学校に入学してデッサンや絵画を学んでいます。
19歳のときにマンハッタンで「ヴォーグ」誌を発行していたコンデ・ナストと知り合った(計画的と書いているものもある…)ことからモデルの仕事を始め、早くも1927年3月15日号のヴォーグの表紙を飾っています。下のリンク先のイラスト化された画像がリー・ミラーだそうです。
その後2年ほどはトップモデルとして活躍し著名写真家たちの被写体となっています。しかしある写真が本人の知らない間に生理用ナプキンの広告に使われたというよくわからないスキャンダルでモデルの道をあきらめてファッションデザイナーに転身、しかし、写真に興味が移ったということなのか、1929年ですから21歳か22歳のときにマン・レイに師事しようとパリに飛んでいます。
マン・レイは当初弟子はとらないと言っていたのですが、結局リー・ミラーはマン・レイのモデル、協力者、恋人、ミューズ(Wikipedia:his model and collaborator (announcing to him, “I’m your new student”), as well as his lover and muse)となります。
この間に写真技法を学んだのでしょう。実際、マン・レイとともにソラリゼーションという技法を再発見したりしています。すでに知られていた技法を積極的に進化させたということかと思います。また、シュールレアリストやダダイストとの交友関係も広がり、パブロ・ピカソ、ポール・エリュアール、ジャン・コクトー、そして映画ではマリオン・コティヤールさんが演じていた「ヴォーグ」のエディターであるソランジュ・ダヤンと知り合っています。
Lee Miller Archives には1929年からの作品が保存されており、この時代のものではマン・レイやダリのスナップ写真やセルフポートレートが残されています。
マン・レイとの関係は3年で終わっています。1932年にニューヨークに戻り、写真スタジオを開設しています。写真家としても展覧会に参加したり個展を開いたりしているようです。
Lee Miller Archive にはこの時代に撮ったリリアン・ハーヴェイやガートルード・ローレンスなど俳優のポートレートがあります。時代や名前で絞り込めますので一度見てみてください。チャップリンの写真も2枚あります。
それにしてもこの人、向上心が強いのか、移り気と言うべきかはわかりませんが、人であれ場所であれ、ひとところ3年くらいしか持たないですね。1934年にはスタジオを閉め、エジプト人の実業家と結婚してカイロに移り、この間にも写真は撮っていたようですが、1937年になりますと、ウィキペディアによればカイロの生活に飽きて再びパリに移っています。
やっとここからが映画のリー・ミラーです。
リー・ミラー30歳のシーンの違和感…
映画はすでに老齢となったリー・ミラーが若い男性ジャーナリスト(ジョシュ・オコナー)のインタビューを受け、過去を語るという回想形式で進みます。このシーンのミラーはケイト・ウィンスレットさんが老けメイクをしています。
この後、インタビューシーンには数回戻ってきますが、最初のこのシーンではミラーの受け答えがインタビューなんか受けるものかみたいにやけに刺々しく、どういうことなんだろう、ミラーのこだわり表現なのかなと見ていたんですが、それもあるとは思いますが、ラストでこのインタビューシーンの本当の意味が明かされます。
1937年のパリ、数人の男女のボヘミアン風ピクニックシーンです。どうやらここにはソランジュ・ダヤン(マリオン・コティヤール)やヌーシュ・エリュアール(ノエミ・メルラン)もいたようで、であればポール・エリュアールもいたのかもしれませんし、和解したマン・レイもいたのかもしれません。
そこへミラー(ケイト・ウィンスレット)がやってくるわけですが、その後の展開でもマリオン・コティヤールさんもノエミ・メルランさんもほとんど大した役割などなく、なぜこのキャスティング? ととても不思議な映画です。
とにかく、この映画、ケイト・ウィンスレットさんの映画で、まあそれはそれで仕方のないことではありますが、それならそれで二人にこんなキャスティングする必要などないように思います。
やってきたミラーはいきなりブラウスを脱ぎ上半身は裸です。その脱ぎ方があまりにも芝居がかっていてまったくボヘミアンではありません。さらに誰かがミラーにあなたはなんとか(忘れた…)ということに返して「私は酒とセックスと写真で生きているから(ちょっと違うかも…)」と言うのです。おそらく前項に書いたこれまでのミラーの過去をこの台詞で表現しているのでしょうが、とにかくミラーの登場がケイト・ウィンスレットさんの存在感もあってあまりにも大仰です。
さらに言えば、そこにその後恋に落ちるローランド・ペンローズ(アレクサンダー・スカルスガルド)がやって来るわけですが、ミラーはその姿を見るやいなや脱いでいたブラウスで胸を隠します。ミラーがペンローズを男として意識したという演出なのかなと思いますが、裸がエロティックなものと強調されてしまいとてもまずい演出です。
そもそも脱がなきゃいいのにと思いましたら、Lee Miller Archives にこのシーンのもととなっていると思われる写真が ありました。
- Picnic(Man Ray,Ady Fidelin, Nusch and Paul Eluard,Lee Miller,)
- Picnic(Man Ray,Ady Fidelin, Nusch and Paul Eluard,Lee Miller,)
なぜ女性だけ脱いでいるんでしょう?
