プレゼンス 存在

プレゼンスとは誰か? 完全ネタバレ、だけど…

スティーヴン・ソダーバーグ監督はとにかく多彩な映画を撮る監督です。カンヌでパルムドールを受賞した本人初の長編映画「セックスと嘘とビデオテープ」は作家性の強い映画ですし、アカデミー監督賞を受賞した「トラフィック」は麻薬組織を扱った社会派でありながらエンターテイメント映画ですし、「チェ」というゲバラの伝記映画も撮っています。それに「オーシャンズ」とか「マジック・マイク」というシリーズものも手掛けています。

そして、この「プレゼンス 存在」はポルターガイストものです。

プレゼンス 存在 / 監督:スティーヴン・ソダーバーグ

ホラーじゃないね…

この映画、ホラーじゃありません。

ホラー映画をほとんど見ない者が言うのもなんですが、ホラーって現に今生きている人間がなにか得体の知れないものに恐怖を感じるものだと思いますが、この映画はその逆で、なにか得体の知れないものが生きた人間を観察し、時にちょっかいを出す視点でつくられた映画です。

その視点をどうやって映像化するかが優先されているような映画です。

映像は一貫して広角レンズを使った俯瞰位置から撮られており、家の中を一階から二階へ流れるように移動したり、部屋の中をぐるりと回ったりし、すべてワンシーンワンカットで進みます。短いものでワンシーン数分の印象でした。Googleストリートビューのような映像ということです。

階段を上下に移動する映像はカメラマンがステディカムで駆け上がったりしているのかなと思いますが、クローゼットの中からの移動とか、そもそも部屋の中の俯瞰からの流れるような動きはどうやって撮っているんでしょう。ドローンみたいな動きなんですがまさかそれじゃうるさくって演技なんてできないと思いますし、そんなところに興味がいく映画です。

それぞれのシーンはフェードアウトしてやや長めの黒味が入り次のシーンへと進んでいきます。率直なところかなり煩わしいですし、わかってやっていることだとは思いますが集中して見られる映画ではありません(人によります…)。

当然その黒味は時間経過ということですが、とにかく映画はすべて得体の知れない「存在」がその時々の人間の行動や会話を眺めているというつくりになっています。

そしてそれは時にちょっかいを出します。

プレゼンスとはなにか…

ですので、映画はその得体の知れないものは一体なんなのかということと、じゃあなぜその得体の知れないものはその家にいて何をしようとしているのかということを描いていることになります。

ところがこれがわかりにくいんですね。わかりにくい一番の理由はそもそもこの映像手法が面白くなく(ゴメン…)集中できないことなんですが、それは置くとしても、この得体の知れないものはさほど人間の行動や話に興味を持っているわけではなく、時々しかかまってくれずにあまりわかりやすい行動をしてくれません(笑)。なのにです、なぜかそのうちのひとりである娘のクロエだけには執拗にこだわっているのです。

ある一家の話です。母レベッカ(ルーシー・リュー)、父クリス(クリス・サリヴァン)、息子タイラー(エディ・メデイ)、娘クロエ(カリーナ・リャン)の4人家族です。家族が新しく家を購入し引っ越していきます。

すでに得体の知れないもの、映画はプレゼンスと言っていますので、そのプレゼンスは家族がその家に引っ越してくる前からそこにいて二階の窓から家族がやってくるところを見ています。

という前提で話は進み、このプレゼンスの視点から見た家族4人の断片的な関係がわかってきます。私が何の情報も入れず見てわかったいくつかのことは、

  • 母レベッカは息子タイラー溺愛している
  • 娘クロエは精神的不安定状態にある
    その理由は最近友人のナディアが薬物の過剰摂取で亡くなっているからと思われる
  • 父クリスはそんなクロエをかなり気遣っている
  • レベッカとクリスはうまくいっていない
  • クロエはタイラーが嫌い
  • レベッカは会社でなにか不正をしている

といったことであり、その後の家族の会話などでわかるようにこの家族はほぼ崩壊しているということです。

クロエはプレゼンスにナディアをみる…

クロエの精神的不安定さにはこうした家族内のことも影響しているのだとは思いますが、ある時からクロエはクローゼットにプレゼンスの存在を感じるようになり、それがナディアであると考えます。

タイラーが友人のライアンを連れてきます。後日、クロエはタイラーを自分の部屋に誘います。このシーン、どちらも特別積極的にということもなく、当然そうなるもののような流れで、かついつどこでセックスするかはクロエの決めること(これはかなり意図的に入れられている…)といった会話があり、そしてキスをして先に進もうとしたその時、プレゼンスがクローゼットの棚を壊して二人の行為を中断させます。

