ワイルドライフ

ポール・ダノ監督デビュー作、大人ってワイルドだろぉ、って?

「ワイルドライフ」とは野生動物という意味、まさしく野生動物のように生きる両親の間にあって、必死に人間的(?)であろうとする子どもの、何とも痛々しい物語です。

ワイルドライフ

ワイルドライフ / 監督:ポール・ダノ

ジョー(エド・オクセンボールド)は14歳の少年です。仮にこれが乳幼児の話なら、育児放棄で事件になっています。

ただ、そうした話だとわかるまでには結構時間を要し、中盤までは映画がどこに向かっているのかなかなか掴みづらいです。

監督はポール・ダノさん、さすがに「リトル・ミス・サンシャイン」の記憶はぼんやりしていますが、「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」の牧師役は強く印象に残っている俳優さんです。初監督作品で、脚本はプライベートでもパートナーであるゾーイ・カザンさんとの共同脚本になっています。原作があり、日本語未訳のようです。

Wildlife: Film tie-in (English Edition)

Wildlife: Film tie-in (English Edition)

 

Amazon で「なか見!」してみますと、

  In the fall of 1960, when I was sixteen and my father was for a time not working, my mother met a man named Warren Miller and fell in love with him. This was in Great Falls, Montana, at the time of the Gypsy Basin oil boom, and my father had brought us there in the spring of that year up from Lewiston, Idaho, in the belief that people–small people like him–were making money in Montana or soon would be, and he wanted a piece of that good luck before all of it collapsed and was gone in the wind.

と、原作ではジョーは16歳で、そのジョーの一人称で語られていくようです。

その視点が映画ではわかりにくいということだと思います。

父親ジェリー(ジェイク・ギレンホール)はゴルフ場のレッスンプロのようですが、映画が始まるとすぐに解雇されており、その後しばらく家でごろごろ、突然、山火事の消防隊(というより単に一要員)に応募して、家族のことも顧みず、いつ帰ることになるかわからない仕事に出ていってしまいます。

母親ジャネット(キャリー・マリガン)は、取り残されたという意識が強いのか、ジェリーが出ていってしまうと、すぐに様子が変になり、その行動の異様さがどんどんエスカレートしていきます。

映画的にはやむを得ないところもありますが、このジャネットの描写が映画のかなりの部分をしめます。ですので、しばらくはジャネットの映画なのかなという感じで進むのですが、このジャネットの異様(にみえる)な行動に連続性がなく、その意識の裏もまったく読めないんです。つまり、なに、この人! というようにジャネットがみえるのです。

で、中盤に入り、やっと(私は)気づきました。この母親ジャネット、ジョーにはこう見えているということなんです。同じ意味で、父親ジェリーが、突然何かに取り憑かれたように、つまり(山火事の)火を消すことが自分の使命のように思いつめて出ていった、その唐突さも、ジョーにはそう見えたということです。

前半でそれがうまく描かれていれば、この映画、かなりいい映画になっていたのではないかと思います。

その意味では、1960年、モンタナ、石油ブーム、そこで金儲けをしようと引っ越してきた家族という設定だけで、アメリカに暮らす者にはわかる何かがあるのかもしれません。

山火事の意味もわかりにくいです。単にジェリーが消火を思いつめる対象だけではなく、遠くの山並みから煙が上がるカットが幾度も挿入されたり、会話として煙の話が出たり、ジャネットが自ら見たかったのか、ジョーに見せたかったのかわかりませんが、山火事の現場に車を走らせるシーンがあったりと、なにか映画全体を覆う不穏なものの象徴なんだろうとは思いますが、もしそうなら、もっと強く押し出したほうがはっきりします。

かなり思わせぶりに山が燃える様子を見せるシーンがあります。

ジョーは、ジャネットに山火事の現場に連れ出されます。父親に会うのかと思ったことでしょう、でも、母親は、たくさん人(消火する人たち)がいるから見つからないわとにべもありません。そして車が止まります。何かにくぎ付けになるジョーをかなり長いアップの映像で捉えます。なかなかその見つめる先を見せてくれません。やっと山のカットに切り替わったと思っても、これまたなかなか燃える様子を見せてくれません。カメラはかなりゆっくりとパンアップ(ティルトアップ)していきます。

