悪人

悪人

悪人

この映画、私には全然ダメです。

まず何をおいても、東宝(社会派?)エンタテイメントには理屈抜きで拒否反応が起きてしまいます(笑)。理由は、そうですね、まあ、一言で言うと、良い子ぶるみたいな、傍観者的正義感でバランスをとって、観客にすり寄ってくるみたいなところなんですが…。

だったら観なきゃいいのに、なんですが、そこはそれ、なんだかんだと難癖つけるのも楽しいわけで…(笑)。それに、吉田修一は、「パレード(原作の方)」あたりから結構はまってしまい、それ以前の作品も含め、ほとんど読んでいるので、それなりに映画化にも興味があるわけです。

で、ダメな理由を長々(になりそう)と語ろうと思うわけですが、そもそも、原作の「悪人」自体、私は、彼の作品の中では駄作の部類に入ると思っています。この作品、「本当の悪人は誰なのか?」みたいなキャッチコピーで語られますが、私は、吉田修一という作家は、本当の「悪人」を書けるような作家ではないと思います。彼の作品に登場する多くの人物は、心根優しく、ナイーブですし、その描かれ方も、人物そのものを描くというより、他の人間や社会との関係を描くことで、その人物自体が浮き上がってくるという手法を得意としています。

それに、元々朝日新聞の連載小説ですので、たとえ単行本化しても、そのダラダラ感は免れませんし、そもそもが悪人云々がテーマとは考えられず、祐一と光代の逃避行を軸にした吉田修一の得意とする脱出願望ものだと思います。だって、この本の中の事件は、本当はあっちゃいけないですが、現実には結構起きている、出会い系サイトで出会い、理由は様々でしょうが、相手を殺してしまうという話ですよ。誰が悪いかといったら、どう考えても、第一義的には殺した男ですよ。「本当の悪人」がどうこうというような次元ではありません。そんなことを描こうとしている作品ではないでしょう。

じゃ、映画は、と言うと、やっぱり、殺した祐一(妻夫木聡)が間違いなく悪いです。あんなことで(と思わせる程度のつくりです)人を殺していたら、世の中人殺しで溢れてしまいます。とは言いつつ、今やそれが現実となってきているので、ある種リアリティはあります。それに、出番は少ないのですが、殺される役の満島ひかりがすばらしく、相手をカッとさせるところはなかなかのものです。

誰が悪人かレベルの話はさておいて、映画全体の感想を、これも一言で言うと、ドラマを描こうとしてもドラマは生まれてこない、これに尽きます。

殺された側の家族、殺した側の家族、社会(ナンパ男なども含め)、マスコミ、そしてもちろん祐一と光代、それらをステレオタイプなドラマの枠組みの中に置いて、時に悲しげな音楽や映像でドラマチックに仕立てようとしても、あるいは、したら、それは火曜サスペンス劇場以上のものにはならないでしょう。

李相日監督は、「フラガール」をみる限り、多分、こういったドラマ仕立てものが得意だと思われますが、できるならば、徹底的に二人を追いかける方法で映画化して欲しかったと思います。つまらんドラマなど追いかけず、定まった視点でそこにあるドラマを捉えて欲しいものです。そうすれば、映画でしか語れない新たなドラマが生まれてくるはずです。おそらくは光代ですね。光代を軸に据えるべきです。

ああ、光代を演じた深津絵里が、モントリオールで最優秀女優賞をとりましたね。うーん、またもモントリオールですか…。(注)

www.tokotokotekuteku.com

深津絵里、悪くなかったとは思いますが、どうなんでしょう…、ミスキャストじゃないでしょうか…? うーん、そうでもないか、吉田修一の書く女性はあんなイメージかも知れませんね…。

ただ、深津絵里の光代には、欠けている何かが足りないんじゃないでしょうか…? その意味では、妻夫木聡の祐一には、さらに心の空虚さみたいなものが足りなさすぎます。

と、あれやこれや書いてきましたが、この映画が私に決定的にダメなわけは、次にあげるような、テレビ的なバランス感覚で、ある種社会を描いているつもりになっているところです。

特にたえられなかったシーン、人物など

  • 岡田将生演じるナンパ男の正義漢の友人、その彼の数々の行動、そのカットを挟み込むセンス
  • マスコミを怒鳴るバスの運転手、そして、彼の、樹木希林演じる祐一のおばあちゃんを勇気づけるセリフ、それらをバスの運転手に言わせるセンス
悪人 新装版 (朝日文庫)

悪人 新装版 (朝日文庫)


映画 『悪人』 予告編 プロモ映像