レイブンズ

深瀬昌久さんではなく浅野忠信さんになってしまう…

「レイブンズ Ravens」とはカラスのことです。1986年発刊の写真集『鴉』で知られる深瀬昌久さんという写真家を描いた映画です。知らない方ですので興味があることや浅野忠信さん主演ということもあるのですが、その実、この映画を見ようと思った一番の理由は瀧内公美さんはその後どうなっているのかなということです。

レイブンズ / 監督:マーク・ギル

鰐部洋子さんを演じた瀧内公美さん…

瀧内公美さんについてのその後という意味は、「火口のふたり」であまりにも大胆なセックスシーンを演じていましたので、その点だけで消費されていかなければいいんだけどなあと思い、その映画のレビューに、

この映画により瀧内公美さんにいろいろな役柄のオファーが来る日本映画界であればと思います
火口のふたり

と書いた経緯があるからです。

その後すぐに「由宇子の天秤」でタイトルロールの由宇子を演じていましたし、ちょくちょく名前を目にするようになっていますのでいい方へ進んでいるようではあります。

大人の女性を演じられる、日本では数少ないタイプの俳優さんだと思います。まあ、少なく感じるのはそういう日本映画が少ないからだとは思いますが。

この映画では深瀬昌久さんの写真の被写体であり妻でもある鰐部洋子さんを演じています。瀧内公美さんのよさは出ていますし、浅野忠信さんとのバランスでキャスティングされているのではと思いますが、映画の内容的にはふたりとも存在感が濃すぎますね(ゴメン…)。

映画では昌久(浅野忠信)と洋子(瀧内公美)の関係がひとつの軸となっており、ラストシーンも洋子のシーンで終えています。

ウィキペディアで深瀬昌久さんの経歴をみますと、鰐部洋子さんとは1964年に結婚、1976年に離婚となっており、1978年に『洋子』という写真集を出しています。ちなみに深瀬昌久さんは離婚したその年から「鳥」を撮り始め、また再婚もしているとのことです。

映画の中で洋子が「カメラを通してしか私を見ていない」と言っていたことがそのまま現れているような経歴です。2015年に深瀬昌久個展「救いようのないエゴイスト」という写真展が開かれたらしく、そのタイトルは鰐部洋子さんの言葉からだそうです。

『救いようのないエゴイスト』という本展の題名は、1973年に発刊された「カメラ毎日」誌別冊『写真家100人 顔と作品』に掲載された原稿の題名であり、これは当時深瀬と夫婦関係にあった鰐部洋子が、夫である深瀬について綴ったもの。そのなかにはこう記されていました。
「十年もの間、彼は私とともに暮らしながら、私をレンズの中にのみ見つめ、彼の写した私は、まごうことない彼自身でしかなかったように思います」
https://www.diesel.co.jp/ja/art-gallery/masahisa_fukase/

Raven は芸術性のシンボルか…

ということから考えれば、「鴉」もまごうことなき深瀬昌久さんということになり、まさしく映画はその視点でつくられています。

ですので、この映画は深瀬昌久さんの伝記映画というわけではなく、主に『洋子』『鴉』『家族』といった作品群からマーク・ギル監督がつくり上げた Masahisa Fukase の映画だということになります。

深瀬昌久さんは、日大芸術学部を卒業後、34歳になるまで第一宣伝社、日本デザインセンター、河出書房新社と広告会社や出版社に勤めていますが、映画ではそうしたシーンはなく、父親の反対を押し切って日大に進む18歳のワンシーンから洋子と出会う30歳あたりまで一気に飛びます。

描かれる視点は結局のところ、我が道を行くという生き方が芸術性を生み出しているということであり、それが父親との対立とそれゆえのコンプレックスとして現れたり、洋子との自由恋愛的関係が芸術作品を生み出したり、酒やタバコにまみれた生活で芸術家の孤独が表現されたりということになります。

マーク・ギル監督(脚本も…)は「洋子」とともに「鴉」という作品群に注目しており、実際に Raven という造形キャラクターを登場させています。Raven は頻繁に登場し、昌久に話しかけます。それに対し昌久が声を出して答えますので昌久は子どもの頃から独り言をいう人物であるとの設定です。

この Raven は昌久の芸術性志向という内面性のシンボルと思われ、やたら昌久に奔放に生きろと煽っています。それを押し留めようとする存在が父親深瀬助造(古館寛治)です。

残念ながら映画の昌久からはそうした芸術性と凡庸の狭間で苦しむ葛藤のようなものは感じられず、自由奔放が芸術性のシンボルだとしますと昌久は端から芸術家ですし Raven です。おそらくこれは浅野忠信さんの年齢と存在感からきているのではないかと思います。早い話、30歳前後といえばそれなりにどう生きるかといった不安を抱える年代だと思いますが、映画の昌久は迷いのない芸術家然としています。

浅野忠信さんがどうこうではなく、描いている内容的にはもう少し若くて新鮮な(ゴメン…)俳優を当てるべきだったと思います。

あるいは、死のシンボルか…

Raven は芸術性のシンボルとは書きましたが、もうひとつ「死」のシンボルであるかも知れません。

深瀬昌久さんは、1992年、58歳の時に泥酔して新宿ゴールデン街の「南海」の階段から転落し、脳挫傷のため重度の障害を負ったそうです。その後はカメラを手にすることもできずに20年後の2012年に78歳で亡くなっています。

映画でもその場面は描かれていますが、その前に自宅で自ら首をつろうとするシーンがあります。率直なところ唐突すぎてこのシーンの意味はよくわからないのですが、カメラを前にして自ら首にロープを巻き、助手のような人(池松壮亮)に撮れと命じると同時に踏み台を蹴飛ばすのです。

もちろん映画の創作ですし、そこに人がいるわけですから本当に死のうと思っているわけはなく、マーク・ギル監督が深瀬昌久さんに死の影のようなものを見ているということになります。ただ、映画の昌久にはそう感じさせるものはありません。縊死を演じて見せているから死の影があったなんてことにはなりませんし、酒を飲んで泥酔したりするからなにか苦悩を抱えているなんてことにもなりません。いや、あるかも知れませんが、それは苦悩を描くことではありませんし、死への誘惑を描くことでもありません。

もうひとつ、その縊死を演じるシーンの前(だったと思う…)に鏡を前にしてだったか、自分自身に向かってシャッターを切ったら Raven が消えたというシーンがあります。Raven はフィルムには写し取れない昌久の内面であると同時に、逆に Raven を失ってしまった苦悩の映画的表現だったのかも知れません。

ラストシーンは、洋子が施設に入院した昌久を見舞った後、施設を振り返りますとその施設の上を数羽の鴉がぐるぐると回りながら飛んでいるシーンで終わっていました。

このシーンの瀧内公美さん、施設から出て歩くシーンがかなり長く、どう演じていいのか迷っていますね。

んー、なんとかまとめようと思ったレビューですが、映画自体がまとまっていませんので無理でした(ゴメン…)。

Ravenという造形キャラクターを出したのが間違いだと思います。昌久と洋子の会話を増やし、実際に洋子の写真を使って…、ああ、『洋子』の写真が使えませんね。映画監督を映画で描くことと同じで、やはりこういうものはドキュメンタリーのほうが適しているということでしょう。