内なるサリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』を見つめる映画かな?
1969年という時代背景もあるかもしれませんが、アメリカン・ニューシネマの香りがする青春映画です。
タイトルにもある通り、青春のバイブルとも呼ばれる J・D・サリンジャー作『ライ麦畑でつかまえて』によって救われる16歳の少年ジェイミーの物語です。サリンジャーも登場します。とても見やすく作られています。
実際のサリンジャーさん、ウィキペディアを読みますと面白いですね。自分の作品『The Catcher in the Rye』に絡め取られてしまったような晩年です。ホールデン(主人公)のように生きたいと思っていたところに、それが可能になるお金が手に入ってしまったということでしょうか。
この映画の中のサリンジャーも隠遁生活のような状態ですが、実際もそうだったようです。『The Catcher in the Rye』を32歳くらい(1951年)の時に発表し、その後、静かな暮らしがおくれないということでコーニッシュというところに移り、ライフラインもない(らしい)原始的な生活を送ったとあります。46歳(1965年)以降は書いていないようです。91歳(2010年)で亡くなられています。
映画の話です。
16歳のジェイミー(アレックス・ウルフ)は全寮制のクランプトン校に入学します。2年生と言っていたように思いますので、途中入学ということなんでしょうか。
入学前に兄とのやり取りが2,3シーンあり、後半になってこの兄のことが重要な要素として浮かび上がってくるのですが、この段階ではあまり整理できずに見進んでしまいます。関連する台詞があったんでしょうが、重要だとわかる後半ではもう後の祭りです(笑)。
もうひとつはっきりしなかったのは、兄とのシーンと同じで導入シーンなんですが、ジェイミーが演劇をやっているシーンがあり、そこには女の子の出演も、女の子の客も、そして、その後の打ち上げのようなパーティーには女の子もいたのですが、あれは、学校の学科の一環として女子校との合同でやっていることなんでしょうか。
演目は「ロミオとジュリエット」で、ジェイミーはマキューシオというロミオの親友で殺される役をやっていたのだ思いますが、『ライ麦畑でつかまえて』の中でマキューシオについて語るところがありますので、それの引用だったんだと思います。
その時、ジェイミーは客席から何かを投げつけられており、学校内でのジェイミーの置かれた位置みたいなものの表現だったんでしょうし、そのパーティーで、その後重要な役回りであるディーディー(ステファニア・オーウェン)と出会うわけですから、もう少し丁寧に、というよりわかりやすくかな(笑)、描いてほしかったですね。
とにかく、ジェイミーは学校内で浮いており、いじめられているという設定です。ただ、それがジェイミーを卑屈にさせるということはなく、ジェイミーは自立心旺盛で、教師の前でも堂々と自説を主張します。
ジェイミーが教師に『ライ麦畑でつかまえて』を戯曲化して上演したいと申し出ます。教師はあまり乗り気ではないようでしたが、上演には作者の許可が必要だから手紙を出すように言います。
ジェイミーは、『ライ麦畑でつかまえて』への強い思いとともに、いかに自分がホールデンと同じかを説明するために、学校が監獄であるとか、同級生たちがどうこうとか(悪口だと思う)を書き綴ります。
ところが、その手紙が同級生たちに取られて回し読みされ、深夜、寝ている時に部屋に爆竹を投げ込まれるなどの嫌がらせを受けます。
ということが、ジェイミーが学校をやめてサリンジャー(クリス・クーパー)に会いに行こうとする発端なんですが、映画は、全体として爽やかな青春ものですので陰湿さはありません。
もうひとつ、青春ものには必須のやや初心系の恋愛関係があります。ジェイミーはブロンドの派手系の女の子に気があるのですが、パターン通り、その子にはパターン通りのボーイフレンドがいます(笑)。一方、パーティーでジェイミーに話しかけてきた子がいます。
それがディーディーです。何のシーンでしたか、バスの中でジェイミーがディーディーに『ライ麦畑でつかまえて』を戯曲化したと熱っぽく語るシーンがあります。
で、ジェイミーは、サリンジャーに会いに行こうと決めた日、そのブロンドの子に会いに女子校に行きますが、そんな思いが叶うわけもなく、たまたま(ではないけど)いたディーディーにサリンジャーに会いに行くと告げます。
ジェイミーがヒッチハイクしようと路上で親指を立てています。車がやってきます。ディーディーです。
このディーディーがむちゃくちゃいい子なんです。完全に男の妄想です(笑)。
