小さき麦の花

ピュアで美し過ぎるがゆえに作り込み感が気になる…

僕たちの家に帰ろう」のリー・ルイジュン監督です。2014年の映画でしたので8年ぶりになります。そのレビューでは「私が審査委員長なら、パルムドールでも、金熊でも、金獅子でも何でもあげちゃいます」と書いている監督です(笑)。

なお、この「小さき麦の花」の前にもう1本「Lu Guo Wei Lai (Walking Past the Future)」という映画を撮っており、2017年のカンヌ国際映画祭ある視点部門で上映されています。

小さき麦の花 / 監督:リー・ルイジュン

作り込み感が強すぎる…

リー・ルイジュン監督、今回はかなり作り込んだ映画を撮りました。「僕たちの家に帰ろう」は、10歳前後の兄弟二人が、放牧のために移動する両親のもとへ砂漠や草原を旅していく話で、その二人が実に自然体でとてもよかったのですが、この「小さき麦の花」は大人の話ということもあってかなり作り込まれており、俳優の演技くささがやや鼻につきます。

夫のヨウティエを演じているはウー・レンリンさんは実際の農民で監督の叔父にあたる方だそうです。ただ、リー・ルイジェン監督の映画には出演経験があり演技未経験ということではありません。

妻のクイインを演じているハイ・チンさんはかなりキャリアをつまれた俳優さんです。この映画では障害があるために家族からも邪魔者扱いされてきた人物を演じています。あまりはっきりしませんが左手の自由がきかなく、また脚にも何らかの障害がある演技をしていました。また、失禁してしまうシーンが数度あります。

この二人がそれぞれの家族から厄介払いのように結婚させられるところから始まります。ヨウティエのほうは家を継ぐ三男の息子の結婚の邪魔になるからであり、クイインのほうは障害あるからということです。

ただ、結婚は本人たちの意思ではないにしても、その後は二人が自然な思いでいたわりあい、慈しみあいながら生活を築いていく姿が描かれていく映画です。

その姿は実にピュアであり、誰にも否定できない美しさです。

もちろん、これは作られた物語であり、演技であり、映画です。泣かせようとするところまではいってはいませんが、そのピュアさがこれでもかこれでもかと続けば押し付けがましくも感じられてしまいます。

Return to Dust

映画は二人の生活を追い続けます。田畑には思えないようなところを耕し、小麦の種を撒き、とうもろこしを植え、卵からニワトリを育て、泥のブロックで家を建てていきます。二人がロバを使って耕すその向こうではトラクターが動いています。二人がロバの引く荷車とともに歩く向こうには砂煙を上げて車が走っていきます。

二人は誰に文句を言うこともなく互いに慈しみ合いながら日々を過ごしていきます。

ヨウティエが村の誰か(誰だったか見落としました…)のために献血を求められます。クイインはやめてと求めますが、誰も聞くものなどいませんし、ヨウティエも素直に幾度も従い続けます。

ある時クイインは、最初にヨウティエに会った時にヨウティエがロバにやさしくしていたことからいい人だと思ったと言います。ヨウティエはその時クイインがじっと見つめてきたことが恥ずかしかったと言います。そして、ヨウティエがクイインに語ります。

「土は人を嫌わない。人も土を嫌わなくていい。土は清らかだ。金持ちにも貧乏人にも平等だ。1袋の麦を植えれば10倍や20倍にして返してくれる」(公式サイトから)

二人が自らの思いを語るシーンはここくらいで、あとはヨウティエがクイインを慈しむ言葉をかけるシーンがほとんどです。ワンシーンだけ、ヨウティエがクイインをそんなこともできないのか!と怒鳴るシーンがあり、その後この違和感が回収されるわけではありませんので、なぜこんなシーンを入れたんだろうと不思議です。

空き家の破壊

空き家を解体すれば政府からなにがしかのお金が出るとして、ヨウティエたちが最初に暮らしていた家が壊され、引っ越した家も壊され、そして最後にはヨウティエたちが苦労して建てた家も壊されます。

これが実際に中国で行われていることかどうかわかりませんが、当然映画は批判的に描いているわけですから、こういうところが問題視されたのかも知れません。

IMDbのトリビアに次のような記述があります。

The film was pulled from all streaming services in China on 26 September for unknown reasons. Mentioning of the film was also banned from social media.

IMDb

この映画は9月26日から中国のすべてのストリーミングサービスから削除され、SNSでの言及も禁止された

「僕たちの家に帰ろう」もそうですが、リー・ルイジェン監督には間違いなく文明批判の視点があります。この映画は2011年の設定ですので今でもこうした農村があるかどうかはわかりませんが、文明批判も郷愁の領域にとどまっていれば許されるのでしょうが、かなり微妙な線ということなんでしょう。

ヨウティエの兄がヨウティエにお前は貧しいので申請すれば町の家がもらえると持ちかけます。ヨウティエはそんなところではロバやニワトリは暮らせないと抵抗しますが結局申し込まされたようです。

そして終盤、ことの前後をはっきり記憶していませんが、ヨウティエを迎えに出たクイインが川に落ちて溺れて死にます。ヨウティエはそれを機にロバを野に放ち、小麦をすべて売り、あれこれ借りをすべて返し、自らはベッドに横たわります。二人が苦労して建てた家が重機で壊されていきます。ヨウティエの姿はありません。

小さき麦の花

邦題を「小さき麦の花」としているのは、クイインがヨウティエの手の甲に麦の種を花びら状に押し付け、その跡が花びらのようになり、お互いに微笑むというシーンがあり、そこからとっています。

記憶が曖昧で間違っているかも知れませんが、ヨウティエは、溺れて死んだクイインの手を取り、同じように麦の種を押し付け花びらの跡を作っていました。

日本らしい抒情的なタイトルです。リー・ルイジェン監督の意図とは若干違うかも知れません。