ロックダウン下の隔離生活が夏の休暇のように見える映画(笑)…
オリヴィエ・アサイヤス監督の前作「WASP ネットワーク」は Netflix だけで劇場公開されていないですね。ですので私には2018年製作の「冬時間のパリ」以来ということになります。
かなりアサイヤス監督自身のパーソナルな内容でした。でも結構見られます。

ロックダウンもさほど悪いものではない?…
新型コロナウイルスのパンデミックによるロックダウンのため田舎の家に閉じこもって生活する兄弟とそのパートナーたちの話です。
もう遠い昔の話のように感じるコロナ禍、一体何だったんだろうという気さえしてきます。とは言っても、日本で最初に感染者が確認された2020年1月15日から昨年の2024年8月までで約13万2千人の人が亡くなっています。それにその内1/3の約4万4千人は5類感染症に移行してからの死者数だそうです。油断はできないということです。
日本では法律がありませんので厳密な意味でのロックダウンは行われていませんが、フランスでは3度にわたってロックダウンが実施されたようです。
その際、アサイヤス監督は子どもの頃を過ごした両親の家に弟とともに閉じこもったそうです。両親が健在かどうか、またパートナーも一緒であったかどうかはわかりませんが、その体験をややコメディタッチに描いた映画です。
場所はシュヴルーズとありますのでここですね。パリから直線距離で25kmくらいです。マップを左へドラッグすればすぐにパリが見えてきます。ググっていただければわかりますが、自然豊か、緑、森林、田園などの言葉がそのまま当てはまる地域です。
そうした環境の中ですので、たしかに自由に移動できないという束縛感はあるにしても夏の休暇を過ごしているようでもあり、パンデミックの緊迫感といったものとは程遠い内容です。ある意味、一定の階層に属する人たちにとってみればロックダウンもさほど悪いものではなかったのではないかと思えてくる映画です。
そもそもこの映画はロックダウン下の苦難を描こうとしているわけではありませんので批判という意味ではありません。
ヴァンサン・マケーニュあっての映画か…
冒頭、ナレーションから入ります。アサイヤス監督にあたる兄ポールを演じるヴァンサン・マケーニュさんの声とは違う感じでしたので、あるいはアサイヤス監督本人かも知れません(別の俳優の声らしい…)。
アサイヤス監督が子どもの頃に暮らした両親の家やその周辺の風景が映し出され、子どもの頃の思い出が結構長く語られます。
そして現在、兄ポール(ヴァンサン・マケーニュ)とパートナーのモルガン(ナイン・ドゥルソ)、そして弟エティエンヌ(ミシャ・レスコー)とパートナーのキャロル(ノラ・アムザウィ)の4人がその家で暮らしています。
ポールは映画監督、エティエンヌは音楽ジャーナリストです。モルガンとキャロルについては特に語られていなかったと思います。どちらのカップルも長い付き合いではなさそうで、特にエティエンヌとキャロルは隠れて会う状況にあったらしくこのロックダウンで初めて長く一緒に過ごす時間を持てたと言っていました。
ポールとモルガンはつい最近からの関係の印象でした。後半にはポールの元妻とパートナーが娘を連れてやってきます。娘がポールと過ごすタイミングということでしょう。
という4人のロックダウン下の日々が、料理をしたり、ワインを飲みながら食べたり、おしゃべりしたり、おしゃべりしたり、おしゃべりしたり(笑)、散歩したり、テニスをしたりする姿で描かれていくだけです。それなのに約100分間飽きずに見られます。
やはり、ヴァンサン・マケーニュさんでしょう。この俳優さんじゃなきゃできないような映画です。つまらないと思える日常をつまらないままに面白く見せちゃうんですね、この俳優さんは。
私はギヨーム・ブラック監督の「女っ気なし 遭難者」で知った俳優さんで、え? もう10年前ですよ、でも全然変わっていません。と思ったのですが、あらためてトレーラーを見てみましたらさすがに若いです(笑)。リンク先にありますのでどうぞ。
「女っ気なし」は2011年の映画なんですが、そのあたりからすごい出演量です。いわゆるブレイクしたということでしょう。
記憶しているシーンあれこれ(笑)…
この映画では、かなり神経質なポールを演じており、それがゆえにエティエンヌとぶつかったりします。でもフランス映画ですので一度エティエンヌがキレるシーンがあるくらいで、あとはもう言い合いも会話のひとつと楽しんでいるかのように描かれます。
ああ、キレたのはクレープに関してのシーンだったかも知れません。いや、焦げ付き鍋のシーンだったかな、記憶は曖昧ですがとにかくエティエンヌはやたらクレープにこだわる人物となっており、生地を執拗に混ぜるシーンでじっと抑えていたという演出かも知れません。
ポールはオンラインでセラピーを受けています。ポールの人物造形のひとつということとともに映画的には状況説明を自然にできますのでそうした意味あいのシーンかと思います。
実際、ポールは神経質といってもミスも多い人物で、話に夢中になっていて鍋を焦がしたりします。その鍋を焦がしたあとに執拗にステンレスたわし(だと思う…)で底を擦る様はちょっと危ない感じではありました。
ところで、焦げ付いた鍋はこすっちゃだめです。鍋の焦げ付きは重曹です。鍋に重曹と水を入れて沸騰させ、そのまま1日置いておけばきれいに落ちます。映画の中でもネットで調べてその方法も候補に上がっていましたがそれをやったらポールの人物描写に合いませんね(笑)。
人の名前や固有名詞らしき言葉が切れ目なく出てくる会話もあり、ほとんどわかりませんでした。ポールは映画監督ですので俳優の名前もあり、すっと耳に入ってきたのはクリステン・スチュワートさんくらいでした。他の名前も実名だったんですかね。
父親の蔵書からの話も多く、結構知的(に感じるよう…)な会話をしていました。ただ、たとえば枕草子とか源氏物語といった日本の古典の話も出てきますが、読んだかと聞かれてポールは1ページ目で閉じたと正直に答えていました。
そうした些細な会話の中に微妙な緊張感であったり、人間関係の機微が描かれていきます。たとえば、ポールとモルガンが映画を見ようと言って部屋に行こうとしたとき、エティエンヌが昨日は音が大きかったねと言います。するとポールは昨日の映画はサイレントだったと返します。実際にはどうであったかわからない話です。
オリヴィエ・アサイヤス監督…
といった、なぜこれで映画になるのだという映画なんです。昨今の無理やりドラマをつくろうとする日本映画とは正反対にあります。
オリヴィエ・アサイヤス監督は「カイエ・デュ・シネマ」で批評を書いていたこともある方ですので観念的な映画を撮りそうにも思いますが違いますね。私がはっきりと監督名を記憶しているのは「アクトレス ~女たちの舞台~」からで、その後「パーソナル・ショッパー」「冬時間のパリ」、そしてこの「季節はこのまま」ときていますが観念的なところはまるでないですね。
古い映画も見てみようかなと思える映画でした。