ラスト、マドレーヌのフラッシュバックにプチ感動
ついつい頬も緩み、くすっと笑いがもれる映画です。
「フランスの国民的作家にしてイラストレーター、漫画家でもあるジャン=ジャック・サンペのベストセラー『今さら言えない小さな秘密』」の映画化です。あまり詳しくはありませんが、『プチ・ニコラ』はよく知られていますし、映画化もされています。
原作のタイトルでもある原題「Raoul Taburin」は、この物語の主人公である自転車修理店の店主の名前です。舞台はフランス、プロバンスの片田舎サン・セロン村の話で、すべてがその村の中で完結してしまい、村人は一生その村で暮らすような設定の話です。その村では自転車のことを “タビュラン” と呼びます。それはラウルが子どもの頃のあることから伝説の自転車乗りと呼ばれるようになったこともあるのですが、精肉屋は代々誰々、眼鏡店は誰々といった具合に、自転車=ラウル・タビュランという意味でもあります。
自転車に乗れない自転車屋さん、それもツール・ド・フランスの国の話ですので、他人からみれば笑ってしまうようなことでも本人にしてみれば生きるか死ぬかの人生の大問題、そんなラウルのシリアスさがうまい具合にコミカルに描かれています。
ただ、寓話のレベルまでは達していませんので、正直なところ、映画としてはかったるいです。
映画のつくりとしても、現在の時点からナレーションで過去を語るスタイルをとっていますのでメリハリもなく単調です。
冒頭は少年時代のシーンから始まりますが、基本、ラウルが全身ギプス状態で病院のベッドに横たわっている現在からの回想で語られていきます。
補助輪を外すのが村で一番遅かったこと、その後父親についてもらい練習するも手を離されるとすぐに転けてしまうこと、郵便配達員の父親の期待に応えられないと悩むこと、そして、これはラスト、ちょっとばかりおおーとプチ感動した振りだったのですが、ひとりで広場から裏道へ行き誰も見ていないことを確認して自転車の稽古をするシーンがあります。そこにその姿を目撃する少女のカットを入れています。これがラストに効いてくるのですがそれは置いておいて、とにかくラウルはすぐに転けてしまいます。その時、物陰で走り去る足音がしラウルが振り返るも誰もいないカットがあります。
その時は、ん? とは思ったのですがすっかり忘れたままになってしまいました。ただ、忘れていたほうがよかったです。これがなかったらかったるさだけの印象で終わっていることろでした。
その話は後にして、物語を簡単に書いておきますと、ある時、学校で自転車でハイキングの授業があり、小山の上にひとり残されたラウルは、思い切って皆が待ち受ける裾野に向かって自転車を走らせます。スピードがついた自転車は倒れることなく速度がどんどん上がっていきついにはジャンプしてくるくると空中で回転し自転車ごと湖に落下します。
これによりラウルは自転車には乗れないけれど伝説の自転車乗りとなります。
成長したラウルはついに父親に自転車に乗れないと告白します。あいにくその日は雷雨、父親は雷に打たれてなくなってしまいます。あらら(涙)。
郵便配達員を諦めたラウルは自転車屋さんで働き、そこで才能が開花し店の跡を継ぐことになります。また、その店の娘と付き合うようになり、愛の告白を期待する娘に、自転車に乗れないと告白してしまいます。振られます(笑)。
孤独なラウルですが、ついに人生の伴侶が現れます。マドレーヌです。愛の告白を待つマドレーヌに、またも自転車に乗れないと告白するのかと思いきや、今度は結婚しようと告白、結婚します。
このマドレーヌをやっているスザンヌ・クレマンさんは「わたしはロランス」のフレッドです。グザヴィエ・ドラン監督の映画以外ではあまり(日本では)見ない俳優さんで、久しぶりに見ました。結構好きな俳優さんです。
ふたりの子どもにも恵まれて幸せな日々を送るラウルでしたが、ある日、村に写真家のエルヴェがやってきたことで雲行きが怪しくなります。控えめなラウルに口のうまいエルヴェと対照的なふたりでしたが不思議に気が合い、自転車に乗れないというエルヴェに、自分も乗れないのにもかかわらず自転車を教えたりと親密になっていきます。
あらかた村人たちを撮影したエルヴェはラウルを撮ることにし、そこにマドレーヌも加わり、ラウルが自転車で疾走するところを撮ることになります。
そして、撮影の日、エルヴェが合図したらスタートしろと言ったにもかかわらず、緊張からなのか自らの意志なのかはわかりませんでしたが、ラウルがスタートし、道路は坂道、あっという間にスピードが出て、ラウルは道路から外れて谷に突っ込んでいきます。
ということで現在、ラウルは全身ギプス姿で入院しています。
で、肝心の写真はと言いますと、実はエルヴェも動いているものの撮影はやったことがなく、合図をする前に走り始めたラウルを撮ることはできず、しかし、なぜか振動で勝手にカメラのシャッターがおりたらしく、谷に向かって宙に浮くラウルの決定的瞬間が撮れているのです。
ラウルは、またも英雄的自転車乗りとなります。
そしてラウルの名を冠した自転車レースの日、観戦するマドレーヌは、息子が自転車を抱えて裏道に向かうところを目撃します。ふっとよみがえる子どもの頃の記憶、後を追います。息子は自転車の稽古をしようとしています。再びよみがえる記憶、そう、ラウルが子どもの時、裏道で自転車の稽古をしようとし転んだ場面を物陰から見ていたのはマドレーヌだったのです。ラウルが転んだ瞬間、見てはいけないものを見たと思ったのか走り去った足音はマドレーヌのものだったのです。
プチ感動シーンでした(笑)。
やっと素直に告白するラウル、自転車なんてと答えるマドレーヌ、ふたりで見つめる息子は、ラウルとは違いとてもうまく自転車を乗りこなしています。
おまけで、ラウルとエルヴェが互いに悪態をつきながら友情を交わすシーンがくっついていました。
いろいろ原作の絵本のイメージを大切にしようとの意志が感じられます。衣装は、ひとりの人物は一貫してひとつの衣装で通してありますし、ラウルの俳優は子役から成人まで3人みな印象の近い俳優で揃えてあります。自転車の色も統一してあります。ナレーションでの回想もそのひとつでしょう。
ということで、よくできた映画だとは思います。ただ、自転車というものへの思いの差もあるのか、現実感の薄さがもうひとつ余韻が残るところまでいかなかったという結果になっています。
それにしてもフランスではああした片田舎の物語はどのように受け取られるのか興味がわいてしまいます。さすがに現代の感覚で存在しうる村ではないのでしょうが、違和感とかは沸いたりしないのでしょうか。
日本であんな片田舎の話を映画に撮ろうとしますと、どうしても限界集落のような先の見えない物語になってしまいます。日本ですと、実写では無理でアニメでしか撮れない物語です。