私のすべて

邦題とキービジュアルの印象とは違い、知的障害のある息子と母親の物語です

地味なタイトルですが映画はなかなかすごいです。監督はこの映画が長編デビュー作のアンヌ=ソフィー・バイイ監督、2024年のヴェネチアのオリゾンティ部門で上映され、Authors under 40 Award の Best directing を受賞しています。40歳以下の監督(脚本もかも…)が対象ということでしょう。1990年生まれとありますので現在35、6歳です。

私のすべて / 監督:アンヌ=ソフィー・バイイ

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ネタバレあらすじ

映画を見た後、「私のすべて」とのタイトルに違和感がありましたので原題のフランス語「Mon inséparable」を Google 翻訳にかけてみました。「私の切っても切れない」となります。「Mon」は「私の」で「inséparable」を Gemini に聞いてみますと、

フランス語の inséparable(アンセパラブル)は、形容詞で「切り離せない」「不可分の」「いつも一緒にいる」という意味を持つ単語です。人や物が非常に密接に結びついている状態を表し、名詞としては「ボタンインコ(ラブバード)」を指します。
(Gemini)

なるほど、そうしますと直訳すれば「私のラブバード」です。

映画の内容は知的障害のある30歳の息子とその母親の物語であり、映画が追っているのは母親の方ですので、原題は母親の息子への気持ちを表したタイトルということでしょう。それにその母親はインコ(だったと思う…)を飼っています。

ラブバード(息子…)が籠(母親のもと…)から飛び立っていこうとすることに混乱する母親の物語ということでしょう。

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モナとジョエル

パリ郊外で暮らすモナ(ロール・カラミー)はエスティシャン(エステティシャン…)として働き、知的障害のある30歳の一人息子のジョエル(シャルル・ペッシア・ガレット)と暮らしています。ジョエルは就労支援事業所で働いています。

冒頭のシーンは二人がプールで泳いでいるシーンなんですが、ちょっと親密すぎるかなという程度ですし、その後もジョエルに障害があるにしても社会生活にさほど問題があるようには見えません。軽度の障害ということのようです。

日本の公式サイトによれば、ジョエルを演じているシャルル・ペッシア・ガレットさんは障害のある俳優として活躍しているそうです。この映画でも自然体でとてもいいです。

そのジョエルは同じ事業所のオセアン(ジュリー・フロジェ)と付き合っています。オセアンにも障害があります。映画始まってすぐの事業所のシーンでは、出勤したジョエルがオセアンを誘い、管理室とある小部屋に入り、抱擁し、キスをし、オセアンの手がジョエルのファスナーを下ろすシーンがあります。

オセアンを演じているジュリー・フロジュさんの方は演技経験はなく、ワークショップで見出されたそうです。

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モナ、混乱する

オセアンが妊娠します。

この映画、昨今の日本映画のような説明的なシーンがありませんので、モナはいきなり事業所に呼び出されて知らされることになります。それもオセアンの両親とともにです。

事業所の担当者を前にしたモナとオセアンの両親、オセアンの父親は興奮気味にオセアンに同意があったかどうか、事業所の監督責任を責めたりしています。母親の方は動揺しつつも父親をなだめようとしています。

モナにはほとんど台詞がありません。それでもモナを撮るカットがほとんどだったと思います。モナのアップに父親の興奮した声が被さるといった感じです。この時、台詞がないこともあり、モナが何を考えているのかわかりません。状況がつかめない、動揺している、ジョエルが訴えられるかも知れない、様々な思いが考えられます。でも映画は教えてくれません。

この映画、実は全編通してモナの心情はわかるようでわからないのです。揺れ動いていることはリアルに伝わってくるのですがどう揺れ動いているかはわかりません。だからいい映画なんですが(笑)、モナの気持ちになって考えれば、息子に家庭が築けるのだろうかとか、自分の元から去ってしまうんじゃないかとか、あるいは中絶を願っているかもしれませんし、過去の選択への後悔が渦巻いているかもしれません。

ロール・カラミーさんが演じるモナにはそういう深さがあります。

映画というのは説明されるよりも訳がわかんないほうがおもしろいですね。

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モナ、パニクる

医師がオセアンの意思を確認するシーンがあります。オセアンはジョエルをはっきり愛していると言い、生みたいと答えます。母親が同席しており、医師はこれで決まりねと言います。

後半になりますとモナの混乱が際立ってきます。

前半ではジョエルの父親のことは語られず、モナはジョエルに父親は南極へ行っていると教えてきたようです。ジョエルは南極の父親あての手紙を何通も書いています。もちろんそれは出されずにモナがしまい込んでいます。