また後日です。二人はセックスをします。その後クロエがシャワーを浴びている間にライアンはクロエのジュースに白い薬物を入れます。プレゼンスはクロエがそれを飲む前にテーブルからコップを落とします。

なぜ今回はセックスそのものを止めようとしなかったのかは映画的処理だとは思いますが、いずれにしてもプレゼンスはクロエを守ろうとしているということになります。

その後、家族そろっているときに二階の部屋(タイラーのだったか…)が荒らされることから何かがいるということになり心霊術師みたいな人がやってきます。

ここはあまり記憶していませんが、心霊術師は家に入る早々何かがいると感じ、その後リビングの年代物の作り付けの鏡について何か言っていました。レベッカは一切信じることなく、もうその心霊術師は家に入れないと宣言します。後日、再びやってきた心霊術師はクリスに開かない窓がどうこうと何かを伝えようとするものの追い返されます。

そして、クロエがその日は両親がいないからとライアンに泊まりに来るように誘います。やってきたライアンはまずタイラーに薬物を盛って眠らせてから、クロエにも同じものを飲ませて眠らせます(意識をなくさせます…)。そして持参したラップを取り出し、自ら超極薄の云々と解説しながらそのラップでクロエの口と鼻を塞ぎ、しばらくはその状態を楽しみ、そしてラップを外しとその行為を楽しむように繰り返します。ライアンはサイコパスのシリアルキラーです。

それを見たプレゼンスは一階へ滑るように移動しタイラーを目覚めさせます。目覚めたタイラーは二階に駆け上がり、ライアンに体当たりをし、二人は開かない窓のガラスをぶち破って落ちていきます。プレゼンスが動かなくなった二人を二階から見つめています。

プレゼンスさん、なぜそんな面倒なことを?! 自分でライアンを跳ね除けてしまえばいいんじゃないの。それにそこまで待たなくて前と同じように飲み物を落とせばいいんじゃないの、というのは映画ですのでツッコミ無用です(笑)。

映画はまだ続きます。後日、タイラーを失くした家族はその家を出ることにします。レベッカが精神的不安定状態になっています。レベッカが例の年代物の鏡を見ますとそこには自分とともにタイラーの姿が映っています。

プレゼンスが誰かはウィキペディアに…

いろいろわからないことはウィキペディアを読めばわかります。もちろん誰が書いているかわかりませんので正しいかどうかもわかりません。

ウキペディアにはこう書かれています。

  • レベッカは会社のお金を不正に流用している
  • クリスはレベッカと別れたいと思っている
  • 家族全員がいるときにタイラーがレベッカに話していたのは、クラスメートの女性のプラベートな画像を拡散したということらしく、プレゼンスが二階のタイラーの部屋を荒らしたのはその時だった
  • ライアンが飲ませた薬物は Ambien という睡眠薬で日本の商品名はマイスリーと言うらしい
  • 結論、プレゼンスはタイラーだった

ということです。

が、しかし…

でもこれでは矛盾が多すぎます。

ポルターガイストに矛盾を突きつけても始まりませんが(笑)、一応言っておきますと、ラストシーンでプレゼンスであるタイラーが見えているのはレベッカだけと思われますので、その時のプレゼンスは死んだタイラーであるかも知れませんが、クロエに見えるプレゼンスがタイラーというのはしっくりきません。

もしクロエを守ろうとしているプレゼンスがタイラーだとしますと、実在であるタイラーとプレゼンスであるタイラーが同時に存在することをもう少し説明しないといくら映画だからといっても適当すぎますし、じゃあなぜタイラーはクロエを守ろうとしているかという疑問が生まれてきます。

仮にそこに兄妹の何らかの愛憎をみるにしてもそれですとやはり映画として説明不足になります。

そもそもこうした映画に辻褄を合わせようと思うのことに無理があることは承知の上で言えば、プレゼンスは誰ということではなく、もっと超自然的な存在として、言うなればある人が最も心に留めている人物の姿としてその人の前に現れると考えたほうが常人にも理解できます。

クロエにはナディアであったかも知れませんし、レベッカにはタイラーとして見えるかも知れないということです。

ということで、この映画、そもそもの発端がスティーヴン・ソダーバーグ監督の発案らしく、本当にジャンルにとらわれずに思いついたことを映像化することに楽しみを見い出す人なんだなあと思います。

ところで、スティーヴン・ソダーバーグ監督の映画で私のオススメは「ガールフレンド エクスペリエンス」のB面扱いのようなショートの「バブル」です。