大人の女性のファンタジーに見えても、実は男の…
安倍照雄さんという脚本家のオリジナルストーリーとのこと、平山秀幸監督とともに10年来温めてきた企画でもあるそうです。
笑えもし見ていて楽しくなる大人のファンタジーです。ただ、ちょっと見方を変えますと、んー……という映画でもあります。
大人のしあわせファンタジー
海辺の田舎町、40代か50代の女性3人、芙美(小林聡美)、直子(平岩紙)、妙子(江口のりこ)の物語です。3人はタオル工場のラインで働いています。芙美は一人暮らし、10歳くらいの子どもとの写真を飾っていますので亡くしているのでしょう。直子は夫貞夫(渋川清彦)と10歳くらいの航平(斎藤汰鷹)と暮らしています。再婚で航平は前夫の子です。妙子は最近(だと思う)夫を亡くしています。
この設定からわかるように、3人ともに過去に結婚していたが何らかの理由によりその生活がうまくいかなくなった経験をしています。そのことをどう思うかは人それぞれですが、この映画ではことさら不幸なこととは描いていません。みな今がとても楽しそうです。
その3人にちょっとした、あるいは本人には大きなことかも知れない変化を描いていく映画です。そのきっかけに、といっても映画的なきっかけであって直接というわけではないきっかけではありますが、隕石が芙美の車を直撃するという1億分の1の確率しかない出来事をつかっています。
直子の息子航平は天文少年です。航平と芙美は仲良しです。芙美は自分の息子のように思っているようでもあります。航平の手立てで隕石が月の石のかけらだとわかり、その石をふたりで分け、芙美はネックレスにします。
この航平を演じている斉藤汰鷹くんがとてもいいキャラクターなんです。小林聡美さんとの息がぴったりで、そのことが映画の雰囲気をとてもいいものしています。映画はこの航平のナレーションで芙美のことを語らせていきます。
芙美、吾郎(松重豊)と出会う
芙美は断酒の会に入り酒を断っています。おそらく子どもを亡くしたことへの自責の念に耐えられずに酒に溺れたことがあるのでしょう。まあ正直なところ芙美にその過去の形跡はまったく感じらませんが、そうしたことは置いておいて、この映画のいいところはそうしたことを説明的に語らないことです。夫のこともまったく語られません。
芙美はランニングを日々の日課にしており、その途中でたびたび草笛を吹く吾郎を見かけます。吾郎は工事現場の警備員をやっています。ある時、芙美は行きつけ(だったということかな?)のバーで吾郎と出会い言葉をかわすようになります。吾郎が芙美に草笛にはツユクサが一番いいなどと草笛を教えたり、芙美が料理をしてもてなしたりと次第に親密さが増していきます。
吾郎が芙美と子どもの写真を見て尋ねます。芙美は、息子は自分が頼んだ買い物の途中に電車に轢かれたと語り、そのため踏切音が聞こえないこの町にやってきたと言います。一方の吾郎は東京で歯医者をやっていたが、うつ病を病んでいた妻が自殺したことから歯医者をやめて引っ越してきたと語り、また、草笛は妻に教わったものだと言います。
それぞれかなり重い話なのに軽く語っています。暗くしないための演出なんでしょう。
ふたりの付き合いは、吾郎が「キスをすると迷惑ですか」とキスをするところまでいきます。ファンタジーですのでそこまでです。そして、吾郎は東京へ帰ってしまいます。
後日、芙美は吾郎の歯医者を訪れ、痛みだけ取ってください、そうすればまた頑張れるので、と言い治療してもらいます。
そして、また後日、芙美がなにか言いながら(忘れた)隕石のネックレスを海に投げ入れます。戻ろうと振り返りますと吾郎が笑顔を浮かべ芙美を見ています。芙美が走り出し海に向かってジャンプします。
直子(平岩紙)と妙子(江口のりこ)
こうしたエピソードだけのあらすじだけではほっこりさが消えてしまいますが、映画自体は3人のこなれた会話やちょっとした出来事によってとても収まりの良いものなっています。一歩引いてみればツッコミどころも多い映画ですがとてもバランスよくできています。
航平の母直子です。直子は造船所で働く貞夫(渋川清彦)と再婚したのですが航平が貞夫にあまりなついていません。そんな折、貞夫が転勤することになります。直子がなぜついてこいと言ってくれないのと言いますと、貞夫は無理をすることない、単身赴任でいいと答えます。貞夫は航平のことを気にしているのでしょう。
航平自身にもいろいろあります。気になっている同級生の女の子が他の男の子と仲良くしているところ見てショックで泣きじゃくり、また芙美にはお父さんと仲良くしなさいと叱られたりし、結局、母親とともに引っ越すことにします。別れ際、芙美と航平は強く強くハグして別れを惜しみます。
妙子は夫の葬式の際の坊主(まさに坊主という感じ)のお経が自分を口説いているようだったと言い、その坊主純一郎とつきあっています。それだけです(笑)。
女性のしあわせを描いている?
ということで、この映画は、3人の40代、50代の女性のしあわせを描いているような映画です。
もちろんしあわせは人それぞれですので、仮にそうだとしてもそれを否定するわけではありませんが、一歩引いてこの映画の設定をながめてみますと、3人ともに男たちによってそのしあわせが左右されていることに気づきます。
まず、3人ともに長く続いている日本の社会構造そのものの中にいます。タオル工場で働く3人は現実から考えればおそらくパート従業員でしょう。その工場長は、台湾に婚活に行き、成果なく太極拳だけ覚えて帰ってきたらしくラジオ体操で笑いをとっています。
吾郎は歯医者です。東京で開業医としてやっており、妻の死により休業にしたまま地方で警備員として働くということが可能な人物であり、自分の意志により東京に戻っても歯医者としてやっていける人物です。
直子の夫は転勤がある企業ですのでそれなりに規模の大きな会社と思われます。夫の転勤に直子はタオル工場を辞めてついていくことがしあわせだと考えています。
妙子の場合は、ちょっと微妙ですが、それでも男から口説かれたと言っており、その後の経緯にしても割と日本のドラマでパターン化されている男女関係が踏襲されています。
この映画は、日本映画の多くにある、女性のしあわせが男性によってもたらされているという価値観の中で描かれている映画です。このパターンのドラマは、多くの場合、女性が生き生きと生きているように描かれますが、必ずそこには男性の存在があり、結果として結末となるハッピーな状態は男性が望むものになっています。
男の大人のファンタジー
女性のしあわせファンタジーに見える映画が実は男性の望むものだったという映画の典型だと思います。
脚本の安倍照雄さんは61歳、監督の平山秀幸さんは71歳、そうした視点があることに気づいていない世代なんだろうと思います。
一概にこうした価値観の映画がどうこうとは思いませんし、少なくとも過去に存在していた価値観として描かれることには抵抗はありませんが、この映画のようなファンタジーで描かれるということは未来を提示していることになりますのであまり好ましいこととは思えません。