ディーディーはジェイミーを乗せて、急いで家に戻り、両親にすべて事情を話し、今日の夜か明日には帰ると説得するでもなく話します。両親はポカーン状態、この両親、1シーンだけの登場でしたが、どこなく面白いキャラでした。
で、二人はサリンジャーの住まいニューハンプシャーへ向かいます。途中、ロードムービー的にいろいろな人と出会ったり、何かが起きたりということはありません。ただ、誰に尋ねても、そんな名前は聞いたことがないと答えるばかりです。
ウィキペディアにある
ただ、実際にはサリンジャーは、町で「ジェリー」と呼ばれて親しまれ、子供たちとも話をし、毎週土曜に教会の夕食会に参加するなど、地域に溶け込んで暮らしていたという。住民の間では彼の私生活を口外しないことが暗黙の了解だった。
ということでしょう。
なかなか会えずにやや意気消沈気味の二人、夕日の中で綿毛を飛ばす美しいシーンがあります。Youtube に動画ありますが著作権が不明ですのでリンクだけです。下の画像は公式サイトの予告編からです。
映画『ライ麦畑で出会ったら』特別映像/煌めく綿毛に願いを込める2人の瑞々しいシーン公開 – YouTube
ジェイミーが、願いごとをして綿毛を吹き飛ばせば叶うと言います。自分はホールデンを演じられるように願ったと言い、君は? と尋ねますと、ディーディーは「あなたのキス」と答えます。
何だか、くすぐったくなってもぞもぞするようなシーンです(笑)。
その日、モーテルに部屋をとります。ベッドはひとつ、キスをし、ディーディーがそれとなく行為に及ぼうとしますと、ジェイミーはゴムを持っていないと言います。ディディーが、大丈夫、ピルを飲んでいるからと答えますと、ジェイミーはやや怯み加減で、男性経験が豊富ってこと? と尋ねます。いいえ、生理痛(と言っていたかな?)で、医者から処方されているの、初めてよと答えます。しかし、ジェイミーはベッドから出て、外の空気を吸ってくると出ていってしまいます。
壊れてしまいような二人なんですが、ディーディーが大人なんですよ(笑)。ここでしたか記憶がはっきりしませんが、男の子って初心なんだからとつぶやいていました。正しい訳かどうかは微妙ですけどね。
その後のジェイミーは、バーでそこそこ年上の女性と大人ぶった会話をして、おそらく飲み慣れないお酒を飲み、酔いつぶれ、ディーディーに介抱されていました。
本当にディーディーはいい子です。こんな子がいたならば、どれだけの男が救われたことか(笑)という、男の大妄想。
で、翌日、サリンジャーの住まいを探し当て会うことが叶います。もちろん、上演は許してくれません。
そして、同じモーテルでもう一泊、ベッドの二人、今度はディーディーが家に電話を入れると言って出ていきます。ディーディーが電話した先は、ジェイミーのお母さんです。
このあたり、私の記憶が曖昧なのか、映画であまり説明されていなかったのか、やや唐突な印象なんですが、ジェイミーは兄への思いを強く持っているということ(だったらしく)で、そのことから、ディーディーの電話はその兄に代わってだったか、兄のことを尋ねたからでしたか、母親がすでにベトナム(戦争)で亡くなっているとディーディーに伝えます。
このことは、映画的にもあまりうまく取り込めていないと思いますが、とにかく、部屋に戻ったディーディーは、ジェイミーを抱きしめて、だめよ、ちゃんと受け止めなければ(といった感じ)で、ジェイミーが兄の死を受け止められていないことに対して優しく癒やします。
ほんとにいい子だわ(笑)。
ということで、上演許可はもらえませんでしたが、会えたことでそれなりに目的は達成できたわけで、多少ジェイミーは落ち込んでいても、ここもやはりディーディーが勇気づけ、ジェイミーは学校へ戻ることになります。
教師に尋ねられ、会えたけれども上演は許されなかったと答えるジェイミー、教師は、学内のこと、わかりゃしない、やってみろと助言します。そして、上演は大成功します。それを機に、学内でのジェイミーの置かれる位置が変わります。
そして、再び、二人はサリンジャーを訪ねます。上演したことを伝え、大成功だったと伝えますと、サリンジャーは、これまでも同じようなやつがいて、誰もが同じことを言うと答えます。ジェイミーは脚本を置いていくと言いますが、サリンジャーはいらないと答えます。
ジェイミーは、(何かはわかりませんが)何かを理解したようです。
という、ジェームズ・サドウィズ監督の実経験からの映画ということです。
うまくまとめてありますのでとても楽に見られる青春映画です。最初にアメリカン・ニューシネマの香りというようなことを書きましたが、あらためて考えますと、危うい感じもあまりなく、切なくさもありませんので、ちょっと違うようですね。
ジェイミーよりも、男の妄想ではあっても、むちゃくちゃいい子のディーディーが印象に残った映画でした。