誰も傷つかいない閉じた世界の恋愛ファンタジー
この人たちの頭の中には恋愛しかないのか?(笑)という映画です(ペコリ)。
全編いわゆる恋バナの映画です。
誰も傷つかない(漫画的)恋愛ファンタジー
今泉力哉監督の映画、割と見ています。
ブログ内を検索してみましたら、「知らない、ふたり」「愛がなんだ」「アイネクライネナハトムジーク」「あの頃。」の4本でした。それらをあらためて読んでみたところ、この映画、「愛がなんだ」に近い感じがします。
ただその映画は角田光代さんの原作があり、こちらは今泉監督のオリジナル脚本ということですので、この「街の上で」のほうが今泉監督のやりたいことや恋愛観そのものということでしょう。
それに、この映画で主演の若葉竜也さんと友情出演となっている成田凌さんも「愛がなんだ」に出ていました。その映画を見た頃はふたりともよく知りませんでしたのであまりビジュアルとしては記憶に残っていません。若葉さんが印象に残っているのは石井裕也監督の「生きちゃった」ですね。
で、映画です。
舞台は下北沢です。今泉監督にはなにか特別な思いがあるのかもしれませんが、おそらく、物語のゆる~い感じが古着屋や古本屋という登場人物の生活環境にぴったりということから、「“文化の街”下北沢(公式サイトから)」という設定なんだと思います。
街を変えればまた違った恋愛模様になりそうです。地方都市の話にすれば血をみる話になったかもしれません(笑)。
つまり、そういうことです。この映画では誰も傷つきません。浮気をされようが、振られようが、密かに(でもないけど)相手を思い続け、結局元の鞘に収まります。「生きちゃった」のように妻が知らない男の上で体を動かしている現場を見ることもありません。別れてほしいと言われた男は相手に新しい男がいるとわかれば静かに引き下がり、涙を流して顔をくちゃくちゃにすることもありません(見せません)。
荒川青と城定イハの恋バナ談義から翌朝の恋の鞘当て井戸端会議が典型かと思いますが、友達関係的恋愛関係が心地よいという恋愛観の映画です。
自分は傷つきたくないし、相手も傷つけたくない、確かに悪いことではありませんが、そうはいかないのが恋愛ですし現実でしょう。ひとそれぞれですが…。
ネタバレあらすじとちょいツッコミ
数人、いやもっと多く、10人くらいでしょうか、20代の心やさしい人たちの恋愛群像劇です。ラストにはパズルのピースがピタリと収まるラブコメ的展開です。
荒川青(若葉竜也)は川瀬雪(穂志もえか)の誕生日(かな?)の日、雪の浮気を責め(それほどでもない)、逆に別れてほしいと言われます。青は別れないからねなどと言っています。その後のシーンはありませんが、結局振られたという状態のまま、青はそれ以降も頻繁によりを戻したいと連絡を入れているようです。
行きつけのバーのシーン。マスターは雪から相談をされているらしく相手を知っているようです。また、常連の客が映画か舞台かわかりませんがオーディションに通ったと喜んでいます。ただ、後にその役を元相撲取りに取られたと荒れるシーンがあります。
行きつけの古本屋のシーン。青が店員の田辺冬子(古川琴音)に亡くなった店長(オーナー?)とデキていたの?と無神経な問いかけをして傷つけてしまいます。
青が働く古着屋のシーン。青はいつも本を読んでいます。高橋町子(萩原みのり)が訪ねてきて、青に自分が監督する映画に出演してほしいと言います。青は無理無理と言いながらも引き受けることになり、冬子への謝罪の際に稽古を手伝ってほしいと頼みます。後に冬子がスマートフォンで青を撮影するシーンがあります。
その撮影の日、青が控室とされたマンションの一室へいきますと、連ドラにも出演している間宮武(成田凌)も出演すると聞かされ驚きます。武と出会い言葉をかわします。そして、青の撮影シーン、ただ本を読んでいるだけのシーンですが青はガチガチに緊張し何度もNGを出しています。監督の町子はダメだとあきらめ、スタッフのひとりで別バージョンを撮ります。
撮影の打ち上げのシーン。町子と青の代役をした男が青のことで口論をしています。青は別のテーブルでぽつんとしています。居づらいという感じではなく、こういうケースなら普通行かないだろうという打ち上げにもついていく人物造形がしてあるということです。
