mid90s ミッドナインティーズ

青春ノスタルジーは男の特権か?

湿っぽさのないノスタルジック青春映画という感じがします。

1990年代半ばのロサンゼルス、家庭環境のせいで居場所を見いだせない13歳の少年が、スケボー仲間と出会い、背伸びして仲間に入ろうとする話です。

映画が描いているのはそれだけですが、それだけであるがゆえに、見る人の年齢によってノスタルジックにも、あるいは、危なっかしいものにも見えてくる映画かと思います。

mid90s ミッドナインティーズ

mid90s ミッドナインティーズ / 監督:ジョナ・ヒル

スケボー映画というわけじゃない

主人公の13歳のスティーヴィーを演じているサニー・スリッチくんはプロのスケートボーダーとのことです。2005年8月10日生まれですから、あら? たまたま今日が誕生日で16歳になったばかり、この映画は製作年が2018年となっていますので、当時12、3歳ということになります。

日本で言えば小学6年生か中学1年の子どもに、俳優とは言えこんなことをさせていいのかということは後回しにして、サニー・スリッチくん、撮影当時もプロスケートボーダーであったかどうかはわかりませんが、この映画ではスケボー初心者を演じています。

映画の背景にはスケボーのコミュニティのようなものがありますが、映画そのものにはスケートボードのシーンはそれほど重要な意味を持って描かれているわけではありません。スティーヴィーにとって大人の世界に見えるものであればスケートボードでなくても何でもよかったんだろうと思います。

スケートボードが青春であった映画としては、この「行き止まりの世界に生まれて」を見てほしいと思います。

記憶は断片的に

ジョナ・ヒル監督の青春時代の記憶が反映された映画とのことです。

ジョナ・ヒルさん、1983年生まれですので現在37歳、この映画の1996年は13歳、まさにスティーヴィーです。

もちろんほとんどが創作だとは思いますが、映画は、物語を語るというよりも起きたことを断片的に並べていくような手法が取られています。

いきなり兄に殴られるシーン、たまたま見たレイたちのスケボーのシーン、兄に媚びるようにCDをプレゼントするシーンなどなど、映画としてひとつのストーリーになってはいるもののその間のスティーヴィーの心情などが描かれるわけではなく、淡々と起きたことだけが描かれていきます。

これはうまいですね。記憶とはそういうものだと思います。

どこで手に入れたのか、家の庭でひとりスケートボードの練習をし、仲間にしてほしいと言うわけでもなくなんとなくレイたちの近くにいるスティーヴィー、ある時、レイ(レイは黒人)たちが黒人は日焼けするのかで盛り上がり、レイがスティーヴィーにお前はどう思う?(Did you know black people could get sunburnt?)と尋ねますと、スティーヴィーは「黒人ってなに?(What are black people?)」と答え、それを機にサンバーンとあだ名されて仲間として認知されます。

その後も、断片的なシーンが続きます。

レイたちと遊んでいることを母親に隠していること、シングルマザーの母親に男が訪ねてくるシーン、それはあからさまにセックスをイメージさせています。その時、兄が母親について語ったこと、またある時、スティーヴィーには暴力的なその兄が今は自分の仲間であるファックシットに凄まれてすごすごと退散する姿を見ます。

たばこを吸い、仲間のパーティーでファックシットと同年代の女の子とからかわれるように性体験をし、無謀なスケボーのトライで怪我をし、そのことから母親がレイたち仲間を怒鳴りつけに来たりします。でもそれだけです。その後母親がスティーヴィーを気遣ったり、厳しくなったりするシーンもありません。淡々と起きた事象だけが語られていきます。

スティーヴィーが母親への不満を口にするシーン、レイがあれこれ諭したりしますが、あれは妙な教訓じみた話ではなく意味不明でとてもよかったです。あそこでじめっとさせないところがこの映画のよさだとは思いますが、レイは何を言いたかったのでしょう、よくわかりませんでした(笑)。

特にクライマックというわけでもなく映画はエンディングに入っていきます。レイとファックシットの間がギクシャクし、パーティーへ行くぞと酔っ払ったファックシットの運転する車が事故を起こし、スティーヴィーが大怪我をします。

病院、仲間たち皆が心配して病院で夜を明かしたようです。危険を脱しベッドに横たわるスティーヴィーのまわりに集まります。常々映画を撮りたいと言っているフォースグレードのスケボービデオが流れます。

魚眼レンズで撮られたスケボービデオが流れて終わります。

この映画のよさは、感傷的になりそうなところをスパッと切り落として、その時起きた事柄だけを描いていることです。ですので、この映画の時代にこの映画と同じような青春を送った人はこれだけで涙が溢れるでしょうし、そうじゃない人には危なっかしさが先に来てとてもノスタルジーなどには浸れないということになります

青春回顧は男のものか?

いまだ映画の世界は青春回顧と言えば男のノスタルジーがほとんどです。

たばこ、酒、ドラッグ(これは特殊だとしても)、そして性行為、それが大人の入り口だと思うのは今も昔も変わりありませんが、たとえば、この映画で言えば、スティーヴィーが年上の女性に誘われ性行為をするシーン、これが青春ノスタルジーに見えるのはスティーヴィーが男だからです。

逆にすれば犯罪です。いやいや逆じゃなくても犯罪です。

もちろん映画として一概に否定しているわけではありません。