おくびょう鳥が歌うほうへ

ロナはなぜアルコール依存症になったんだろうね?

システム・クラッシャー」では散々に書いたノラ・フィングシャイト監督です。ですので見なくてもいいかなと思ったのですが、主演のシアーシャ・ローナンさんがプロデューサーにまで入っていますのでなにか違うかなと期待を込めて見た映画です。

おくびょう鳥が歌うほうへ / 監督:ノラ・フィングシャイト

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ネタバレあらすじ

まったく変わらず、ノラ・フィングシャイト監督の映画でした。

システム・クラッシャー」がそうであったように、この「The Outrun おくびょう鳥が歌うほうへ」もある特異な状態にある人物をつくり手の見た目で想像しフィクションで描いているだけです。「システム・クラッシャー」では素行障害、あるいは ADHD(注意欠如多動症)と思しき子どもでしたし、この「おくびょう鳥が歌うほうへ」ではアルコール依存症の若き女性です。

そのどちらの映画でもつくり手にさしたる問題意識も感じられないにもかかわらず、その状況にある人物を延々とフィクションで描いて何の意味があるのでしょう。

問題意識があるのであれば、その状態を描くだけではなく、なぜなのかとか、どうしたらいいのかとか、あるいはドキュメンタリーで撮ることも出来ます。

それにこの監督の映画は、どちらの映画でもラストをある種の希望を抱かせるようなシーンで終えています。その深層を探ることもなくフィクションで希望を語っても意味がありません。

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シャッフルしても平板は平板

ただ、この映画の場合、原作がありますのでやむを得ないこともあるのかもしれません。翻訳はされていないようです。

20代をロンドンで過ごした後、エイミー・リプトロットは故郷オークニー諸島に戻り、過去10年間を蝕んできた依存症と向き合う。人里離れたこの島で、エイミーは朝は冷たい海で泳ぎ、昼は野生動物を観察し、夜はオーロラの兆候を探して空を眺める。やがて彼女は、自然界がいかにして人生を再生させ、古傷を癒し、希望を新たにするかを知る。
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Amazon の商品サイトの解説を Google 翻訳したものです。

映画は時間軸がシャッフルされていますのでどの時代の映像かわかりにくい点はありますが、内容としては上の解説を読む限りほぼ原作どおりの映画です。

アルコール依存症に苦しむロナ(シアーシャ・ローナン)29歳の話です。どの時点を軸にして描いているのかも判然としません。

10歳にもなっていないくらいの子ども時代、ロンドンの大学で学んでいた時代、依存症の自助グループでのリハビリ時代、10年ぶり(らしい…)に生まれ故郷のスコットランド オークニーの島に戻って両親と過ごす時代、鳥類保護協会でウズラクイナの保全活動に従事する時代、そしてオークニー諸島のパパ・ウェストレイで一人暮らしをする時代、これらの時代がシャッフルして描かれていきます。

シャッフルのつもりはないんでしょうが、そう見えてしまうつくりということです。

時間軸の最後の時点、パパ・ウェストレイ時代からの回想ということかとは思いますが、映画のつくりがかなり平板で各時代がランダムに並べられているような印象です。映画からは依存症の苦しみであるとか、依存せざるを得ないなにかとかは感じられず、ある時突然止められず飲み始めて暴れる(まさしく暴れている…)シーンしかありません。

それを動き回る映像と何を撮っているのかわからないような映像を乱雑な編集で(ゴメン…)見せようとしています。

そして、最後のパパ・ウェストレイでは、海に入り浄化されたようにアザラシの鳴き声を真似て歓声をあげていました。

依存症から脱したかどうかはわかりませんが、保全活動時にも聞けなかったウズラクイナの声を聞きます。

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感想、考察:映画にしなくてもいい

ところで、ロナがアルコール依存症になったのはなぜなんでしょう?

父親のせい? 家族のせい? 他になにか可能性として示されているものはありましたか。まあ、どんなことであれ、これのせいなどと単純ではありませんが、それでもわざわざ映画にして描くわけですからなぜなんだろうくらいの問題意識は必要でしょう。

シアーシャ・ローナンさんがあれこれ目一杯(に見える…)アルコール依存症のロナを演じています。ただ、どんなにそれらしく演じても、それ、嘘です。

もちろん、映画は基本、嘘です。でも、その嘘が意味を持つのはそこに何らかの問題意識があるからです。単にその状態を描くだけであるなら、何もフィクションではなくドキュメンタリーで撮ればいいわけで、そうすれば伝わってくるものに格段の違いが生まれます。ドキュメンタリーがすべて真実だとは思いませんし、カメラを向けられた被写体が演じていないとはいいませんが、少なくとも撮る側の意識自体は明確に映像に現れます。

ちょっと書き過ぎたような気もしますが、やっぱりきれいすぎます。

おそらく、映画にするようなものではない原作なんでしょう。