白の花実

思春期特有の憂鬱、性的視線なき空間、そして男性性の排除と強調

今週公開の作品をと選んだ映画なんですが、なんとも気恥ずかしさが先にくる映画でした。その理由をここで書いてしまうのもなんですので最後にします(笑)。

白の花実 / 監督:坂本悠花里

ネタバレあらすじ

杏菜、莉花、栞

カトリック系の女子ボーディングスクールの話です。

人里離れた山間のかなりクラシカルなつくりの学校になっています。教師ひとり、校長ひとり、他に賄いなどのためでしょうか、2人女性がいました。生徒も20人くらいという設定の学校です。

そこに杏菜(美絽)が転校してきます。ふてくされています。母親はもうここが最後よと言っていますので転校に転校を重ねてきているのでしょう。理由は最後まで語られません。というよりも、それがひとつのテーマだとは思います。

学校には莉花(蒼戸虹子)がいます。この学校ではダンスを重要視した教育をしているらしく、教師(門脇麦)が杏菜の前で莉花に踊って見せてと言います。その莉花が杏菜のルームメイトになります。ふたりが特に親しくなったというシーンはありませんが、莉花が杏菜にあなたが私になればいい(嫌な意味合いではなくそのままの意味合い…)と言っていました。

そして映画30分くらい経っていたでしょうか、莉花が自殺します。これといった気配もなく突然です。特別大騒ぎになるといった演出もなく、部屋の外が騒がしくなって目覚めた杏菜が莉花がいないことに気づくとか、追悼ミサで生徒たちが泣くシーンがあるくらいです。

栞(池畑杏慈)が莉花と親しかった人物として表に出てきます。そしてこれ以降最後まで、杏菜と栞を中心になぜ莉花は死を選んだのかということが語られていきます。この「死」というのもひとつのテーマだとは思います。

曖昧な性表現

莉花は杏菜に日記を残しています。その日記に「父親が来るのが怖い」という記述があります。また「栞はわかってくれなかった」ともあります。

莉花の死の理由に父親の性暴力、性虐待をにおわせています。

ある時、部屋から人の気配がして杏菜と栞が入りますと莉花の父親が莉花のベッドで嗚咽しています。え?! どういうこと? と理解できない展開でしたが、杏菜は平気で靴を脱いでくださいなんて言っていました(笑)。それに勝手に入ることができるんだと思ったわけです。

この監督、価値観がユニークですね。

におわせ方もユニークと言っていいのか中途半端と言っていいのか、実際に身体的な行為があったのか、あるいは父親から性的な視線を感じるということなのか、それ以上突っ込んで描こうという意志が感じられない映画です。

栞との関係も同じにようにはっきりしません。いや、させないことを選んでいるのかも知れませんが、莉花に栞への恋愛感情をにおわせています。

かまわないで

学校は第三者委員会を立ち上げて莉花の自殺の原因究明を図ります。その保護者説明会、委員はいじめなどの問題行為はなかったと結論づけています。突然教師(門脇麦)が立ち上がって、私はあの動画を誰が撮ったか知っていますと言い出します。

動画というのは、映画中頃に、これまた突然挿入されて、その動画に莉花が写っているとかいないとか、揺れるレースのカーテンの向こうに誰かがいたようないないような(よく見ていませんでした…)そんな動画がネットに流れているというような話がありました。ただそれ以降話題にもなっていません。

それを突然教師が知っていますと言い出し、それもそれっきりで誰とも言わずに終わっています。ん、撮ったのは父親で、教師は莉花から相談されていたということかも知れませんね。

それはそれとして、その保護者説明会は、最後に杏菜が皆の前でなぜそんなに人のことを詮索するのか、本人にしかわからないことでしょと涙ながらに訴える場面で終えています。

杏菜のその意識と関連しているかどうかはっきりしませんが、杏菜の母親はフラワーアレンジメントの教室を開いており、それに関して杏菜と母親が口論するシーンがあります。口論の内容は、自然の草花に手を加えることと鳥を唐揚げにして食べることの論争ですので不毛ではありますが、杏菜の意識としては、なぜあれこれ構うのか、そっとしておいてというかとは思います。

感想、考察:思春期特有の憂鬱

という映画なんですが、ああ、ひとつ忘れていました。莉花の魂が火の玉となって現れ杏菜の中に入ったりする映像があります。実際に乗り移ったということなのか、杏菜がその振りをしているということなのか、これも曖昧にされています。

ラストシーンの杏菜のダンスは莉花とひとつになったということかも知れません。

とにかく曖昧な映画であることは間違いなく、その曖昧さは意図したものなのか、あるいは技術が足りないだけなのか、それこそ曖昧な映画です。ただ技術が足りないというのは事実です。感性や観念だけでは映画は撮れません。

感性、観念という意味では、この映画から感じられるのは思春期特集の憂鬱さを描こうとしたんだなということ、特に女性の場合は性的視線を浴びることが多くなるのが今の社会ですのでかなりきついことだとは思います。その意味では女子校というのは性的視線を排除しようとした空間でありながら、逆にそれが意識されてしまうということがあるのでしょう。それがこうした男性性を排除(杏菜の父…)し、またその一面のみが強調(莉花の父…)されることになるんだと思います。

で、最初に書いた気恥ずかしさですが、女子校を覗かせさせられている感じがするということです。「覗かせさせられる」活用形はあっているか?