青の隣に映画の衣装担当の城定イハ(中田青渚)がやってきて、あの二人(町子と男)はくっついたり離れたりを繰り返していると言いながら座り込みます。一般的には興味があるから近づいたという感じです。
打ち上げが終わり、イハが青を自分の住まいに誘います。テーブルをはさんでお茶を飲みながらの恋バナ談義です。青は、雪が初めて付き合った人だと話し、イハは3人と付き合ったことがあり、二人目の人を今でも好きであり、またその人は関取で肉体関係はなかったと話します。3人目は勢いで付き合うことになり、別れたいがために新しい彼ができたと嘘をついているが、相手は聞き入れず、今でも部屋の鍵を持っていると言います。
雪の住まいのシーン。武(成田凌)が雪から別れたいと言われています。雪は間宮武のファンだったらしく、なにかの縁で付き合うことになったのでしょう。雪は、俳優(著名人)である武とでは自分が安らげない、前の人(青)とは居心地がよかったと言っています。武は気が収まらないままにその男と会わせてほしいと言います。
青とイハの恋バナ談義の翌朝のシーン。青が帰ろうとした時、チャイムが鳴りドアが開きます。イハの元カレは青をひと目見てそのまま立ち去ってしまいます。
コンビニまで一緒に行くというイハと青が連れ立って歩いていますと向かいから雪とバーのマスターやってきます。恋の鞘当て(ちょっと違うか)井戸端会議が始まります。
青は雪の相手はマスターだったのかと言い、雪はイハを青の彼女なのかと言い、互いに相手を責め(それほどでもない)、互いに、またそれぞれ4人は否定しあい、成り行き上否定することもできず有耶無耶に肯定したりし、さらにそこにイハの元カレがやってきて、青にイハの部屋の鍵を渡そうとし混乱が深まります。
何を思ったか(本当にわからない(笑))雪がその男の自転車で走り去ります。途中警官(早い段階で登場しこのシーンのための振りがある)に出会い、その警官から恋バナを聞かされ、それがきっかけになったのか、突如思い立って電話で「今どこにいる?」と尋ねています。
青の住まいのシーン。雪が武を連れてやってきます。相手が間宮武だったと知り驚く青、武は青を見てそのまま静かに去っていきます。
町子の映画の上映会のシーン。終了後、冬子が町子に詰め寄り、なぜ青のシーンがないのか、青は一生懸命稽古していたと責めます。最初は青にもそう伝えてあると言っていた町子ですが、次第にあんた誰?青の彼女?などと苛立ち始め、映画とはそういうものだと言い放ちます。そこへイハがやってきます。さらに詰め寄る冬子に一言「下手だから」と言います。
後日、バーのシーン。大柄の男がやってきて烏龍茶(こういう設定も作り込まれている)を注文し、例の役を取られた男の名前を言っています。マスターは、ああ、あの例のあの話…などと言いつつも何も答えない相手にややしどろもどろ。
で、終わります。
その大柄の男がイハの元カレだと明かさないのがせめてもの…、ん? なんだ? 言葉が見つからない、つまり、そこまでやってしまえばあまりにもダサいと思いとどまったのでしょう。それほどに作り込まれている映画です。
恋バナだけでは先がなくはないか…
基本的には今泉力哉監督の妄想映画でしょう。もちろん現実にないという意味ではなく、言い方を変えれば恋愛観という意味です。
すべて女性が主導権を握り男性が受け身にまわっていることも、性的関係を伴わない男女関係のありようも、青が語る雪との最初の性体験のエピソードや風俗で働く女性のことも、さらに相手の女性が自分のところに戻ってくるだろうと考えることも今泉監督の恋愛観だと思います。
人の恋愛観をどうこう言っても意味がありませんが、ただそれが映画となれば、どうなんでしょう、この映画からは閉じた感じを強く受けますので、映画としてそれでいいのかなとは思います。
生きた人間が演じて何かを生み出そうとする映画や演劇に重要なことは、演じられる人物の実在感であり、また、そこから発せられる社会とのなんらかの関係性ではないかと思います。
この映画にあるのは閉じててもいいから心地よくいたいという価値観です。
そうした価値観を否定するつもりはありませんが、それは他のジャンルに任せておけばいいのではないかと思います。