本当にゆっくりなんです。思わせぶりとしか言いようがありません。それだけそこに意味を込めているということです。

あれは、ジャネットが自分の心情を見せたかったのか、あるいは、ジョーの家族は、自然の猛威である山火事に追い払われた「野生動物」のようだということなのか、そしてさらに言えば、山火事が山の再生にもなると映画の中でも語られていたように、ジョーたち家族の再生、つまりそれはラストシーンの家族写真につながる映画のテーマの表現なのかもしれません。

ジャネットの行動が異様に見えること、これはうまいですね。

とにかく、えー!? って感じです。ジェリーが失業して、ジャネットは自分が働こうかしらと(結構意欲的でした)、水泳教室のインストラクターの職を得るのですが、その求職シーンの強引さ(笑)にも驚くことはこの際置いておいて、そこで自動車販売会社を経営するミラーと出会い、あれは恋(fell in love with him)なのか、当時の女性が置かれていた環境、男性の保護下で生きることが求められていた時代の表現なのか、ジョーの目の前で、大胆なドレスやダンスでミラーに誘いをかけたり、欲求を抑えられないのか、ジョーの存在を忘れてミラーとキスをしたり、肉体関係を持ったりします。

ディナーに誘われたからといって、なにもジョーを連れて行かなくてもと思いますが、14歳の未成年をひとり置いておけないという価値観なんでしょうか。

このジャネットの大胆行動と同じようにジェリーの無責任行動も描いてほしかったですね。見方によればジャネットが悪者にもみえてしまいます。

で、結末です。ジェリーが帰ってきます。ジェリーはジャネットの変化に戸惑い、ジョーに何があったのか問いただします。ジョーは割と簡単に喋ってしまいます。映画としては、ジョーは父親寄りに描かれています。そりゃまあ、あの母親を見せられたらそうなりますわね、というより、そのように描いています。

カッとなったジェリーはミラーの家に押しかけ、玄関先にガソリンを撒いて火をつけます。あのシーンで、部屋着のミラーが女性と一緒にいたのは、ミラーにはジャネットとの関係もその内のひとりだったということなんでしょう。

このシーンの「火」も山火事との関連で、なにかしら意味が込められているのかもしれません。

この騒ぎ、警察沙汰にはならずにすみますが、ジェリーとジャネットの関係は終わりを告げます。

そして、何年か(も経っていないかも)後、ジャネットはオレゴン、ポートランドで教師の職についています。結婚する前は教師だったと言っていました。ジェリーは何かの店の販売員をやっており、自分自身、この仕事は向いていると言っていました。

ジャネットからジョーに会いたいと手紙が来ます。戻ったジャネット、ぎこちなく向き合うジャネットとジェリー、いつまでいられるの?と尋ねるジョー、週末だけと答えるジャネット、ジョーは、じゃあ明日、ふたりで(自分がアルバイトとして働く)写真館に来てと言います。

そして、ラスト、ジョーは、自分を真ん中に自ら三人の写真を撮ります。

映画では引用の画像のようにジャネットとジェリーが向き合う場面はなかったと思いますし、髪が云々とやや嫌がるジャネットに、ジョーは自分が見るだけだからと言っていました。

もう元には戻らないという意味でしょう。

という、悧発なジョーとしょうもない大人たちの話でした。

ジョーをやっているエド・オクセンボールドくん、本人の表情や目線がとてもよかったんですが、撮るほうがダメでした。表情の撮り方がワンパターンでしたし、学校でのシーンやガールフレンドとの交流などいろいろあったのですが、それらがほとんど生きていませんでした。

見終えてみれば、良い映画になりそうだったのに残念ではありました。

それにしても、モンタナ州グレートフォールズ、美しいところです。映画でも美しい風景が何カットもありましたが、ネット上でも写真がたくさん見られます。