シック・オブ・マイセルフ

注目されたい病のシグネはどんな夢を見ているのでしょう…

ノルウェーの映画です。これが長編2作目のクリストファー・ボルグリ監督です。2022年のカンヌ国際映画祭ある視点部門で上映されています。次回作が A24 の製作で決まっているとありましたので IMDb を見てみましたら、もう今年の9月頃から各映画祭で上映され、一般公開も決まっているようです。タイトルは「Dream Scenario」となっています。

シック・オブ・マイセルフ / 監督:クリストファー・ボルグリ

シグネ、注目されたい病を発症する…

ホラーというにはゾクッとするような怖さはないですし、コメディといえるほど笑えるわけでもないですし、皮肉っぽい視点があるかと言えばそれもあまりはっきりしないという、内容の割にはあまり吹っ切れていない映画です。

ただ、どことなくセンスのよさは感じられます。画の雰囲気に洒落た感じをうけます。

シグネとトーマスは恋人同士で一緒に暮しています。シグネはバリスタ、トーマスはよくわからないアーティストです(笑)。二人とも30歳前後の印象でしょうか、北欧ノルウェーのオスロですので日本の生活感からみますと優雅にもみえる生活環境です。

で、そのシグネが注目されたい病に冒され、注目されたいがために、自らロシア製の薬物を使って体中に湿疹が出る皮膚疾患を患っていくという話です。日本の公式サイトには「自己愛と承認欲求」という言葉がありますが、自己愛ということではなく、あくまでも私を見てということであり、承認欲求といっても自分の命をかけてまでの行動ですのでいいねが欲しいのとは次元が違います。

これほどの注目されたい病ならもっと早くから発症しているんじゃないのとは思いますが、これは映画ですので、始まってしばらくはいたってまともです。それに火をつけるのはトーマスがアーティストとして評価され始めたことです。ですので発症の理由はトーマスへの対抗心ということも言えます。

きっとシグネの心の奥底には注目されたい病のマグマが噴火の時を待ってグツグツと煮えたぎっていたんでしょう。そうでもなきゃあんなことまではしませんよね(笑)。

逆説的ルッキズム批判? でもないか…

外見で人を価値判断することをルッキズムと言い、現在ではポリコレ的にかなり注意しなくてはいけない価値観ですが、現実問題としては世の中にはびこっているのが現状です。

シグネは自ら望んで顔に湿疹が出たり爛れたりする状態にしていきます。後悔するシーンはありません。まわりが自分の顔に注目することで満足を得られるようです。仮に人が自ら努力して美しいと言われることを望み、それによって満足することがあるとするならば、シグネのやっていることも同じと言えます。

映画にそうした皮肉があるかどうかははっきりしませんが、そんなことも思ったりする映画です。

いずれにしてもこの映画が描いているのシグネの注目されたい病です。シグネはカフェでの仕事中に血だらけで入ってきた女性を介抱します。女性は犬に噛まれたわけですが、このシーンでは、シグネ以外には誰も助けようとせずシグネが介抱している状態をまわりの皆が注目しているカットを何カットも入れています。その後、救急隊員や警官にはシグネがいなければ女性は死んでいたと言われるなどのシーンがあり、その後も友人たちに自慢することが強調されています。

そして、恋人トーマスのある種の成功がさらなるトリガーになっていきます。ところでトーマスが何のアーティストかと言いますと、盗作アーティストです(笑)。よくはわかりませんが家具屋から椅子とかを盗んできてなにかアレンジするみたいです。最後には捕まって刑務所行きです(多分…)。

トーマスが展覧会を開きますと長蛇の列ができたり、その後の食事会にはそれなりの人たち(よくわからない…)が集まったりします。この盗作アーティストという設定もなにか皮肉的な意味合いが含まれているのかも知れません。とにかく、シグネは自分よりもトーマスに注目が集まることが我慢できないようでスピーチの邪魔をしたりしています。

インクルーシブ・モデルエージェンシー

そして、シグネの注目されたい病はどんどんエスカレートしていきます。

ネットでロシア製の抗不安剤による皮膚疾患の記事を見つけたシグネは、その薬を大量に購入して毎日摂取します。皮膚疾患が出始めます。当初はトーマスに注目して欲しい程度でしたが、トーマスが雑誌の表紙を飾るほどに注目されますと、負けじと自分も友人の記者に売り込みます。ネット記事にはなるもののその日に起きた殺人事件のためにあっという間に埋もれてしまいます。

シグネの皮膚疾患はどんどん悪くなっていきます。

そして、シグネはモデルエージェンシーに自分を売り込みます。現実にもインクルーシブ・モデルエージェンシーというものがあり、それと一緒にしていいのかはわかりませんが、映画の中のモデルエージェンシーのマネージャーは北欧では初めてだと強調していました。

ただ、このモデルエージェンシーのシーンでは、マネージャーが盲目のアシスタントへの精神的虐待ともいえるような行為をしていますので、こうしたことも含めてクリストファー・ボルグリ監督の立ち位置がどこにあるのかはもう少し様子をみてみないとわからないところではあります。

シグネの健康状態はますます悪くなっています。しかし、シグネはへこたれません。CM 撮影の現場ではクライアントや監督がシグネの状態を見てひるんでいるとみるや、他のモデルをトイレに閉じ込めて自分が撮影されるよう仕組みます。そして、シグネは吐血しながらもやり遂げます。

こういうところがクリストファー・ボルグリ監督の立ち位置がわからないところで、シグネを批判的にみているのであればシグネに挫折感を味合わせるということも考えられますが、それもしていません。

さらには、その後、自らを売り込んで記事にしてもらった友人にあれは嘘だったと告白したりします。多分、それも記事のネタとして提供して、さらに注目を浴びようとしているということだとは思います。

グループセラピーの意味がわからない…

さらにわからないのが、母親のすすめで参加するグループセラピーで、映画中程とラストにあります。

これの位置づけがよくわからないんですね。一度目はシグネが話をするも、まわりからは反感を持たれているようなシーンになっています。とにかく意図がよくわかりません。

そして、ラストシーンのひとつ前だったと思いますが、ここでは他の参加者からも受け入れられているように描かれています。グループセラピーでもまわりから注目されていることで満足しているということなんでしょうか。このあたりがとにかくはっきりせず、尻つぼみで終わっている印象につながっています。

すでに書きましたが、トーマスは窃盗の罪(だと思う…)で逮捕され、シグネが家具も何もない部屋で友人の記者に嘘をついていましたと自分を売り込むシーンで終わっています。

ということで、他の映画を見てみないとどういう立ち位置でどういう志向をもっているのかわからないクリストファー・ボルグリ監督です。