プアン/友だちと呼ばせて

ウォン・カーウァイ プロデュースの青春センチメンタル系なのだが…

バッド・ジーニアス 危険な天才たち」のバズ・プーンピリヤ監督の2021年の映画、あのウォン・カーウァイさんが自らプロデューサーを買って出たんだそうです。ウォン・カーウァイさんはもう10年近く映画を撮っていませんので、その名を出せば宣伝効果も高いですし、内容が青春ものとくればなおさらです。

昨年2021年のサンダンス映画祭でプレミア上映され、ワールドシネマドラマティック部門でクリエイティブ・ビジョン審査員特別賞を受賞しています。

プアン/友だちと呼ばせて / 監督:バズ・プーンピリヤ

人は死を目前にすると過去を振り返る

ドラマの発端に死期を目の前にする人物をもってくる映画というは数多くあります。終活ものであったり、残された人生を有意義に過ごそうとしたり、自暴自棄になったり(これはあまりないけど)といろいろですが、過去を振り返るというのもひとつのパターンです。

そのパターンで主人公が男の場合はだいたいが元カノに会いに行きます(かどうかは知らないけど(笑))。

ウードは白血病で余命わずかとなり、ニューヨークで暮らす友人ボスに頼みがあるとバンコクに呼び寄せます。頼みとは死ぬ前に元カノに渡したいものがあるから運転手をしてくれというものです。

ということで、前半はウードが元カノ3人に会いに行くロードムービー風のつくりとなり、後半になりますと、実は本当の目的はボスへの謝罪とボスを元カノに会わせるためだったという映画です。

結局、物語は全て過去の人間関係を明かしていくことになりますのでかなり説明的な展開になります。

ウードとボスはニューヨークで知り合っており、3人の元カノともニューヨークでの付き合いであり、3人ともその後タイに帰っている状態です。断片的に語られますの正確ではありませんが、ウードのニューヨーク時代には前半と後半があり、後半は誘われてボスのアパートメントをシェア(居候)する関係になりますのでその時代の3人ということです。

ひとり目のアリスはバンコクから北東250kmくらいのコラートでダンス教室をやっています。バンコクでダンス教室を始めたいので一緒に帰ろうとの誘いを断って別れています。アリスは最初再会を拒んでいますが、会ってみれば互いに感傷的になりダンスをして気持ちよく別れていました。

ふたり目のヌーナーは俳優です。地名は忘れましたが、訪ねてみればドラマの撮影中です。ヌーナーの台詞が棒読みで監督が怒っています。休憩中のヌーナーと再会しますが穏やかな再会とはなりません。撮影が再開され、再会時の感情の高ぶりが演技に反映していい結果となります。後にウードが、テレビでインタビューを受けるヌーナーを見て笑顔を見ていました。

三人目のルンはチェンマイで幼い子どもと暮らしています。このルンについてはゴチャゴチャしていましたのでよくわかりません。ウードから会いたいと連絡してその約束をしていたにもかかわらず居留守を使って結局会っていません。子どもの父親と撚りが戻る戻らないということが関係していたんでしょう。

で、結局、この前半は後半の前ぶりのようなもので、実際ウードがそれぞれに返したいと言っていたものも映画的には重要なものでもありませんし、展開としてもかなりかったるく感じられます。

で、映画は後半、本題のボスと元カノとウードの物語です。

映画のつくりはハリウッドスタイル

後半の前にこの映画のつくりですが、「バッド・ジーニアス」のレビューでも書いているようにカメラワークや編集のテクニックが基本ハリウッドスタイルです。前半の3つのパートの切り替えやその際の音楽の入れ方にもそれを強く感じます。

物語は本来ノスタルジックが基調となるはずのものが意外にもあっさりとしており、どこか教訓的なかおりも漂っています。

ウードの父親はラジオでDJをやっていたのですが、ウードと同じく白血病で亡くなっています。ウードはその際タイに戻らず死に目にもあっていないと言っています。ウードの父親への思いは強く、番組を録音したカセットテープを各パート1本ずつ流しながら旅を続けます。

かなりノスタルジーが強調された展開なんですがなぜかその情感が湧き上がってきません。使われる音楽に馴染みがないせいもありますのでタイ国内ではまた違った見方がされているのかもしれません。エルトン・ジョンやスリー・ドッグ・ナイトも使われていたようですが気づきませんでした。

