敵は老い、などという話をシリアスに映像化しても…
筒井康隆さんの1998年の小説『敵』を吉田大八監督が映画化、昨年2024年の東京国際映画祭で東京グランプリ、最優秀監督賞、最優秀男優賞を受賞しています。男優賞の受賞は長塚京三さんです。
映像化しなくてもいい…
一人暮らしの高齢の元大学教授が老いからくる妄想の果てに死んでいくという話です。
一行で済ましてしまって申し訳ないのですが、率直に言いますと映画にしなくてもいいと思います。筒井康隆さんの小説は文字で読めば面白いのですが映像にしても面白くはなりません。
どうしても映画化したいのであればモノクロ映像でシリアスに描くよりも筒井康隆さんらしくハチャメチャにやるべき題材だと思います。
夢か幻か…
フランス文学の元教授渡辺儀助はかなり古めの日本家屋にひとり住まいです。料理、洗濯、掃除も自ら行う規則正しい生活をしています。妻には随分前に先立たれています。後に書く遺書によれば、親はもちろんのこと子どももいませんし兄弟姉妹もいません。
自分の死に方は自分で決めるという考え方らしく、知人には預貯金がいくらあり月々いくらの収入と支出があるから割り算すれば自分の残りの人生を計算できると話しています。
知人は教え子ばかりです。出版社で旅行雑誌の編集を担当している男(松尾貴史)は儀助を立てて律儀に執筆を依頼してきます。演劇の小道具会社をやっている男(松尾諭)は細々としたことをやってくれるようで古井戸が枯れているのをみて掘ってくれます。無理だと思いますのでこれも妄想かも知れませんね(笑)。
教え子の靖子(瀧内公美)が訪ねてきます。訪ねてきた理由は忘れてしましましたが、この靖子は儀助の脳内妄想の演出として儀助を誘うように振る舞う色っぽい人物になっています。後半になり、妄想なのか夢なのか、靖子が儀助に、先生、私としたかったのと誘い儀助がソファーの靖子の上に乗っかかったところで覚めるというシーンがあります。
出版社の男と行ったバーで現役大学生歩美(河合優実)と知り合います。この歩美も儀助の脳内妄想としてどことなく儀助にすり寄る演出になっています。こちらも同じように後半になり、妄想なのか夢なのか、300万円貸したものの行方知れずになります。
もうひとり妄想なのか夢なのかで絡んでくる出版社の男(カトウシンスケ)がいるのですが、あれ? 儀助に依頼している連載物の打ち切りを告げに来た上司の方の男は教え子の男じゃなかったですね。松尾貴史さんがやっている教え子は出版社じゃなかったのかな? まあ、あまり重要なことじゃないですね。
夢か幻か現実(認知症)か…
といった、数人の現実に存在していると思われる人物に亡くなっている妻信子(黒沢あすか)を加えて筒井康隆さんらしい驚天動地のシーンが展開されます、というところですが、なぜかいたって真面目な映画で終わっていました。
ある時「敵がやってくる」とメールが入ります。次第に儀助の日常が壊れていきます。見知らぬ者が庭をうろついたり、ゾンビが退去して襲ってきたり、遠くで銃撃戦の音が響いていたり、表に出れば隣人が撃ち殺されたりします。
現実と妄想の境がわからなくなった儀助は自殺を試みます。信子と風呂に入っています。信子が一度もパリに連れて行ってくれなかったと儀助を責めます。
儀助は認知症かも知れません。表に出る行動はそれらしくはありませんが儀助の脳内妄想の映像化と考えれば認知症と考えられなくもありません。
靖子がやってきて鍋を囲んでいますと上に書いた教え子でもない出版社の男がやってきます。いつの間にやら信子もいます。4人で鍋を囲みあれこれ支離滅裂な会話があり、信子が男を鍋で強打して殺し、儀助とふたりで井戸に落とします。いや、ふたりじゃなくて教え子の小道具屋の男がいましたね。
まあ詳しく書いても意味がありませんね。興味がある方は原作を読むべきだと思います。
とにかく、儀助は春を待つことなく(かな…)雨の日に縁側で静かに死んでいきました。