そしてもうひとつ、前半にモナはベルギー人のフランク(ヘールト・ヴァン・ランペルベルフ)と出会い、関係を持っています。モナがジョエルのことを話さずに家に連れてきていますので、トイレに行った際に鉢合わせしてジョエルがパニックに陥るというシーンがあります。

で、後半、モナの頭の中では、自分とジョエルのこと、ジョエルの父のこと、そしてフランクのことがぐちゃぐちゃぐちゃと飽和状態になっていたんでしょう。南極へドライブだと言い、ジョエルを乗せてベルギーに車を走らせます。

海辺で戯れるジョエル、北海は南極じゃないと言っています。すでに南極の父親を信じているわけではないのでしょう。

そして、立ち寄ったレストランでついにモナが不安を口にし始めます。あなたに子どもが育てられるのと言い、そう言いながらジョエルの皿の料理を切り分けているのです。ジョエルがなぜ僕の料理を切り分けているのと抗議します。言い訳するモナのアップ、そのときジョエルがキレて皿を叩きつけます(音だけなので多分…)。そしてモナの感情が大爆発します。すごいです。

ジョエルが行方不明になります。この後のモナの行動が理解不能です(笑)。

モナはベルギーのアトの町を探し回ります。アトの町ではデュカス祭が行われており、ジョエルはそれを楽しんでいます。モナは警察に捜索願を出します。そして電話をします。どこへかと思いましたらフランクを呼び出しているのです。そして海辺(川辺かも…)で落ち合い、モナはいきなり水の中に飛び込みます。

人は混乱すると何をするかわかりません。そういうものでしょう。

そして愛し合う二人、フランクが捜索願の控えを見つけます。何をしているんだ!と怒るフランク、その時だったでしょうか、モナに母親が亡くなったと電話が入ります(ここじゃなかったかも…)。母親が入院しているシーンは前半にあります。

こうしたわけのわからない映画的混乱が効果的です(笑)。

そのとき、ジョエルは警察に保護され、どういう経緯でわかったのかはわかりませんが、実の父親のもとに送り届けられます。父親はベルギーで新たな家庭を築いています。

連絡を受けたモナはその家を訪ね(初めて知ったみたいだった…)、気まずい空気のなかジョエルを連れ帰ります。

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モナ、心を決める

ジョエルとオセアンの子どもが生まれます。

二人とも幸せそうです。ジョエルは生まれたばかりの赤ん坊を首が座っていないことに気遣いながら優しく抱いています。

生まれたばかりの赤ん坊の首が座っていないことは、二人の口論のシーンだったかに、モナがジョエルに執拗に気をつけるように言っていましたので、あるいはジョエルの障害に何らかの関係があるとの設定なのかもしれません。

そしてラストシーンはモナの母親の葬儀です。モナが挨拶をし始めますと、ジョエルが手を上げ、送る言葉を考えてきたと言いマイクの前に立ちます。

何事にも時があると語り始め、笑う時、泣く時といった具合に、相反するふたつの言葉を10パターンほど上げています。その時、きっとモナは自分のもとからジョエルが飛び立っていくことを実感し、受け入れようと心に決めたんだろうと思います。

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感想、考察:ロール・カラミーさんにつきます

この映画はモナを演じているロール・カラミーさんにつきます。

ひとりでは社会生活を営めない(とモナが思い込んでいる…)ジョエルをひとりで育ててきた自負と、それが当のジョエルによって打ち砕かれていく中で起きる自己概念のゆらぎがリアルに演じられています。

後半のモナは実に不可解な行動をとります。ジョエルが行方不明になっているのにフランクを呼び出して、突然海(川…)に飛び込み、その後、愛し合っています。この行動を説明できる人はいないでしょう。

でも、人間って時に不可解な行動を取るものです。

この映画で感じることはテーマ的なことだけではなく、わからない映画だからこそおもしろいということです。

ジョエルを演じているシャルル・ペッシア・ガレットさんもいいです。シンプルで存在感があります。感情の起伏が激しそうなモナとのバランスもとてもいい感じでした。

映画はかなり速いテンポで話が進められており、え、もうそこへ飛ぶのみたいに感じるところもあります。デビュー作でこれだけの決断ができるのはすごいと思います。それにこのテーマを単純なメロドラマにしないセンスもいいです。

アンヌ=ソフィー・バイイ監督、今後も期待できます。