これらの写真を撮っているのはペンローズですので映画とは設定は違いますが、いずれにしてもケイト・ウィンスレットさん演じるミラーはなんだか風格あり過ぎの印象です。
そんなこんなでとにかく違和感の強いシーンでした。
ミラー、従軍カメラマンとなる
その後はペンローズと愛し合うようになり、ロンドンで暮らすことになります。リーは「ヴォーグ」の専属カメラマンのようなポジションにつき、「ヴォーグ」イギリス版の編集者オードリー・ウィザーズ(アンドレア・ライズボロー)と親しくなります。
1939年、ドイツがポーランドに侵攻し第二次世界大戦が勃発します。当初はナチスの存在を笑って茶化していたミラーたちですが、またたく間にナチスはパリを陥れ、1940年9月以降はロンドンが空襲される事態になります。
この頃の「ヴォーグ」イギリス版はファッションだけではなく戦時中の社会情勢を報道していたらしく、ミラーもまたそうした写真を撮るようになります。映画の中に2人の女性に黒のフェイスマスクをつけさせて写真を撮るシーンがありますが、あれは実際にある写真で1941年7月15日発行の米国版ヴォーグ誌に掲載されたそうです。
ミラーは戦場へ行くことを切望するようになります。イギリスは女性の従軍記者を認めていませんがミラーはアメリカ国籍です。1942年12月、ミラーは「ヴォーグ」の発行元であるコンデナストの従軍特派員になります。
そして1944年6月6日のノルマンディ上陸作戦後、アメリカの写真家デヴィッド・シャーマンとチームを組んで米軍と行動をともにすることになります。
映画では具体的に場所は明示されていませんが、冒頭に使われていた戦闘地域でのシーンはサン・マロ包囲戦だと思います。ウィキペディアには「5日間前線で過ごした」とあります。Lee Miller Archives にドイツのサン・マロ守備隊の指揮官フォン・オーロック大佐が捕虜になる写真がありますが、映画で「ハイル ヒトラー」とナチス式の敬礼して捕虜になる将校がいましたが多分これですね。
他にも実際の写真から映画に使われたシーンがあるとは思いますが、なにせアーカイブスの写真が大量ですので確認しきれません。映画には使われてはいませんでしたが、ノルマンディ上陸作戦の激戦地オマハビーチの写真もあります。
そして、映画が最も力を込めて描こうとしているナチスの強制収容所を訪れるシーンになります。ミラーはブーヘンヴァルト強制収容所とダッハウ強制収容所で多くの写真を撮っています。下のリンク、衝撃的な写真ですのでご注意くだだい。
- A pile of starved bodies
- Pile of corpses
- Liberated prisoners in their bunks
- No Title
- Horrors of a concentration camp, unforgettable, unforgivable.
