「羊飼いと風船」にいたるペマ・ツェテン監督の過渡期の映画
ペマ・ツェテン監督の2015年の作品、先日見た「オールド・ドッグ(2011)」と「羊飼いと風船(2019)」のちょうど真ん中、それぞれその間にもう一作ずつあるようでそれは見ていないのですが、映画のつくりの変化になるほどと思える映画です。
こだわりをすごいと感じるか?くどいと感じるか?
映画のつくりの変化を簡単に言えば、「オールド・ドッグ」はシンプルがゆえに退屈でもありますが、見終えた後のメッセージ性を強く感じますし、「羊飼いと風船」は物語性の比重が大きくなりとても見やすく、その分メッセージ性が奥へ引っ込んでいるということです。言い方を変えれば、メッセージが個別なものから普遍的なものに変わっていくという言い方もできるかと思います。
で、この「タルロ」は? と言いますと、そのどちらも狙ったようなところがあります。さほど複雑な物語ではありませんが、それぞれに何らかの意味が付与されている感じが強く、見ていても窮屈に感じます。「羊飼いと風船」を見た今から言えば、そこへ至る過渡期の映画かと思います。
もちろん勝手な想像ですし、一般的にとのただし書きの上ですが、人は注目を浴びれば人の目を意識します。当然様々な人からの反応がありそれに影響されます。これを伝えたいという思いがどうしたら伝わるかに比重が移っていきます。人は良くも悪くも社会との関係で変わっていくということです。その過程が3本の映画から見て取れます。
長回しの多用は「オールド・ドッグ」と変わりませんが、それぞれのカットがより意図的になっています。同じようなシチュエーションのシーンを、被写体にカメラを向けて撮ったシーンと鏡を使って反転させたシーンで、その変化、あるいは裏表を見せようとしています。
警察署で毛沢東語録を暗唱するシーンと美容院から向かいの写真館を撮ったシーンがそうでした。美容院のシーンはガラス越しであったり、鏡に写った反転映像を使っています。
率直に言えば、そうしたことを見る者に考えさせるのはよくないですね(笑)。
ネタバレあらすじとちょいツッコミ
タルロが警察署で毛沢東語録を暗唱しています。署長との話の成り行きからやってみろと言われたのでしょう。
その姿にも批判的な意味が込められているのだと思います。子どもの頃から教育と称して暗証させられたということでしょう。後ろには「為人民服務」とあります。これがラストでは反転します。
警察署長から身分証がないと誰だかわからない、身分証を作るように言われます。写真が必要なので写真館で撮ってくるように言われます。
写真館へいきますと、夫婦が記念(結婚?)の写真を撮っています。背景の幕がチベット、ラサ(なかったかも)、天安門、そしてニューヨークと変わっていきます。
タルロの番です。撮影者が上着を脱ぐようにとか帽子をとるようにとか言い、髪が整っていないからという意味だと思いますが、向かいの美容院で髪を洗ってくるようにと言います。
美容院です。
このシーン、ガラス越しだと思いますが、だとすると、どこから見た設定なんでしょう。後半ではこの反対から鏡を撮ったシーンがあります。
美容師が親しげに話しかけてきます。タルロは髪の短い美容師にチベットの女性が短くっちゃいけないと言っています。その返しだったか、美容師はあなたのような人が迎えに来るのを待っているというようなことを言います。タルロは自分が羊飼いでどこどこから何頭の羊を預かり云々とすべて記憶していると話しています。
美容師がタルロを誘っているなあという感じが強く、また美容師は最後にはタルロを騙すんですが、その意図があったということではなく、多分日常からの脱出願望でしょう。
写真館に戻り写真を撮り1時間後に取りに来るように言われます。タルロが表で時間を持て余している(か、誘おうかと考えているか?)姿を美容師が見ています。ただし、見ているカットではなくガラス越しのタルロのカットです。
ここだったか、写真館が鏡の反転映像になっているシーンがあります。ああ、ややこしい(笑)。美容師がタルロをカラオケに誘います(ここだったかどうか自信がない)。
カラオケで美容師がタルロに歌え、いや歌えないのやり取りがあり、観念したタルロがアカペラで歌います。あれは伝統的な羊飼いの歌とかなんでしょうか、よくわかりません。その後、あれこれあり、タルロが泥酔し、美容師の住まいに泊まります。多分肉体関係はないでしょう。
タルロの心情をとらえるカットがありませんのでタルロが何を考えているのかは想像するしかありませんが、多分、美容師に恋をしたということでしょう。
タルロは大量の爆竹と焼酎を買って山(放牧地)に帰ります。タルロの日常がしばらく続きます。爆竹で狼を追い払い羊を守り、山の中でただひとり、誰とも会うことなくチベタン・マスティフ(チベット犬)と過ごします。ただ、美容師への思いを募らせているようでもあります。
ある日、羊が狼に襲われ何頭か死にます。雇い主か依頼主か、男がやってきて怒りタルロの頬を叩きます。
おそらく、それまではそんなことはまったくなかったのに美容師への思いでタルロが変わってきているということなんだと思います。
タルロが再び町へ向かいます。美容院へ行き、美容師の前に大金を積み上げます。
あれは羊を売ったということなんでしょうか。
美容師が、一緒にここを出よう、どこへ行きたい?と尋ねますと、タルロは、写真館での夫婦の会話を思い出し、ラサ、天安門、ニューヨークと答えます。(経緯は記憶ありませんが)美容師はタルロの長髪を刈ります。
その夜、タルロは他の歌を覚えてきた(練習してきた)のでカラオケへ行こうと言いますが、美容師は人気歌手のライブへ行きたいと言い、結局ライブへ行き、あれこれあり、再びタルロは泥酔し、翌朝目を覚ましますと美容師はあの大金を持っていなくなっています。
警察署、身分証を取りに行きます。署長がこの男(タルロ)は毛沢東語録が暗唱できるのだと他の職員に言い、タルロに暗唱するよう促します。
タルロは暗唱しようとしますが、なぜかつっかえて暗唱できません。タルロは自分でもわからないままに、なぜだか出てこないと言っています。
タルロは山に帰ります。か、どうかはわかりません。違うかも知れません。その途中、手に爆竹を持ったまま破裂させます。
あれこれ考えながら見ていましたのでかなり曖昧な部分が多いです。
やはり観念的すぎる…
チベット人としてのアイデンティティの喪失ということですが、やはり考え過ぎで観念的過ぎます。
「オールド・ドッグ」では、それがシンプルにまとまっていましたので、なんだかよくわからないままに進み、ラストシーンでそのわからなさが一気に氷解し、わーと目の前に物語が広がる感じでしたが、この映画は最初から物語を語ろうとしていることが見えており、なのにわかりにくく、結局いろいろ考えているうちに物語どころではなくなるということになっています。つまり、感じることなく考えさせらるということです。
「羊飼いと風船」を見ているかどうかで違って見える映画です。