冷血さは静かに伝搬する
少なくとも完成された映画ではありませんが、それでも傑作を生み出す可能性があるのか、あるいはそもそも力不足なのか、判断に悩むコリー・フィンリー監督、その初(長編)監督作品です。
コリー・フィンリー監督は、この「サラブレッド」が公開された2017年で28歳ですので、現在30歳くらいだと思います。ニューヨークのアンサンブル・スタジオ・シアターという劇場の「YOUNGBLOOD」という劇作家集団に登録されています。
Youngblood — Ensemble Studio Theatre
若手劇作家育成プログラムということで30歳以下(多分)という条件があるらしく、であればそろそろ卒業ということになるのでしょう。
という経歴ですので映画も舞台劇っぽく、基本的には会話劇です。それにある程度の予備知識を入れておきませんとただ単調で眠くなる映画とも言えます。
基本的なプロットは、対照的な人格のふたりの少女の関係がやがて殺人という行為に帰着するというものです。
リリーは裕福な家庭に育った多感な少女、 もうひとりのアマンダはまったく感情というものを持ち合わせていない少女です。アマンダはサラブレッドをナイフで刺し殺したという過去を持っています。安楽死させたということのようですがよくわかりません。
最初のシーンがアマンダとその馬の場面です。映像的にも演技の面でも、とにかく感情的なものを排する意図で作られていますので何をやろうとしているのか読み取るのはかなり大変です。ナイフを手にしてアマンダが馬と向かい合っているところを横から上半身くらいを押さえたカットだけです。
続いてアマンダがリリーの大邸宅を訪れます。アマンダの母親が娘のことを心配して幼馴染のリリーに家庭教師(的なこと?)を依頼したということのようです。
ほとんどこのふたりの会話シーンで進みます。
アマンダはリリーに、自分はまったく感情がない、だから泣くことさえテクニックだと言い、実際に涙を流してみせたりします。また、リリーが母親の再婚相手、つまり現在の父親をよく思っていないことを感じ取り、それを憎悪にまで増幅させていきます(ということだと思う)。
おそらくアマンダの無感覚であるがゆえの冷酷さがリリーの心を侵食していくということなんだと思いますが、なかなかそうは見えません。もし、そうした意図でこの映画作られているとすれば、それはかなり困難なことです。それが力不足かもしれないという意味で、簡単に言えば、アマンダにその空虚さがないですし、リリーがアマンダの精神的支配下に置かれていくところもみえません。
舞台であれば俳優の集中力でその緊張感を生み出すことも可能でしょうが、映画はなかなかそういうわけにはいかないでしょう。フィンリー監督はその緊張感を俳優ではなく音楽で生み出そうとしているようです。打楽器を多用した不穏な印象を与える曲が使われていました。音楽はエリック・フリードランダーさん、チェリストのようです。
ただ、こうした見方はかなり穿った見方かも知れず、あるいは単にティーンエイジャーふたりが未熟さゆえにそれぞれ自分を大きく見せようと盛った話をしているうちに犯罪を犯してしまったという相当にブラックな話かもしれません。
要は映画を見ているだけではわからないのです(笑)。一般的にはこれじゃだめなことは明らかなんですが、これをあえて衒いもなくやっているのかなあと思えなくもなく、それが可能性を感じさせるところがあるということです。
とにかくふたりは父親を殺そうと、ヤクの売人の友人に殺害を依頼しますがビビって実行できません。このあたりでリリーは、そうはみえませんが相当殺意が膨らんできているのでしょう、アマンダに睡眠薬入りのジュースを飲ませて眠らせ、その間に自分が父親を殺し、その罪をアマンダになすりつける計画をたて、そして何と、その計画をまさしくそのジュースを手にしたアマンダに話すのです。
ということは、リリーは、そもそもの殺害計画をジョークで済ませてしまいたかったということでしょう。いや、違うか…? リリーはアマンダの精神的支配下にいると見せかけて、さらにその先を読んでいたのかも? つまり、アマンダは、なにせ感情というものがない人物ですので、あっさりその計画を受け入れて(かどうかわからない)、ジュースを飲み干してしまいます。リリーはナイフを手にして二階に向かいます。
えー!? マジだったんだ! ということかもしれません。
こういうところでどういうことなんだろう?と悩むんですよね。映像的にもリリーの心理的な何かを撮ろうともしていません。リリーが何を考えたのかわからないんです。
くどいようですが、舞台であれば、リリーを演じる俳優の佇まいだけでも、仮に後ろを向いた背中だけでもその時の心理を表現することができるのですが、もし映像でそれを表現しようとすればリリーのアップを入れるとか、逆に二階へ上がる足元だけを追いかけるとか何らかの緊迫感を出すカットを入れたくなると思うのですが、それが何もありません。
眠った(気を失った)アマンダを捉えたカットに二階でのドタバタのノイズが入ります。リリーが血だらけで下りてきます。アマンダを抱きしめるように自分の血をなすりつけます。
すごいと言えばすごいですね。この現実感のない殺人劇。
で、後日、順調に成長し社会にでたリリーと精神病院に入ったアマンダ、アマンダからリリーに当てた手紙が流れます。リリーは偶然町で例の殺害依頼した男に出会い、アマンダから手紙が来たと話しますが、何とかいてあった?と聞かれても捨てたと答えるだけです。
ああ、手紙の内容が映画のキーだったのかもしれない、記憶していない…(涙)。
いずれにしても、この映画は、監督が劇作家であるだけに字幕で理解するのは難しい映画かもしれません。