三島も全共闘もすでに歴史になってしまったという現実
三島の楽しそうな顔が印象的です。
緊張の裏返しの笑顔ということもあるのかとも思いますが、学生たちから投げつけられる批判をひとことひとこと丁寧に受け止めようとしている時の笑顔は本当に楽しそうです。
学生たちが、特に東大生ですので最初から三島に一目置いていることは見て取れますが、三島の方も何かしら学生たちにシンパシーのようなものを感じているように見えます。
それが何かですが、おそらくは、この映画の中でも議論のテーマになっている「認識と行動」という点において、少なくとも「行動」するものへのリスペクトがあるのではないかと思います。もちろんそれは闇雲な行動ではなく「認識にもとづいた行動」という意味です。
三島の中には、小説家という「言葉」を武器にして戦ってきたという自負があるとともに、ある種言葉の持つ空虚さからくる居心地の悪さ、落ち着かなさがあったのではないかと思います。とにもかくにも目の前にいる学生たちは「行動」する人たちです。
映画の中で平野啓一郎氏が語っていましたが、(戦争で)多くの友を亡くしながら自分は死に遅れたという悔しさや後ろめたさや空虚さの絡み合った無常観のようなものがベースにあったのでしょう。
さらに、リスペクト(があるとすればそ)の理由には若さゆえの熱情が自分の中に蘇ってきたのかもしれません。年齢差20歳、三島は自分が行動する時は君たちと同様に非合法になると言い切っています。何かしなくてはという切迫感とともにラブコールのような意味合いを感じさせます。
そして、ついには、君たちがひとこと「天皇」とさえ言えば自分は君たちと行動をともにするだろうとさえ言っています。
この討論会の主催者のひとりである木村修氏が終了後にお礼の電話をした時、三島から「楯の会」に入らないかと誘われたというエピソード、おそらく三島の本音でしょう。三島は東大全共闘と共闘したかったのだと思います。ともにエリート同士ですが、20年という時間の断絶を感じさせます。
現実には三島は「楯の会」という陳腐なものしか持てなかった、ならば、その陳腐さを払拭してより高次元に高めるためには行動するしかない、それがあの1970年11月25日の行動だったのだと思います。今から思えば三島にとっては死に遅れない最後の機会だったような気がしてきます。
それにしても、50年、隔世の感としか言いようがないですね。
相反する考え方を持つ者が、敵対するにしろ、分かり合おうとするにしろ、それを為すには「言葉」を介するしかないという、誰もがそれを信じる時代があったということです。
あらためてあの時代は歴史になってしまったのだと感じさせる映画です。