プロメテウス、サシャ・シュナイダーまではわかったけど…
最も苦手な映画を見てしまいました(笑)。
評判だったらしい同じロバート・エガース監督の「ウィッチ」という映画も知らず、この「ライトハウス」がスリラーだということもはっきりとは認識せず、なんとなく目にした「人間の狂気」とか「幻想的」とか「美しい映像」とかの言葉に釣られてしまいました。
この映画を見ちゃいけない人は
映画に生きた人間を見たい人
ちょっとばかり喧嘩を売るようなタイトルになってしまいましたが、この映画の二人はきわめて観念的な人物です。狂気とは何かを狂気ではない者が考えうる限りの狂気を見せようとしています。
錯乱し暴力的になり、妄想し幻影と交尾し、自制心を失い生死の境を越えます。
およそ100分間、イーフレイム・ウィンズロー(ロバート・パティンソン)とトーマス・ウェイク(ウィレム・デフォー)の二人が脈略なく狂気を演じ続けます。
狂気ですから脈略などあろうはずはなく、たとえばウィンズローが灯台の塗装中に落下したとしても次のシーンではピンピンしています。
そうした編集が最後まで続きます。
映画に自分自身を重ね合わせたり、自分の過去を思い返したり、自分の未来を想像したりすることに意味を見出す人はこの映画を見てはいけません。
映画はドラマだと思う人
この映画には直接的なドラマはありません。
孤島の灯台を管理するウェイクのもとにウィンズローがやってきます。その閉鎖空間の中で次第に二人ともに錯乱していき、ウィンズローが、頑として灯ろう(灯台のてっぺん)に入れさせないウェイクを殺害して灯ろうに入り一身に光を浴びて絶叫するというだけです。
これはドラマではありません。
たとえて言えば、宇宙船が飛来することはドラマではありません。それを人間がどう考えどう行動するかからドラマは生まれます。
この映画はドラマを描いているわけではなくドラマの枠組みをみせているだけです。人が狂うことの根源を描いているわけではなく、閉ざされた空間では人は狂うだろうと言っているだけです。人は狂えば暴力的になり、男であれば性的欲望を爆発させ、殺人をも犯すであろうと言っているだけです。
この映画を見るべき人は
「ウィッチ」が好きな人
見ていませんのでわかりませんが多分そうでしょう。
映画のネタに興味を持つ人
私がなんの情報もなく見て、これがネタかなと思ったのは、ラスト、ウィンズローがそれまでウェイクに拒まれていた灯台の灯火に到達するシーンが火を盗んだプロメテウスの神話からのものだろうということと、わりと前半だったと思いますが、二人が取っ組み合いをしているシーンのワンカットに「サシャ・シュナイダーの催眠術」のビジュアルが参照されていたことくらいで、あとはなんとなく、人魚であるとか、ウェイクがタコのようにウィンズローを絡めているところとかに何かしら参照されているものがあるんだろうと感じたくらいです。
エンドロールに何々の実話からのインスピレーションにもとづくというスーパーが入っていましたが、あれは「スモールズ灯台の悲劇」から着想しているということのようです。
いずれにしても、おそらく私がわかった2つ以外にも神話などから多くの参照がされているのだと思います。そうしたものがなにかを考え、そこから映画の意味を考えていくことに楽しみを見いだせる方にはお勧めの映画です。