せかいのおきく

着想の面白さだけで映画はもつか…

着想が面白い映画です。反面、もったいない感じがする映画でもあります。監督は阪本順治監督、最近の映画では「弟とアンドロイドと僕」「半世界」を見ています。

せかいのおきく / 監督:阪本順治

青春映画だったの?

ラストシーンでしたか、章のタイトルでしたか、どこかに「青春」という言葉が出てきたと記憶していますが、まさか青春映画とは思いませんでした、と言いますか、見終えた今でも、え? 青春映画だったの? といった感じです。

じゃあ、どんな映画?と聞かれても即座には答えられない映画です(笑)。

江戸末期の時代劇、スタンダードサイズのモノクロ、最初に製作やスタッフ、そして主な出演者が縦書きで出るクラシカルなつくり、そして何より特徴的なのが、おそらくこれまで誰も描いたことがないと思われる汚穢屋を物語の軸に持ってきていること、そういう映画です。

青春映画であるとするのなら、おきく(黒木華)が中次(寛一郎)に恋をすることくらいで、希望、挫折、苦悩、友情、ピュアさといった青春物語らしいものが感じられず、むしろこの映画は大人の物語であり、江戸の長屋の日常が汚穢屋を軸に描かれている映画です。

汚穢が巡る、循環型社会

映画は序章から何章かのタイトルがつきます。すべてに「おきく」が入っていたと思います。ただ、おきくが軸の映画というわけでもありません。そのつもりがあったのかも知れませんが、なにせ糞尿の映像のど迫力におきくのことなど吹っ飛んでしまっています。

モノクロですのでなんとか耐えられますが、とにかく映像がよく出来ているんです(笑)。

長屋では汚穢屋が来ないがために溢れて大騒ぎになったり、大雨になれば泥だか汚穢だかわからないようになったり、桶からこぼれた汚穢を矢亮(池松壮亮)が手ですくって戻したり、その手を手ぬぐいで拭うだけで大根を持ったり、その手ぬぐいをざっとすすいで首にまいたり、もうとにかくおきくどころではないのです(笑)。

江戸は人口100万人の大都会です。考えてみれば排出される糞尿はすごい量になります。江戸時代には糞尿を流す下水道はありませんのですべて汲み取り式だったそうです。ためられた糞尿を汚穢屋が農家に運び、それを肥料に野菜が育ち、その野菜が100万人の胃袋に入り、やがて糞尿として排出されるという、まさしく循環型社会が成立していたということです。

ということで、なくてならない汚穢屋ですが、おそらく実際には蔑まれる仕事だったんじゃないかと思います。映画の中でも、近くにくれば鼻をつままれるわけですし、武家屋敷の奉公人には足蹴にされ桶の汚穢をぶちまけられたりするシーンがあります。

そうしたところをもう少し描いていれば着想だけではない映画になったと思います。

おきくの恋

あまり汚穢だけの話ではいけませんので(笑)、おきくの話です。

おきく(黒木華)は父源兵衛(佐藤浩市)と長屋住まいです。何でも源兵衛は幕府なのか大名なのか勘定方の役人だったのですが、内部告発をしたがために職を解かれて浪人となったということです。

ある日、三人の武士がやってきて源兵衛を連れ出していきます。おきくも懐剣を帯にさして後を追います。切り合いのシーンはありませんが、源兵衛が切られて倒れています。おきくが喉をおさえています。おきくは声を失います。

おきくは中次(寛一郎)に恋をします。中次は身分が違うと戸惑います。雪の降る日、おきくは中次の長屋を訪ねます。中次は留守です。寒い中じっと待ちます。帰ってきた中次に、おきくは身振り手振りで必死に気持ちを伝えようとします。そして二人は抱き合います。中次は文字を教えて欲しいと言います。

おきくは寺小屋で長屋の子どもたちに文字を教えています。そこには中次の姿もあります。おきくが今日のお題ということで「せかい」と書きます

こんな感じで特に明確な物語があるわけではありません。ラストシーンは矢亮も含めた三人で戯れながら楽しそうに歩いていきました。

YOIHI PROJECT

この映画、「YOIHI PROJECT」というプロジェクトの第一弾となっています。

『YOIHI PROJECT』は気鋭の日本映画製作チームと世界の自然科学研究者が協力して、様々な時代の「良い日」に生きる人間の物語を創り、「映画」で伝えていくプロジェクトです。

『YOIHI PROJECT』の映画、ドキュメンタリーのテーマのひとつは、日本人が古来から大切にしてきた「自然との共生」です。世界が生物圏に負荷をかけず、自然を増やしていくという「ネイチャー・ポジティブ」の発想に向かう中、『YOIHI PROJECT』の作品を通して、世界の人たちと繋がり、語り合うきっかけになることを目指していきます。

YOIHI PROJECT

ということだそうです。

せかいのおきく

ということで、着想はとても面白いのですが、いろいろなものが中途半端に終わっていてもったいない気がします。

青春物語も言われなければそうとは思えませんし、おきくの恋にしても物語として煮えきらないですし、汚穢屋の仕事も表面的にしか描かれていませんし、そもそも「せかい」というものが唐突で「せかいのおきく」にいたってはどういうこと?としか言いようがありません。

もっと広がりのある物語になりそうな題材だと思います。