グレン・クローズさん、オスカー決定でしょう!
主演のグレン・クローズさんがアカデミー主演女優賞にノミネートされているとのこと、間違いなく受賞でしょう。ガガさんも良かったのですが、あれはガガさん本人が良かったということですが、こちらは俳優として素晴らしいです!
俳優の演技が見どころですので、この映画は見ないと良さがわからないです。
物語は、ジョゼフ・キャッスルマン(ジョナサン・プライス)という作家がノーベル文学賞を受賞することになるのですが、実はその作品は妻であるジョーン・キャッスルマン(グレン・クローズ)が書いたもの、あるいは共同制作ともいえるような、このあたりかなり微妙なんですが、とにかく、その夫婦のなんていうんでしょう、ああ、言葉が浮かんでこない…
という映画です(笑)。
原作は、アメリカの作家メグ・ウォリッツァーの2003年の小説『The Wife』です。
冒頭、1992年とスーパーが出ていました。現代の話としなかったのはなぜなんでしょう? 原作がそうなのか、二人の出会いが1958年となっていましたので年齢が合わなくなるからでしょうか。内容的には現代の話としたほうがより意味があるように思います。
ノーベル文学賞の発表時期なんでしょう、ジョゼフは興奮で眠れません。ちょっとわからない感覚ですが、眠れないからと言って甘いものを食べています。気配で目を覚ましたジョーンに(健康上の)注意をされながらも、さらに雄弁になり、小説の一説でも語っているのか、その行為を言葉にしながらセックスを求めていきます。ジョーンは眠っていたと言いながらもジョゼフを受け入れます。
翌朝、電話が鳴り、受賞が伝えられます。二人はベッドの上で「♪ノーベル賞とった~」と歌いながら飛び跳ねています。
この後、このジョゼフとジョーンの関係が授賞式までの様々なシチュエーションで描かれていくのですが、このシーン、象徴的ではあります。
ジョゼフはよく喋り、よく食べ、女性とみるとすぐに口説こうとする人物として描かれています。息子デビッドとの言いあいの際には、豚のように食べると言われていました。ただ、もちろん下品というわけではなく、おそらく演出としては、世間を欺いていることへの罪悪感や不安感、そして妻たるジョーンへの劣等感の裏返しという意味合いだと思います。
当然ながら40年という月日は、ジョーンにも共犯者として同様の罪悪感や不安感は生まれているわけですが、さらにその奥底には夫たるジョゼフへの優越感が屈折して潜んでおり、それが、あの寡黙で夫を支える妻を演じる姿として現れているのだと思います。
なぜこういうことになったのか、話は1950年代に遡り、二人の出会いからの経緯が1992年のシーンに挿入されていきます。
ジョゼフは、某二流大学(と訳されていた)の教師、文学を教えており、結婚もして子どももいます。そこに作家を目指すジョーンが学生としてやってきます。ジョーンは自分の作品をジョゼフに見せます。ジョゼフはその才能を認めますが、自分も作家を目指しているわけですからそのプライドからか素直に認めることはできず、ジョーンを口説くという行為に出ます。
ジョゼフの口説き方にはパターンがあり、ジェームス・ジョイスの何かの(雪が降る場面の)一説の引用とくるみに愛の言葉を書いて渡すというもので、授賞式のスタッフの女性を口説いているところをジョーンが目にするというシーンを入れていました。ただ、ジョーンの場合はむしろ自分の方からジョゼフに愛情を感じるように描かれています。
で、映画は、その時代、女性にはほぼ作家への道が閉ざされていることをふたつのシーンで簡潔に描きます。
ジョゼフの講義にある女性作家が招かれます。ジョーンを前にしてその作家が言います。目の前にある自らの著作を取り上げおもむろにその表紙を広げます。その本が初めて開かれる音が響き、女性が作家になることなど世の男性は誰も認めないといったようなことを言います。
もうひとつのシーン、ジョーンが文芸関係の雑誌社か、そんな感じのところで働いています。ただし、仕事はお茶くみです。編集者か、数人の男たちが女の作品はダメだとかそんなことを笑いながら話しています。そのうちのひとりが、ユダヤ人の新人作家の(だったか?)作品を探していると言います。ジョーンは心当たりがあると言い、多分もう二人は結婚しているのか一緒に暮らしていたんでしょう、家に戻り、ジョゼフに書くように勧めます。しかし、書き上がった作品は、発想はいいのですが、作品としての出来はよくありません。あれこれ二人の言いあいがあり、ジョゼフは、じゃあ君が書いてみろといったことを言い、ジョーンがいわゆるリライトします。その作品は評価されます。ノーベル賞受賞時と同じように、二人はベッドの上で「♪作品が出版された~」と歌いながら飛び跳ねます。
そのリライトがどの程度のものであったのかは問題ではありません。映画では、ジョーンは自ら私には想像力がないが表現力はあるといった意味のことを言っています。ジョゼフもそれを認めています。おそらく、当初は無名であるがゆえに二人ともに評価されることで満たされていたのでしょう。しかし、評価されればされるほど、その思いにずれが生まれます。
そして40年、その評価はノーベル文学賞として頂点に達します。
それと同時に、おそらくこれまでも幾度となくあったであろうふたりの愛と憎しみのぶつけ合いもその頂点に達します。授賞式後の晩餐会、ジョゼフがスピーチに立ちます。ジョゼフはこれ以上ないというくらいの表現でジョーンを「妻」として持ち上げます。
この後のジョーンの行動をそりゃそうだよねと心から理解できないとこの映画はわかりません。
ジョーンは席を立ち、ジョゼフの静止を振り切ってホテルへ戻り、離婚する!と叫びます。繰り返しますが、おそらくこれまでも幾度となくあったであろうふたりの愛と憎しみのぶつけ合いが始まります。
ジョゼフが心臓発作を起こし、救急措置の甲斐なく亡くなります。その時、窓の外では、あのジョゼフの口説き文句にあったように雪が降っているのです。
省略して書いていませんが、授賞式には作家として人生を望む息子デビッドも同行し、一向に息子を認めようとしないジョゼフとの確執を織り込んで映画的ドラマづくりがされており、その息子と二人、帰路の飛行機の中、ジョーンはデビッドに、帰ったらすべて話すわと語るのです。
この問題を解決、というよりもなかったことにしてしまう手段は死しかないような終わり方でちょっとばかりどうよとは思いはしますが、ふたりの40年にわたる愛憎と、程度の差こそあれ、今でも変わりなくある女性の社会進出を阻む根源のようなものがこの映画にはとてもいいバランスで描かれています。
それを見事に表現したグレン・クローズさんの表情は一見に値します。
オスカー決定です。
それにしても、目が回りそうなくらい親切な邦題ですね(笑)。