(強制収容所の恐怖、忘れられない、許せない。)
そして、映画のワンシーンになっていましたいずれかの町の地位ある家族の自死現場の写真です。
そしてこの映画のキービジュアルとなっているミュンヘンのヒトラーのアパートメントの浴槽に入るリー・ミラーです。
浴槽の前に置かれたブーツはその前に訪れていたダッハウ強制収容所の泥で汚れています。映画ではミラーがマットの上でブーツをこすりつけて泥を落としていました。
この写真は1945年4月30日の夕方に撮られたもので、その同じ日にヒトラーはベルリンで自殺しています。
ミラーはこの写真を撮った後、実際に入浴し、その後ヒトラーのベッドで眠ったとウィキペディアにはあります。なお、この写真を撮ったのは行動をともにしていたデヴィッド・シャーマンであり、そのデヴィッドもまた浴槽に入った写真を残しています。
ミラー、怒りでネガを切り刻む…
終戦後、ミラーは「ヴォーグ」イギリス版の編集者オードリー・ウィザーズに収容所での写真を掲載するよう迫りますが刺激的過ぎる(ような意味…)として認められません。怒ったミラーはオフィスに保存されているネガをハサミで切り刻んでしまいます。
この一連のシーンは映画の創作だと思いますが、実際には掲載されたような記述がウィキペディアにはあります。
映画ではどうなっていたのか記憶していません。その後のシーンとして、ミラーがウィザーズに自分は7歳のときにレイプされたと告白します。収容所で見たことがミラーの心の深い傷を呼び覚ましてしまったということです。
ウィキペディアには、ミラーは7歳のときにブルックリンの知り合いの家でレイプされ淋病に感染したとあります。また、ミラーの父親はアマチュアの写真家で10代のミラーのヌードを何枚も撮っていたとのことです。
で、エンディングはインタビューシーンに戻り、インタビュアー若い男性が自分の母親はうつ病でアルコール依存症で決していい母親ではなかったと語り始めます。そしておもむろに立ち上がり窓の外を見ながら、でも母親の過去を知った今は誇りに思うと振り返ったそこにはもう誰もいません。
インタビュアーはミラーの息子アントニー・ペンローズであり、母親の死後、屋根裏部屋から6万枚におよぶネガを発見し、その写真から母親の人生を追想し、本当の姿を知ったということです。
Lee Miller Archives はアントニー・ペンローズと妻のスザンナによって創設されたものです。また、アントニー・ペンローズはリー・ミラーの伝記本も書いています。
ミラーは終戦後もうつ病(PTSDとも…)に悩まされながらも2年ほど「ヴォーグ」誌の仕事をしています。そして1947年になり、ペンローズの子を妊娠していることがわかり、エジプト人の夫と離婚して(10年間離婚していなかったんだ…)ペンローズと結婚し、その後アントニーが生まれています。
リー・ミラー40歳です。
「女性」であることが強く意識された映画…
映画はリー・ミラーが「女性」であることを強く意識して描かれています。
映画では描かれていませんが、すでに書きましたように、リー・ミラーは、幼少期の性被害、そして、父親のモデル、ヴォーグでのモデル、マン・レイのモデルあるいはミューズとなり、男性からの搾取の対象とされてきているわけです。実在のリー・ミラーがこの映画ほどパワフルだったとは思いませんが、それでも実際にリー・ミラーは次から次へと自らの置き場所を変えてながら何かを追い求めています。その象徴が撮られる側から撮る側への転身だったんだろうと思います。
「女性」であることを強く意識するとはこのことで、現実社会に置いては男性がリー・ミラーの立場に置かれることはほとんどないわけです。女性にとってみれば意識しなければ逆転させることができないのが現実ということです。それを理解しているからこそケイト・ウィンスレットさんも力が入ることになったんだと思います。
とにかく映画のミラーはパワフルです。いわゆる男目線的な女性描写は一切されていません。ペンローズとの出会いにしても、その後の愛し愛され方にしても、また従軍シーンでのデヴィッド・シャーマンとの関係にしても、戦時中の姿にしても搾取的視線を拒否するかのようにパワフルです。
リー・ミラーという人物を知ることになったいい映画でした。