メガロポリス

フランシス・フォード・コッポラ監督らしい遺作(ゴメン…)となりそう…

久しく監督としての名前を目にしなかったフランシス・フォード・コッポラ監督が自らのワイナリーを売った1億2000万ドルの自費を投じて撮ったという映画です。

メガロポリス / 監督:フランシス・フォード・コッポラ

コッポラ監督の遺作はインデペンデント映画となる…

なんでもコッポラ監督は、この映画の構想、共和制ローマ(〜紀元前27年)の崩壊と現代アメリカを重ね合わせるという構想は1977年頃に思いついていたらしく、その後何度か資金調達を試みたもののお金を出すスタジオはなかったということのようです。それがやっと実現したということになります。それも人生の最晩年ともいえる年齢(現在86歳…)ですので、見方を変えればこの映画を撮るためにワイナリーで稼いだということかもしれません(想像です…)。

という経緯で製作され、昨年2024年のカンヌ国際映画祭コンペティション部門でプレミア上映されたんですが、その後アメリカでの劇場公開はなかなか決まらず、結局興行収入も1430万ドルにとどまったということです。ひとケタ違いますね。

借金を背負ったかどうかはわかりませんが、御年86歳ですのでこれが遺作になりそうなコッポラ監督です。もしそうなるとしたらですが、ある意味フランシス・フォード・コッポラ監督らしい終え方にも見えてきます。

それはそれ、巨匠フランシス・フォード・コッポラ監督の遺作(勝手にゴメン…)がインデペンデント映画であったというのは、なんだかカッコいいですね。

未来都市メガロポリスは MAGA か…

で、映画ですが、これは出来をどうこう語るようなものではありませんね。

見るものに伝わるような物語はありませんし、新しさはなく、映像も陳腐ですし、現代アメリカの生活感や価値観を皮肉っている(ちょっと違うけど…)とはいえそれ自体がダサいですし、そもそもコッポラ監督らしい哲学が皆無です(ゴメン…)。

ちょっと無茶苦茶書いてしまいましたが、ただひとつ、こういう見方ができるかもしれません。

映画の基本プロットは、天才建築家カエサル・カティリナ(アダム・ドライバー)がニューローマを牛耳るキケロ市長(ジャンカルロ・エスポジート)と衝突しながらニューローマを未来都市メガロポリスに再生させるというもので、ラストシーンはカエサルとキケロ市長の娘ジュリア(ナタリー・エマニュエル)の間に子供が生まれ、キケロ市長ともども支配者の位置についたような終わり方をしていました。

カエサルもカティリナもキケロも共和制ローマ末期に登場する人物の名前です。現代アメリカをその時代に模して描いているわけですが、共和制ローマはその時代に崩壊し、その後帝政ローマとして独裁政治に移行していきます。

そう考えれば、まさしく今のアメリカです。

民主主義国(であったかどうかも実は疑問…)アメリカが崩壊し、王の国 MAGA になったということです。

この映画が描いているのはあくまでも富裕層、共和制ローマでいえば貴族たちの権力闘争を描いているだけで、決して人民が主役の映画ではありません。実際、この映画に登場する人民は単に暴徒としてしか描かれませんし、そもそもそのなんところに目はいっていません。

ということで、この映画の未来都市メガロポリスは MAGA であるとの見方に立てば、あるいは、この映画、いずれカルト映画として再評価されるかもしれません(ホントか…)。