各パート、車のカセットデッキのカットから始まりますが、いまどきそんな車などありませんので、父親が乗っていたという古いBMWが使われていました。

本題はボスの元カノ プリムとの物語

で、後半です。ボスがウードに自分の家族に会っていけと言い、それを機にボスの過去の物語に飛びます。

ボス10代の頃、母親が裕福なホテル経営者と結婚します。母親がボスを弟だと偽っていることもあり、ボスと新しい家族の折り合いはよくありません。ボスはそのホテルのラウンジのバーテンダー プリムと知り合い恋に落ち愛し合うようになります。

プリムはバーテンダーとして自立することを望んでいます。ボスも新しい家族から離れたいとの気持ちがあり、またボスの母親も海外へ留学させたいと考えています。ボスとプリムはニューヨークへ移ります。住まいは母親のお金で高級アパートメントです。プリムはタイ料理店で働き、ボスは大学(多分)へ通い、ふたりの関係も順調に進みます。

プリムが働く料理店ではウードも働いており、ウードは何かとプリムのことに気をかけます。ウードはプリムがバーテンダーとして自立したいと願っていることを知っていますので知り合いのバーを紹介します。

そして事件が起きます。ある日、ボスが興奮気味に料理店にやってきてきます。プリムにレシートのようなもの(よくわからない)を突きつけこのお金(大金)はどうしたと問いただします。昼も夜も仕事で帰ってこないことを疑っているようです。プリムは答えを拒んでいましたが興奮するボスに負けて、あなたの母親からのものだと答えます。ボスと一緒にニューヨークへ行ってくれと頼まれたいう意味らしいです(が、ちょっと意味不明)。

プリムはボスと別れ、ウードの住まいに居候させてもらい、バーテンダーのコンテストへの出場を目指します。すでにこの頃にはウードとボスはプリムを介して知り合っているのでしょう。ボスもプリムがウードの住まいに居候していることは知っているようです。

そして、ひと月後くらいだと思います。プリムがコンテストのために旅立った後、ウードはボスに、プリムは新しい男と出ていったと告げます。

後日、ボスはウードに自分のアパートメントに住まないかと誘い、ふたりは親しくなっていきます。ボスは母親のお金でバーを経営するようになっています。

ウードが語る真実

映画は現在に戻ります。ウードに家族に会っていけとは言ったもののボスの家族はヨーロッパに旅行中だそうです。話をボスのほうに移すためのつじつま合わせなんでしょうが、こういう雑なところがかなりあるシナリオです。

ボスがプリムと出会ったホテルのラウンジ、ウードが実はと告白します。

プリムがコンテストに旅立つ日、ウードはプリムに好きだと迫ります。出発する間際にやることじゃないとは思いますが(笑)、とにかく、ウードがいきなりキスをしようとし、プリムは拒みます。プリムは、あなたは友だち、私はボスを愛していると言い去っていきます。ウードがボスにプリムが男と旅立ったと告げたのはこの時です。

ウードは怒りに震えるボスのもとに、プリムはここにいると書いたコースターをおいて去っていきます。

ここで映画は、これもよくわからない展開ですが、3年後(3ヶ月だったかも)となり、ボスのバーに母親がやってくるシーンがあったり、ウードからの手紙で化学療法を試してみることにした、つまり生きる努力をしてみるとのナレーションが入ったりし、ウードが去ったあの日なのか、このシーンの続きなのかはっきりしないまま、ボスは、プリムがキッチンカーでバーを開いている海辺に向かい再会するシーンで終わります。

シーンの足りなさを編集で補ったような終わり方です。

つくりすぎた物語

シリアスな物語ではありませんのでつじつま合わせの物語がさほど気になるわけではありませんが、あらためて思い返してみますとかなり雑なシナリオです(ペコリ)。

まあ意図としてはそうしたところは映画技術や音楽で見せていこうということのようですが、前半などはなかなかテンポが出ずかったるく感じますし、後半は割と見られるもののこうした青春回顧ものにしては情感が足らず、エンディングも尻切れトンボ気味です。

ハリウッドスタイルの映画をつくっていくのであればこういう題材は不向きです。やはりネタが新鮮じゃないと持ちません。「バッド・ジーニアス」はカンニングという題材で持っていましたが、青春ものや恋愛ものは情感がいのちですので映画技術だけでは難しいでしょう。